電気自動車シフトが強調されるなか、その先にある夢の技術である自動運転にもあらためて注目が集まりつつある。
しかし、かつて米マサチューセッツ工科大学(MIT)で運輸政策に関する調査チームを率い、現在は自動化が経済発展にもたらすインパクトについて研究を行っているアシュレイ・ヌネスは、自動運転に対する安易な期待に警鐘を鳴らす。
以下は、ヌネスによるInsiderへの寄稿だ。
自動運転(ロボット)タクシーが市街を駆けめぐる日は本当に来るのだろうか。
REUTERS/Mike Blake
配車サービス大手リフト(Lyft)のロボットタクシーへの挑戦は終わった。同社は4月27日、自動運転部門をトヨタ自動車(子会社のウーブン・プラネット・ホールディングス)に売却すると発表した。
この動きに特段の驚きはない。大金を投じたが、リフトは自動運転配車サービスという夢を、他の多くの企業が失敗したのと同じように、現実のものにはできなかったということだ。
もちろん、こうした結末があらかじめ想定されていたわけではない。
2016年、リフト共同創業者兼社長のジョン・ジマーは、ロボットタクシーが「5年以内にリフト配車数の大部分を占めるようになる」と予測。2025年までに「アメリカの主要都市で自家用車はほぼ消滅する」と語っていた。
こうした予測は、主に「テクノオプティミズム」(=テクノロジーに対する楽観主義)から生まれてくることが多い。要するに、機械は人間よりも優れた奴隷になれるというわけだ。
センサーやソフトウェアは、不平を言わず、疲れもせず、賃上げ要求もしない(それどころか給料をよこせとも言わない)。この三拍子が揃えば利益アップ間違いなしと言われるからこそ、テクノロジー関連の投資は自動運転分野に集中する。
配車サービスを手がける企業はこのテクノロジーを完成させるため、ここ数年、何百万ドルもの資金を投じてきた。
「自律化」とは何を意味するか
いま巷間で使われている「自律的(Autonomous)」というのはそもそも、人間が不要という意味を指す言葉ではない。
歴史学者のデビッド・ミンデルは、著書『ロボットと人間〜ロボティクスと自律性の神話』で、その理由を次のように説明する。
「完全に自律的なシステムというものは存在しない」
「人間の命令から完全に独立して動作する機械は単なる役立たずであって、真の意味で自律的と呼べるのは岩だけだ」
別の言葉で言えば、配車サービス企業がキャッシュエンジンになってくれると期待しているような意味での「自律化」は存在しないし、これまでも存在したことがなかった。
自律化が実現されたとしても、人間はそこで一定の役割を果たし続ける。なぜ?それは、人間とまったく同じように、機械も常に正しいことをするとは限らないからだ。
今日時点でおそらく最も実績のある自律化システム、すなわち航空機の自動操縦装置を例にとって考えてみよう。
1912年に導入されたこのシステムは、人間のパイロットが操縦しなくても、航空機のバランスを保ってくれる。結果として、乗客はよりスムーズに、より安全に空の便を使えるようになった。
しかしご存知の通り、問題もあった。
1985年、チャイナエアライン(当時は中華航空)006便が危うく墜落しかけた航空事故(重大インシデント)では、墜落につながりかねない危険な急降下状態に陥っても、自動操縦装置は差し迫った制御不能状態であることをコックピットに通知できなかった。
こうした過去の反省から、現在使われている自動操縦装置は人間による監視が前提となっている。
この例は、自動運転車を何年かけて開発しても、ついにドライバーレスにはならないことの説明にもなる。
自動運転と銘打っていても、中身をよく見てみると、いわゆる自動運転システムを遠隔地から監視する人間の姿が見えてくる。
「旅先で目的地を変更したくなった場合はどうしたらいい?」といったドライバーからの質問に答えるカスタマーサポートのスタッフもいる。
二重駐車(=路肩に寄せた車両の車道側にさらに並べて駐車)やカラーコーン、ときにタコス屋のトラックで車線がふさがれたときにどうするかなど、路上で起きる厄介な問題を解決するため、人件費の高くつくエンジニアたちが待機している。
現実をまっすぐに見つめたい
こうした人間にかかる諸々の費用は、減るどころか増えることになる。バランスシートは圧縮されるどころか肥大化する。利益を出すのに苦労してきた自動運転分野の企業にとっては悩ましい問題だ。
2019年だけでも、配車サービス企業は100億ドル(約1兆1000億円)以上の赤字を出していて、そのバランスシートは「黒字化への道筋が見えない赤字という血の流れ出す泉」とでも言ったらいいだろうか。
配車サービス企業の経営幹部らは、自動運転への投資が会社を救うと期待していたようだが、いま眼の前にある事実は、それとは異なる結論を指し示している。
いまこそ、自動運転という夢の姿をあるがままに見つめ直すときではないか。
自動運転はSF的な空想にも劣るディズニーランド式のショーであって、現実世界では実現不可能な、むやみにカネのかかる派手な実証実験にすぎないのだ。
自動運転はうまくいけば驚くべき技術となるのかもしれない。しかし、今日までのところ何もかもうまくいった成功例はほとんどない。
人間が幾度となく愚行をくり返してきたことを踏まえれば、自動運転のアルゴリズムにまかせたほうがうまくいくという発想は「直感的には」理にかなっている気もする。でも、直感がいつも当たるとは限らない。
イギリスのマクレーン運輸相は1月13日、2035年までに自動運転車の市場規模が417億英ポンド(約6兆5000億円)に達するとの見通しを発表。イギリスの新車販売台数の4割が自動運転車になるとした上で、「我々は自動運転革命のさなか、転換点に立っている」と発言している。
本当に革命が実現するとすれば、それは技術が完璧であることが保証されたときだ。しかし、そうした保証ができる自動運転技術の開発者はいまのところ世のなかにほとんど存在していない。
そんなわけで、完璧な技術が保証されるまで、人間のドライバーがいらなくなることはありえないのだ。
[原文:The dream of the truly driverless car is officially dead]
(翻訳・編集:川村力)