「不正指令電磁的記録に関する罪」(通称ウイルス罪)に関する摘発事例が相次いでいる。しかし、その「ウイルス」の定義は曖昧なまま「いたずらプログラム」なども検挙されており、ITエンジニアからは「どこからが犯罪なのか」と不安視する声が多数上がっている。
3月には横浜地裁で、自身のウェブサイト上に他人のパソコンのCPUを使って仮想通貨をマイニングする「Coinhive(コインハイブ)」を保管したなどとして、不正指令電磁的記録保管の罪に問われたウェブデザイナーの男性(31)に無罪が言い渡された(検察側が控訴している)。
このコインハイブ事件で男性の弁護人を務めた平野敬弁護士、弁護側の証人として出廷した情報法制研究所(JILIS)理事の高木浩光氏が4月26日、都内で開かれたイベント「不正指令電磁的記録罪の傾向と対策」(主催・一般社団法人日本ハッカー協会)に登壇。
平野弁護士は刑事手続やコインハイブ事件の弁護活動、高木氏は地裁判決の振り返りと控訴審の展開について語った。
●「警察や検察のやっていることが、法律に即しているのか」
日本最初のネット犯罪摘発事例と言われているのが、1996年の「ベッコアメ事件」。わいせつ画像をHPにあげたユーザーとインターネットサービスプロバイダ「ベッコアメ」がわいせつ図画公然陳列罪の疑いで家宅捜索を受けた。
その後、1996〜98年にかけてわいせつ画像関連の摘発が続いた。平野弁護士は「20世紀最初から警察とITエンジニアの間には、緊張関係があった」と振り返る。
では、自分が犯罪行為を疑われたらどうしたらよいのか。平野弁護士は「警察や検察のやっていることが、法律に即しているのかを意識してください」と呼びかける。憲法31条は犯罪捜査手続きの大原則として、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と定めている。
そして、平野弁護士はより具体的な3つのルールとして「黙秘権」「令状主義」「弁護人選任権」をあげた。
黙秘権は、捜査でも公判でも、黙っていることができる権利のこと。黙秘権がある理由について「警察や検察は多くのスタッフと公権力を使って無限に証拠収集できる、非常に強い権力を持っているためだ」と話す。
警察官が「私は」と一人称で書面を作成し、被疑者が言っていないことも書かれている「作文調書」問題に触れ、「一旦不利な供述調書を取られた場合、後から覆すのには、任意性や信用性がないことを証明しなければならず、極めて困難。一旦黙秘しておけば、弁護人と相談してから供述内容を決められる」と黙秘権の意義を語った。
2つ目は、令状主義だ。逮捕には現行犯逮捕の場合を除いて逮捕状が必要で、捜索や差押をするには捜索差押許可状が必要になる。
しかし、強制処分ではなく任意処分なのか疑わしいこともある。例えば、自宅に行ってパソコンを押収する場合、強制処分としても押収にあたるので令状がないとできない。しかし、関係者の任意提出を受けて押収することはできる。そのため、警察が何かを指示する時、令状に基づく強制処分なのか、任意のお願いなのかを警察に聞くことが重要だという。
3つ目は、被疑者が弁護人と接見し援助を受けられる「弁護人選任権」。国が弁護士費用を負担し選任する「国選弁護制度」は、資力が50万円未満に満たない場合で、かつ、公判段階もしくは身体を拘束されて取調べを受ける「身柄事件」の捜査段階でしか利用できない。
ITに強い弁護士でも刑事事件を取り扱っていなかったり、その逆パターンもあるため、「弁護士に紹介を頼むのがベスト」と話した。
会場に集まったITエンジニアからは「任意捜査を断る時のテクニックは」「家宅捜索を2時間待ってもらったというが、どのようにやったのか」など、具体的な方法について質問が相次いだ。
「自分の行為が罪にならないようにするには、どうすれば良いのか」という質問には、「一般論としていうならば、技術者倫理を遵守して、プライバシー尊重、データ取得の同意をえて行うことなどではないか」と答えた。
●罰金10万円の事件で、どこまで争うのか
コインハイブについては、2018年中に28件21人が検挙されている。このうち、平野弁護士はウェブデザイナーの男性を含む5件を受任したという。
罰金10万円の事件で、どこまで争うのかは悩ましい問題だ。ウェブデザイナーの男性のケースが法廷で争われることになったのは、横浜簡裁が罰金10万円の略式命令を出した後、男性が命令を不服として正式裁判を請求したためだ。
平野弁護士は「警察の言うことを聞いていれば、罰金刑ですむし、言いなりになっていればいいのではないかという意見もある。これが必ずしも間違ってるとは思わない」と語る。
一方で、警察に対して譲歩した場合、何が起きるのか。平野弁護士は「別の事件の時に、あの時いけたからこれでいけるはずとなってしまう。これが積み重なることで、警察や検察の捜査が横暴になっていく」と摘発が勢いづくことを懸念する。
そして、憲法12条の一文「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」を紹介。
「いくら黙秘権や令状主義があっても、それを国民が活用せずに、国家権力のいうがままに言いなりになっていたら、有名無実のものになってしまう。公のために戦えとは言わないが、ちょっとだけこのことを思い出してください」と話した。
●「ウイルス罪の趣旨に立ち戻れば、当然の判決」
高木氏は、コインハイブ事件の無罪判決を「賛否両論のものは不正指令に該当しないと判断したもので、本来のウイルス罪の趣旨に立ち戻れば当然」と評価する。
コインハイブ事件の争点は、以下の3点だった。
(1)コインハイブは不正指令電磁的記録にあたるか
(2)「実行の用に供する目的」があったと言えるか
(3)故意があったと言えるか
刑法上の「不正指令電磁的記録」にあたるかについては、「反意図性」と「不正性」の2つの要件がある。
プログラムの指令が「不正」かどうかについて、判決は、有益性、必要性、有害性、関係者の意見などを総合的に考慮し、「機能の内容が社会的に許容しえるものであるか否かという観点から判断するのが相当」と示した。
その上で、コインハイブは、ユーザーの評価が賛否両論に分かれていたことなどから「プログラムコードが社会的に許容されていなかったと断定することはできない」と判断した。
●本来「不正指令」とされるべきプログラムは何か
では、どのような場合に「不正指令電磁的記録に関する罪」(通称ウイルス罪)が適用されるべきなのだろうか。高木氏は「誰にとっても実行の用に供されたくないものだけが、不正指令とされるべき」と話す。
例えば、自己増殖機能をもつワームやファイルを放流する暴露ウイルスや電話帳を盗むスマホアプリ、LINEやGPS監視アプリの無断インストールなど「社会に大迷惑がかかり、常識的にみて、誰もこんなプログラムは動かしたいと思わないもの」が対象だとみる。
加えて、「後戻りできない結果を引き起こす性質のものという区切りがある」と指摘。「コインハイブは、CPUが少し使われて、誰かが儲かっているだけだ」と話した。
●危険なプログラム、形式的な同意があれば合法?
判決で弁護人の主張と食い違ったのが、コインハイブが「人の意図に反する動作をさせるプログラム」と反意図性が認められた部分だ。
検察官は論告で、刑法典の注釈書「大コンメンタール刑法」を引用し「意図に反するならば、保護法益を侵害するものと言える」などと主張していた。一方、引用先の「大コンメンタール刑法」は、「『意図』についても、(プログラムに対する社会一般の)信頼を害するものであるか否かという観点から規範的に判断されるべき」としている。
高木氏は「検察側の論告は、全く逆のことを言っていて明らかな誤り。判決も『規範的に』という字句が欠けていて、検察官と同じ誤読をしている」と指摘。加えて「有罪か無罪かの判断を、同意取得の有無に頼ることは危険だ」と話す。
「危険なプログラムも形式的な同意があれば合法になってしまう。逆にジョークプログラムは常に同意がないが、こちらが犯罪ということになりかねず、バランスを欠いた判断の温床になりかねない。行為者に犯罪を犯す意思や認識があったかどうかが問題で、同意が示されているかどうかではない」
コインハイブの設置は、コンピュータープログラムに対する社会的信頼を害したと言えるのか。控訴審ではこの観点が「議論の本丸になると思う」と高木氏はいう。「誰にとっても汚らわしいものだけが不正指令であるべき。その基準が明確になればいいと思う」と控訴審に期待した。