【5737】飛良泉 山廃 純米 亀の尾(ひらいずみ)【秋田県】
【TU会例会 全6回の④】
異業種間日本酒利き酒会「TU会」の例会を2カ月に1回、B居酒屋で開いている。飲んだ酒の感想を勝手気ままに言い合う実に楽しい会。今回は7人が集い、旨酒続きに大いに盛り上がった。
「山の壽」「光栄菊」「山本」と飲み進め、次にいただいたのは「飛良泉 山廃 純米 亀の尾」だった。飛良泉本舗のお酒は当連載でこれまで、10種類を取り上げている。山廃仕込みのイメージが色濃くある蔵で、今回も山廃だ。さて、いただいてみる。
HA「とろっとしている」
酒蛙「ずいぶんさらっとしている」
HI「そうです」
TU「酸味です」
HA「酸が強い」
TU「引っかかるところがなく、すーっと入る」
HI「そうそう、飲みやすい」
酒蛙「さらり、すっきりとした口当たり。控え目な香り。味わいでは、とても綺麗な酸が印象的。そして適度な旨み」
HA「ラベルに書かれている『since 1487』とは???」
酒蛙「創業年。この蔵は相当古い」
酒蛙「いやはや、非常にさっぱり、すっきりとした軽快な口当たり。綺麗な酸と相まって、非常に飲みやすい。飲み飽きしない。抜群の食中酒だ」
酒蛙「クラシックタイプの、ライトボディー酒。あるいは爽酒。あるいは淡麗旨口酒」
瓶の裏ラベルは、このお酒を以下のように紹介している。
「飛良泉の看板商品である山廃純米酒を亀の尾で醸しました。甘さをおさえスッキリとしたキレのある食中酒です。亀の尾らしいビターながらも米の旨みたっぷりな味わいをお楽しみ下さい」
裏ラベルのスペック表示は「原材料名 米(秋田県産)米麹(秋田県産米)、原料米 秋田県大潟村産亀の尾100%使用、精米歩合60%、アルコール分 15度(原酒)、酵母 きょうかい701号、日本酒度-2.0、酸度1.8、製造年月24.11」。
「亀の尾」は復刻米で、復刻には“物語”があった。復刻の部分を中心に、ウィキペディアの記事を以下に転載する。
◇
『亀の尾』は1925年(大正14年)には、東北地方・北陸地方を中心に、朝鮮半島・台湾を含めて19万ヘクタールに作付けされ、当時の代表的品種の一つとなった。飯米・酒米・寿司米のいずれの用途でも評価が高かった。(中略)
育成当時としては耐冷性に優れる品種であったが、害虫に弱いなどの欠点もあった。また化学肥料で育てると極端に米がもろくなるので現代の農法には向かない。食管法時代に多収性の米とちがって環境的に冷遇され、次第にその子孫品種などに取って代わられた。(中略)
『亀の尾』は、食用米としても、酒米としても多くの子孫品種をもつが、1970年代には『亀の尾』自体は栽培されることがなくなっていた。新潟県三島(さんとう)郡和島(わしま)村の、『清泉(きよいずみ)』『夏子の酒』で知られる久須美酒造の酒造家である久須美記廸(くすみ・のりみち)は、杜氏である河井清から、むかし亀の尾で作った日本酒が素晴らしかったとの話を聞いて、亀の尾を復活させることを考えた。1980年(昭和55年)に、新潟県農業試験場から1500粒の種子を譲り受け、翌年と翌々年に育成増量し、1983年(昭和58年)には醸造に足る収量を得たため、亀の尾を原料に使った吟醸酒『亀の翁』(かめのお)が製造された。(中略)
また久須美酒造が亀の尾の復活を考えていたのと同時期の1979年(昭和54年)に、山形県東田川郡余目町(あまるめまち)の酒造家である鯉川酒造の蔵元佐藤一良もまた、先代の蔵元佐藤淳一の悲願であった亀の尾の復活を決心した。
元酒類鑑定官であった上原浩は、『そのことの話題性を積極的に利用しようとは考えていないようだが、私の知るなかで、亀の尾の復活にもっとも熱心に取り組んでいたのは鯉川酒造である』としている。阿部亀治のひこ孫にあたる阿部喜一が保有していたわずかばかりの種籾を譲り受け、試験栽培にこぎつけ、その後亀の尾単独で醪一本分の酒を仕込めるようになるまでには四年かかった。佐藤の酒が完成したのは1983年で、久須美酒造が吟醸酒『亀の翁』を作った翌年である。
さて、表ラベルの「since 1487」が燦然と輝く。蔵の歴史と酒名「飛良泉」の由来について、蔵のホームページは以下のように説明している。
「東北で最も歴史があり、全国でも3番目の酒蔵です。創業は1487年(長享元年)、時は室町時代。3年後の年は八代将軍・足利義政が京都の東山に銀閣寺を建立しています。現在の当主は二十六代目。
斎藤家の屋号『泉屋』が示す通り、斎藤家は関西の泉州(現在の大阪府泉佐野市)より仁賀保へと移り住みました。
宝暦年間から天保年間を生きた名僧・良寛和尚の友人で、仁賀保に暮らしていた『増田九木』という画家が、良寛へ宛てた手紙にトンチのきいた名言を書き残しました。それは『飛び切り良い、白い水』という言葉。
つまり、『飛』と『良』を並べる『ひら』は平沢(註・・・平沢は蔵の所在地の地名)にかけた言葉で、そして『白』と『水』は上下に並べると『泉』。これは斎藤家が『泉州出身』であるという意味合いがあります。それまでは『金亀』という銘柄でしたが、この九木の自慢話が噂を呼び、酒銘『飛良泉』が誕生しました」