[チリ]Smiljhan Radic Arquitecto
1. 沿革
チリ人建築家スミルハン・ラディックによる建築設計事務所。事務所は首都サンチアゴの新市街に位置し、作品の多くもまたチリ国内に在る。それらは住宅や別荘といったプライヴェートなものから博物館や劇場、あるいはワイナリーといったチリらしいものまで多岐に渡る。また近年は海外からパヴィリオンや展示の依頼も多く、メゾン・エルメス銀座での「クローゼットとマットレス」展(マルセラ・コレアと協働、2013)、《サーペンタインギャラリー・パヴィリオン・ロンドン》(2014)などがある。筆者は2011年大学院在籍時にはじめインターンシップとして氏の元で研修をし、その後2012年から正式に勤務を開始し、現在に至る。- スミルハン事務所にて 2011年8月(筆者撮影)
2. 国・都市の建築状況
- オフィスからの眺め:サンチアゴ市街地(筆者撮影)
私がはじめてチリの建築に興味を抱いたのは『a+u』「特集=南米チリの建築」(新建築社、2006年7月号)を目にしたときだったと思う。チリの細長い国土が抱える多様なランドスケープ(砂漠、太平洋、森林、あるいは都市)に調和、あるいは孤高に佇む建築の姿に心惹かれた。そしてその後、実際にチリにやって来てからというもの、時間を見つけてはチリ国内を旅して回り、北から南まで興味のままにその多様な風景のなかに身を置いてきた。そうしていると目の前に広がる雄大な風景を手中にしたい、あるいはもっと控えめに言えば、その風景に寄り添って暮らしたいという願望もよく理解することができた。例えば日本の建築が都市の狭小住宅によって語られるとするならば、チリの建築の魅力の多くはそうしたランドスケープの中の別荘に見出すことができるだろう。しかしこうした現代のチリの建築シーンに意義を唱える声があるのもまた事実である。というのもそのような別荘建築というのは階級社会のチリ共和国においてほんの一握りの富裕層のためのものであり、大多数の一般市民とはおよそ接点がないからだ。もちろん都市部の公共施設を建築家が手掛けることはあるが、上手くいっている事例を見出すのはなかなか難しい。逆にサンチアゴ都市部で上手くいっていることがあるとすれば、それは市内に点在する公園の数々だろう。それらはセントラルパークや代々木公園のような巨大な公園が鎮座するのではなく、道路に沿ったリニアな公園がいくつも繋がっているというものだ。そうすると個々の公園の面積は小さくとも街を歩いていると多くの緑の連鎖を感じることができる。そうした所ではオフィスワーカーも学生も肉体労働者もツーリストも皆等しく芝生に寝そべっているのだ。そういう意味では都市のパブリシティもまたランドスケープに抱かれていると言える。
3. 「コンセプト」や「リサーチ活動」
私が勤めているスミルハン・ラディックの事務所は比較的小規模で平均して5人前後で仕事をやりくりしている。現在事務所で進行しているプロジェクトは住宅が2、3件とサンチアゴ郊外での公園のランドスケープ・プロジェクト、またサンチアゴ旧市街で進んでいた2010年の大地震で傷んだ築100年の古い集合住宅をパフォーミングアーツシアターに転用するというプロジェクト《ユンガイ・プロジェクト》もつい明日オープニングを迎える。- ユンガイ・プロジェクト全景(©Magdalena Carvallo)
これはスミルハンにしてはかなり都市的なプロジェクトと言えるだろう。そうした都市的なものから住宅のような個人的なものまで彼の設計スタンスは概ね一貫している。それはプロジェクトの大小に関わらず、そのアイデアの源泉は常に彼の個人史の延長上にあるということだ。例えば上記のシアターの上に載るテントは彼のルーツであるスラヴ系移民のテンポラリーな住まいのあり方からきていると言えるし、《サーペンタインギャラリー・パヴィリオン・ロンドン》(2014)や「ヴェネチア・ビエンナーレ2010」での展示「魚に隠れた少年」といったものは彼のお気に入りのグリム童話やそれにまつわるディヴィッド・ホックニーの絵画からインスピレーションを得ている。
- 「わがままな大男」コンセプトモデル(©Gonzalo Puga)
- 「魚に隠れた少年」(©Smiljan Radic)
そうしたごく個人的なお話のようなアイデアに実際的な物質としての建築のディテールを重ね合わせてゆくことで彼の建築は成立してゆく。彼のなかではそうした2つの要素は等しく重要であり、オスカー・ワイルドの「わがままな大男」のことを考えながら厚さ12mmのグラスファイバーのジョイントに思いを馳せ、魚のお腹に宿る少年のことを憂いながら無垢の玄武岩と木材との取り合いを検討している。優れた建築家の条件が芸術とエンジニアリングの素質をバランスよく兼ね備えることだとすれば、スミルハン・ラディックはその両極端に特化した人物だと言える。
4. 実践と作品
- 《ルッソ・パーク・プロジェクト》模型(©Gonzalo Puga)
現在私が主に担当しているのは、サンチアゴ郊外の公園プロジェクト《ルッソ・パーク・プロジェクト》(2015--)だ。これは13,7haに及ぶ広大な敷地内の土を段階的に掘削したり盛ったりすることで、なだらかなランドスケープをつくり、その合間にイベントホールや広場といった人が集まる場所をつくっていくという計画である。この土と時間によるランドスケープの創造というのは、まさに卒業設計のときに自らが考えていたテーマと重なる。当時は(もちろん今も)近代モダニズムが排除しようとした「時間」というエレメントが持つ価値を、いかに建築に内包させるのか? ということに思いを巡らせていた。そういう意味でも長い年月をかけてつくられるランドスケープのようなものにずっと興味を抱いていたし、それに対する答え、あるいはヒントを掴もうとして、はるばる地球の裏側のこのチリという国までやってきたのかもしれない。だからこそ、紆余曲折の末に辿り着いた異邦の国で自らの興味とシンクロするようなプロジェクトと人間──スミルハン・ラディック──に出会えたことは幸運であった。チリに来る前、大学時代の恩師である西沢立衛氏に「自分が陶酔できる師匠に巡り会えるかもまた才能だ。」という言葉をいただいたことを時折思い出す。
- 《ルッソ・パーク・プロジェクト》内観(©Andres Battle)
このプロジェクトの第一段階でのメインの建物は長さ200mに及ぶイベントホールである。それは結婚式やパーティといった催しごとのための大きな屋根で、チリの伝統的な祭りに見られる「ラマダ」という屋根に由来する。この大きな屋根は不規則にうねった厚さ25cmのコンクリートの梁で支えられ、大きな影のもとに不安定な大気を生みだす。そのコンクリートの梁がたわむポイントに幾何学的な壁柱と鉄柱の支点を設けている。また梁にはあらかじめ任意のストレスが加えられており、ゆえにこの梁の静的変形は構造的に有効な手段となっている。
ここでもまた、彼の記憶の中のチリの祭りの光景に構造的エッセンスを重ね合わせ、プロジェクトとして成立している。そしてこのうねった梁、あるいは前述のグラスファイバーシェル、サーカステントなど一連の構造物はどれも一見不安定で即物的なものが多い。そうした彼の建築の持つはかなさについて彼自身1999年に「Fragile Construction」という論文を発表し、その中で歴史や野心を持たない、人に見られるものとして建てられていない建築についての考察を示した。建築史に残ることのない束の間の構造体やその痕跡から彼の哲学的な発想源を見出すことができる。
- スミルハン・ラディック+マルセラ・コレラ
『クローゼットとマットレス』
(エルメス財団、2013)
スミルハン・ラディック「はかない建築」(『クローゼットとマットレス』マルセラ・コレラと共著、エルメス財団、2013)