このワークショップは、フィンランドセンターが主催するセミナーの第2回。第1回の 「母に優しい国」フィンランド女性の光と影 ではフィンランドの事例を踏まえ、「幸せな共働き社会」を実現する方法について考えました。今回のテーマは、「新しい家庭の姿」。その内容を、3つのパートに分けてお届けします。
まずは、堀込泰三さんのプレゼンテーションから。2007年に2年間の育休を取った堀込さんは「東大卒」という経歴や、「男だから」という固定概念にとらわれることなく、「自分たち家族にとって幸せな形は何か」を追求してきました。“兼業主夫”という形に行き着いた経緯と、現在の思いを語ります。
堀込さんのお話
私は現在、フリーランスで翻訳の仕事をしながら、2人の子どもを育てています。ワーキング・マザーとはよく聞くけれど、ワーキング・ファザーって言葉は聞かないですよね。だから自分はあえてワーキング・ファザーと名乗っています。ワーキング・マザーっていう言葉自体、早く必要なくなればいいのですが。
わが家の収入バランスは、私と妻が4:6くらい。主夫といってもそれなりには稼げるようになってきました。家事・育児は、逆に6:4くらいで分担しています。
私はもともとは、男が育児や家事をやるなんて想像したこともない、日本に多いタイプの男性でした。転機となったのは、2007年の息子の誕生。当時私は自動車会社のサラリーマンで、一方、妻は大学の研究者。妻は、長期の育児休業を取ると戻る場所が無くなってしまう状況でした。だから、妻が仕事をやめないためには、自分が育てるしかないと考えたんです。
しかし、上司に相談したところ、ほとんど理解されませんでした。「男が育休取って何するの?」とポカンとされて。「何って、育児ですよ」と答えると「育児なんて、男ができないし」と言われてしまう。何度か話し合った末にようやく認められて、2年間の育児休業に入りました。
育休期間の途中で妻がアメリカ転勤になったため、後半の1年はアメリカで子育てをしました。育休期間を終えても、妻のアメリカでの任期は残っていたので、私は、会社を辞めてアメリカに残ろうと考えました。でも妻は大反対。「私が大黒柱になるのは想像できない。それに、せっかく男性で育休を取ったのに、復職せずに会社を辞めてしまったら、後に続く人が育休を取りにくくなってしまう」と説得されて。泣く泣く、一人で日本に帰国しました。