「いまの子どもたちに資産を還元するというミッションがある」:任天堂創業家が京都に仕掛ける「動」の文化

日本を代表するゲーム企業のひとつ、任天堂の創業家に生まれ、29歳にしてその資産を運用する山内万丈。世界が注目するファミリーオフィスを率いる彼に、創業の地である京都・菊浜エリアでのプロジェクト、そして自身の継承について話を訊いた。(雑誌『WIRED』日本版VOL.46より転載)
「いまの子どもたちに資産を還元するというミッションがある」:任天堂創業家が京都に仕掛ける「動」の文化
PHOTO: TIMOTHEE LAMBRECQ

「『ドンキーコング』が大ヒットして、アーケードゲームが主力商品だった1980年代に、祖父は家にゲーム機がある光景が普通になると確信したらしいんです。そこで彼は会社の命綱だったアーケード事業を切り捨てて、ファミリーコンピュータの開発に総力を挙げた。先見性がある彼にしかできないチャレンジだったと思います」

山内万丈は、自身の祖父であり、任天堂の3代目社長を務めた山内溥の仕事についてこう語る。「Yamauchi-No.10 Family Office」の代表であり、「山内財団」の理事も務める万丈は、祖父が育てあげた山内家の財産を運用する人物だ。2002年に岩田聡が社長に就任するまで、任天堂という企業は100年以上にわたり山内一族によって営まれていた。彼は20年から一族のレガシーを受け継ぎ、次の世代につなぐための活動を続けている。

創業の地から始まる「行動」

山内家は、京都最大の繁華街として知られる四条河原町を高瀬川に沿って少し南下した菊浜エリアで、22年4月にオープンしたホテル「丸福樓」にオーナーとして携わっている。任天堂がかつて花札やトランプを製造・販売していた時代の企業名「株式会社丸福」を名前の由来にもつ丸福樓は、任天堂の旧本社をリノべーション・増築して生まれた全18室のラグジュアリーホテルだ。

同じエリアには銭湯ブームの火付け役として知られる「サウナの梅湯」や茶筒の開化堂が運営する「KaikadoCafé」、クリエイターが集う文化複合町家「五条モール」などが軒を連ねる。そんな新しいカルチャーの発信地に京都発の企業として世界で最も知られる任天堂ブランドの原点があったことを知り、驚いた人も多かった。

ホテルのオープンから約1カ月後、万丈はさらに今後30年をめどに同エリアの活性化を目的としたプロジェクトを推進すると発表。「エリア開発」ともいえる規模のプロジェクトを、任天堂創業家が手がけることが注目を集めた。その背景を山内はこう説明する。「一族が継承するものは、有形資産としてのお金や不動産だけではありません。無形資産として哲学も、祖父や先代たちから受け継いでいかないといけない。そのためには、実際に行動してチャレンジをしていくしかないと思ったんです」

山内溥は、『Forbes』が発表する「世界長者番付」に名を連ねていたことでも知られる富豪だ。その詳細な数字は公表されていないが、山内家がもつ「有形資産」は1,000億円規模とも言われ、日本でも有数である。万丈が繰り返す「チャレンジ」という言葉の背景には、それを継承することに対する責任の重さがにじみ出ていた。

動の文化をつくる

「昔は『任天堂の山内くん』と呼ばれるのがスゴい嫌だったんですよ。それは表層的な情報にすぎないし、もっと自分そのものを見てほしいという気持ちが強かった。ただ、米国留学のためのエッセイを準備していたときに、気づいたんです。自分のことを他人と差別化するには、任天堂の3代目社長の孫だと書くしかない。アイデンティティを表現するには避けて通れないと気づきました」

万丈は高校まで京都で過ごしたのちに東京の大学に進学し、広告会社に勤める。その後、米国を視察したのち、一族の支援のもとファミリーオフィスを創設した。13年に山内溥が逝去した際、孫として唯一資産を相続した自分は何をすべきなのか? という問いと向き合うなかで、現在の事業への道筋が見えてきたのだという。「自分たちの資産には “色 ”があると思っています。それは任天堂というビジネスを通して、子どもたちが遊んだ時間から得たものなんです。だからこそ、いまの子どもたちに資産を還元するというミッションが自分たちにはある」。万丈が運用している資産は、自らの力で稼いだものではない。だからこそ、それを使う目的を明確にする必要があるのだと彼は語る。

万丈が考えるファミリーオフィスの事業は、「インべストメント(事業投資)」「インキュベーション(創出支援)」「フィランソロピー(慈善活動)」の3つ。投資分野では米国、アジア圏、日本国内という3つのエリアを中心に、代替肉を手がけるネイチャーズファンドや宇宙ゴミ回収を手がけるアストロスケールをはじめとする幅広いスタートアップに投資を行なっている。

冒頭で紹介したホテルを含む地域活性化事業は、インキュベーションとフィランソロピーの間に位置するという。創業の地である京都にビジネスやカルチャーが生まれる土壌をつくること、任天堂を創業した山内家を支えた地域に対して貢献することを目指していると万丈は語る。

「京都という場所は、世界でも特別な場所です。寺社仏閣のような伝統的な文化と、京セラやローム、任天堂のような新しい企業が同時に育まれてきました。前者を代表するのが貴族文化を象徴する京都御所のような場所で、洗練されたもの。一方で後者のイメージは、観光地化が進んだ結果か、いま少し薄れてきているように感じています。そこにもう一度スポットライトを当てたかったんです」万丈によれば、前者を「静」とするならば、後者は「動」。菊浜エリアは京都の玄関口ともいえる京都駅と、繁華街の四条河原町をつなぐエネルギーに溢れた位置にある。花札やトランプといった娯楽製品にルーツをもつ任天堂も「動」の文化から生まれたものだろう。万丈は、そんな文化を京都に再び構築する土壌をつくりたいという。

繰り返されるべき挑戦

「GOJO SOHA(五条創破)」と名付けられたこの地域活性化事業プロジェクトは、ホテルのほかに山内家が取得した不動産に、クリエイターや起業家、職人など分野を問わない人々が混ざり合うような仕掛けをつくり、20年後の常識となるアイデアを生みだしたいと話す。「任天堂の多くのコンテンツは、アントレプレナーとしての山内溥と、彼の考えが実現できるクリエイターが混ざり合ったことで生まれました。そんなマッシュアップが起きる環境をこのエリアにつくることで生まれるものがあるはずです」

すでに万丈は10を超える土地や建物を取得した。アイコンとしての丸福樓に加えて、アーティストやクリエイターのためのアトリエやサロン、レジデンスなどが生まれる予定だ。現在は、そのプランを地域の住民との対話のなかで練り上げているという。「これはすぐにリターンがあるビジネスではありません。だからこそ、周りに住んでいる人の共感を得なければ実現しえないんです。ビジネスの仕組みから発想しないで、町の変わりたいという思いと自分たちができること・やりたいことを重ねながら、前に進んでいきたい。そうすれば、いつか金銭的な利益以外のリターンがあると思っています」

実際に万丈と地域を歩きながら、取得した土地や施設の説明をしてもらうと、その規模の大きさに驚く。ただ、町全体としては古い住居やそれを利用したゲストハウスなどが目立つ地域だ。これからどのような変化が起きるのか、正直なところまだ想像がつかない。

たまたま前を通った美容室で、店の女性と万丈が言葉を交わす。かつて彼女は山内家がもっている土地を駐車場として借りていたのだという。任天堂という企業、そして山内家は町のなかに溶け込んできた。その調和した風景が万丈の手によって、いま新しくなろうとしているのだ。

山内家の継承が決まるまで、万丈は祖父の仕事や任天堂の軌跡を詳しく知っていたわけではなかったという。だからこそ、山内家と同社の歴史のリサーチをOBのインタビューなども含めて綿密に行なってきた。万丈は「ひとりのファンとして」と断りながら、任天堂の魅力をこう説明する。「よい裏切り方をするところが好きです。当たり前を疑うところからスタートする姿勢が、会社のDNAとして息づいているのだと思います。山内家も任天堂という企業が背景にあるからこそ、挑戦を続けていかないといけない。その試み自体が、次の世代のチャレンジできる風土をつくっていくはずです」

地域活性化事業をはじめ、万丈がいまファミリーオフィスを通じて取り組んでいるプロジェクトの多くは、彼自身、そして山内家にとっても大きな挑戦だ。京都という都市を舞台に、ビジネスとカルチャーの種を育てる。そんな壮大なチャレンジの結果を見届けるのは、いまゲームを遊んでいる子どもたちなのだ。

山内万丈 | BANJO YAMAUCHI
1992年生まれ。3代目社長を務めた山内溥の孫として任天堂創業家に生まれる。2013年に溥が逝去した際に養子として、親族とともに資産を継承。16年に早稲田大学を卒業後、博報堂に勤務したのち、20年に「Yamauchi-No.10Family Office」を設立、代表を務める。グローバル規模でのスタートアップ投資や、任天堂創業の地での不動産開発などで話題を集める。


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