米国のテック業界で、複数の仕事をフルタイムで“かけもち”する動きが広がっている

リモートワークが主流になり、米国のテックワーカーたちに複数の仕事をかけもちする動きが広がっている。雇用契約では認められていなくても、賃金の頭打ちが引き金となって兼業が増えているという。
Person sitting at a desk and working on two computer monitors surrounded by their pet cats and plants
Photograph: Nisian Hughes/Getty Images

毎朝9時になると、エイベルはシカゴ市内で借り始めたオフィススペースで仕事にとりかかる。朝食は抜いて午後2時まで休憩をとらずに働いたあと、PCからログアウトして昼食をとるという。

だが、大半のテックワーカーと似ている点はここまでだ。エイベルが在籍している企業は1社にとどまらない。4つのフルタイムの仕事をかけもちしているのだ。いずれもスタートアップで、年俸は合わせて68万ドル(約8,730万円)になる。

エイベルは1年前から、複数の仕事をこっそりかけもちするようになった。ほかの仕事仲間と比べて、自分が質の高い仕事を速いペースでこなしていることに気づいたからである。

Pedestrians
コロナ禍において会社を辞めたり転職したりする人が急増している「大退職時代」。特にテック業界では人材争奪戦が過熱しており、一時金や給与の増加、勤務地不問の条件などで優秀な人材を確保する動きが加速している。

「気がつくと空いている時間がたくさんありました」と、35歳のエイベルは語る。「インフレの進行に毎年の昇給が追い付いていないなか、ふたつ目の仕事を始めておいたほうが将来的に困らなくなるのではないかと考えたんです。うちには子どもが3人いて、家を買うために夫婦で貯金していますから」

ひとつ目の仕事(エイベルはこれを「J1」と呼んでいる)は4年前に就職し、「J2」と「J3」は1年前から、そして4つ目の「J4」はこの夏に入って始めたばかりだ。できれば4件とも来年も続けることが理想だという。複数のノートPCや周辺機器を設置する専用スペースを手に入れたいま、この状態を維持することは可能だと考えている。

「途方もない数のミーティングがストレス要因のひとつになっています。そのほとんどは文書にまとめたり、個別のSlackで解決できたりするはずです」と、エイベルは語る。ちなみにエイベルは仮名だ。今回の取材に応じてくれたテックワーカーは、誰もが特定されないように匿名を条件にしている。

ミーティングがふたつ重なってしまったときは、2本のヘッドフォンをつかってそれぞれに参加するという。「慣れが必要ですが、いまは両方から流れてくる情報を同時にさばいて、どちらもおおまかに注意を向けておけるようになりました」

自分の名前が聞こえたら、そちらに集中する。会話に間ができたときは、接続不良のせいにすればいい。会議が3件重なると「正気を保てなくなります」と、エイベルは語る。

4社から給与を得ている現在、テック業界の景気低迷や大規模なレイオフ(一時解雇)を恐れる必要もない。いまも毎月のように新たなポジションに応募書類を送り、面接の機会や仕事の情報ルートを確保している。「そうすれば、雲行きが怪しくなったときも別の仕事にすぐに移れます。5つの仕事をかけもちしている人もいますが、わたしは4つが限界ですね」

兼業するさまざまな理由

ひとりで在宅勤務をしていれば、雇用される側は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)前と比べて臨機応変な働き方ができる。対面の予定を抜ける必要はなく、勤務先以外の企業とオンラインで面接や顔合わせに臨むことも可能だ。

そこから新たな職のオファーを受け、複数の仕事を巧みにさばく人もいる。賃金の頭打ちと生活費の上昇に見舞われ、米国ではこの10年でふたつ以上の仕事をもつ人の割合が着実に増えた。そして、国全体の失業率は過去50年で最も低い水準にある。

オーバーエンプロイメント(ふたつ以上の仕事をフルタイムでかけもちすること)状態にある人は、パンデミックによって増え続ける一方だ。米労働統計局のデータによると、ふたつ以上の仕事をもつ人の割合は2020年4月時点で4%だったが、22年8月には約1%増えている。

リモートワークをする人のうち、勤務先に知らせずフルタイムの仕事をいくつもかけもちする(勤務時間が重なっているケースが多い)人が、どれだけいるのかを示すデータはない。だが、まったく新しい現象というわけではなさそうだ。

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NFT(非代替性トークン)のブームに伴って人気が高まり、いまや高値で取引されるものも出てきたNFTアート。そんな熱狂の裏側には、実は世界中のフリーランスの人々が低価格で制作を請け負っているギグエコノミーという現実がある。

パンデミックが始まる前から完全リモートワーク制を導入していたテック企業は多い。だが、ネット掲示板「Reddit」上にある兼業者コミュニティ「r/Overemployed」で密かに複数の仕事をこなすアドバイスや工夫が投稿されている様子をみると、オフィスから解放された働き手が人に知られずに動けている現状がうかがえる。コミュニティは拡大中で、メンバーは10万人を超える。

マーテンはチャットアプリ「Discord」内で「稼ぐ能力を最大限に引き出す」方法を指南するセッションを毎週開催している。だが、実際にリモートワークで複数の仕事をかけちしている人はそう多くはないと、マーテンは推測する。「興味をもっている人が100人いたら、能力のある人が20人、そして実際にやっている人はその半分にとどまるのではないでしょうか」と、マーテンは言う。

米国に暮らすマーテンもそのひとりだ。彼は戦略と取り引きに特化したシニア経営コンサルタントとして週70時間働き、ひと月に15万〜22万ドル(約1,920〜2,820万円)ほど稼いでいる。大手テック企業や金融企業から仕事を請け負い、監査も手がけるなどして、15年にわたって複数の仕事をこなしてきた。

カリフォルニアにある自宅でテック系の仕事を2つかけもちしているグレッグは、年間20万ドル(約2,560万円)の収入を得ている。仕事の締め切りが同時期にいくつか重なると、緊迫感が高まるという。日程や時間がぶつかると、いずれかのミーティングを欠席する。「与えられた仕事をこなしていれば、多少のうそを言っても相手に害はありません」

だが、2番目の勤務先がLinkedInの投稿にタグ付けしたいと言ってきた。そんなことをすれば当然、もうひとつの仕事が危うくなる。

「リクルーターがしつこく声をかけてきて困っているのでアカウントを休眠させています、という嘘の事実を伝えました」と、グレッグは語る。「こうして接触しそうになる危険はこれからも起きると思います。米国の労働文化は、死と隣り合わせているようなものですから。仕事を引退できるようになるまで、なんとかうまくやるしかありません」

複数の仕事をするようになったきっかけは、2件目の仕事のオファーと具体的な金銭面の目標があったからだという人が多い。グレッグの目標は、奨学金の完済と住宅購入資金だった。いまは給料日まで毎回ぎりぎりの生活をしなくて済むようになったことを誇りに思っている。エイベルは4カ月分の給料を貯めて住宅の頭金に回すようだ。

2つ、3つ、あるいは4つと複数の仕事をこなすコツがわかってくると、もうひとつ(場合によってはまたひとつ)増やしたくなる誘惑に駆られる。兼業コミュニティの仲間から後押しされたら、なおさらだ。

グレッグは3つ目の仕事を探していて、早めの引退を視野に入れているという。これに対してエイベルは、仕事を増やせばいいだけではないことの難しさを感じている。「子どもがいなくて責任もなければ、7つくらい仕事をかけもちしていたでしょうね」と、エイベルは語る。

変化しつつある雇用契約

法的な観点からみると、兼業の妥当性は怪しくなってしまう。大半の雇用契約には排他条項のようなものが含まれているからだ。例えば、従業員は労働時間には職務に専念し、ほかの仕事に従事しないよう記されている。これが競合他社であればなおさらだろう。

「こうした契約の下で兼業した場合は、明らかな契約違反になります」と、法律事務所CM Murray LLPのパートナーで労働法が専門のベス・ヘイル指摘する。「たとえ雇用契約に該当する条項がなかったとしても、ふたつのフルタイムの仕事に同時に就くことは、雇用主のために最善を尽くしていないとみなされる十分な理由になり得ます。フルタイムの仕事を複数こなすことは現実的とは言えませんよね」

兼業は大きなリスクを伴い、決定的な義務違反や免職処分にあたるとみなされ、予告なく解雇される可能性もあるとヘイルは説明する。「企業側は問題として扱うか否かを判断する必要があります。その社員がきちんと仕事をこなしているのであれば、ほかの仕事をしていても問題にはならないかもしれません」と、ヘイルは指摘する。「会社はその人が有能だと思うから雇っていて、その人のスキルを自社だけで発揮してほしいのであれば、臨機応変な対応が求められるでしょう」

インドでは、すでに経営陣が従業員のオーバーエンプロイメントを公に批判している。多国籍IT企業であるウィプロの最高経営責任者(CEO)であるリシャド・プレムジは、「裏切りそのものだ」と22年8月に切り捨てるように語っている。同社は競合他社で兼業していた300人の従業員を解雇したことを、9月下旬に発表した。同じくインドのIT企業のインフォシスは9月中旬、勤務時間内外を問わず兼業すれば解雇すると警告している。

比較できるデータがないので、インドではより広く仕事のかけもちが一般化しているかどうかは定かではない。もしかすると、単に企業側が兼業している社員を発見していこともありうる。とはいえ、インドの経営者も兼業に否定的なわけではない。

ITサービスとコンサルティングを提供するテックマヒンドラのCEOのCP.グルナニは、従業員の兼業には反対しないと明言している。フードデリバリーを手がけるスタートアップSwiggyは、労働時間外に社員がギグワークやパートタイムの仕事に従事できる規定を新たに設けた(フルタイムとみなされる仕事は除く)。

長らく兼業を続けているマーテンは、惰性で仕事をかけもっている層がいるせいで、ほかの兼業している人たちが迷惑を被るかもしれないと考えている。惰性で仕事をしている人のせいでオフィス勤務に戻そうとする動きが広がることを、マーテンは恐れているのだ。

「兼業は、期待されている価値を提供し続けられるからこそ長期的にうまくいくのです。それを得られれば、企業側もおそらく黙認するか公に認めてくれるでしょう」と、マーテンは語る。「兼業しながら“静かな退職”(与えられた仕事以上のことをやらない働き方)をしているような人は、自ら失敗を招いているという現実を自覚していません。自分だけでなくほかの人にも余計な注目や厳しい視線が向けられてしまうのです」

(WIRED US/Translation by Noriko Ishigaki/Edit by Naoya Raita)

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