ビットコインの生みの親「サトシ・ナカモト」を自称する男は、それを法廷で証明できるのか?

自らをビットコインの発明者「サトシ・ナカモト」であると主張してきたコンピューター科学者のクレイグ・ライト。その真偽をめぐる議論は法廷に場を移し、このほど審理が始まった。ビットコインの未来を賭けた判断の行方に世界が注目している。
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自らを「サトシ・ナカモト」であると主張しているクレイグ・ライト。Photo-illustration: WIRED Staff; Earvin Perias/SOPA Images/LightRocket/Getty Images

サトシ・ナカモトは暗号資産(暗号通貨、仮想通貨)の生みの親であり、そして謎の人物である。

この人物は2008年10月にビットコインを世に送り出し、そして姿を消した。今日に至るまで、誰ひとりとしてナカモトの正体を知る者はいない。さまざまな憶測が飛び交うなか、名乗りを上げたのがクレイグ・ライトというひとりの男性である。ライトはオーストラリアのコンピューター科学者で、自分こそがサトシ・ナカモトであると2016年から主張している。それをライトは、これから裁判所で証明しなければならない──。

その裁判が、英国の高等法院で2月5日から始まっている。この裁判の目的は、自らがサトシ・ナカモトだとするライトの主張を覆すことだ。

裁判の原告は、暗号資産に関連するテクノロジー企業による非営利コンソーシアム「Cryptocurrency Open Patent Alliance(COPA)」である。これはライトがビットコインの発明者であるとして知的財産権を主張し、ビットコイン関連の開発者や関係者を相手どって多数の訴訟を起こしたことに対する措置だ。

COPAは訴状において、ライトの行動が「萎縮効果」をもたらし、開発者を脅かしてビットコインの進歩を妨害していると主張している。COPAはライトがビットコインを最初に提案した白書の著作権を保有していないこと、さらにオリジナルのコードも作成していないことを宣言する判決を求めている。

また、ライトがビットコインの発明者であると主張することを禁じる差し止め命令も要求している。つまり、COPAが裁判所に求めているのは、「ライトはサトシ・ナカモトではない」との判決なのだ。

この判決は、ライトがビットコインの開発者に対して、自分の許可なくビットコインにまつわる開発をすることを防ぐ権限があるかどうか、またビットコインシステムの利用条件を一方的に決めることができるのかどうかを判断することになる。これにより、複雑に絡み合った関連裁判にも直接的な影響を与える。

「リスクは非常に高いでしょうね」と、ビットコイン開発者を法的措置から防御する非営利団体「Bitcoin Legal Defense Fund」の担当者(ライトからの法的報復を恐れ匿名を希望)は語る。この人物によると、法律の観点から見れば、ライトは「ビットコインネットワークに対する最終的な支配権を要求している」という。

なお、ライトはこの記事に関する取材を拒否している。

自らの主張を訴訟で証明できるか

2008年の世界的な金融危機の最中に発表された白書において、サトシ・ナカモトは銀行のような面倒な仲介業者を省く新しい電子マネーとP2Pの支払いシステムのビジョンを描いていた。09年1月には最初のビットコインの取引をしたが、それから2年ほどを経て突如として姿を消した。そこからサトシ・ナカモトの“捜索”が始まったのだ。

早い段階からビットコインにかかわっていたソフトウェア開発者のジェイムソン・ロップによると、「リーダー」が不在だったことが、その後のビットコインにとってプラスに働いたという。リーダーの不在により、ビットコインは規制のないアナーキーなシステムの下で進化を遂げ、「頑健性」を高めることができたからだ。

生みの親の圧倒的な影響から解放されたことで、ビットコインの開発にボランティアとして参加するすべての人が、その方向性について発言できるようになった。しかし、ライトが自分をサトシ・ナカモトであると主張し始めたことで、事態が複雑化する恐れがある。

ライトは2015年12月の同じ日に、『WIRED』と「Gizmodo」の記事でサトシ・ナカモトの正体の候補として最初に名前が挙がっていた。流出した文書を基にした当初の記事では、ライトは「ビットコインを発明したか、自分が発明したと信じ込ませようと懸命に努力しているとんでもない詐欺師のどちらか」だと推測されていた。数日後に『WIRED』US版は新たな記事を掲載し、後者の解釈を支持する証拠に矛盾があることを指摘している。

ライトは当初、自身がサトシ・ナカモトであるとする報道には反応しなかったが、オンラインのアカウントはほとんど削除した。ところが翌年になると、ライトは自分がビットコインの生みの親であると公に主張し始めた。ライトは何度もさまざまな手段でその主張を証明しようと試み、彼の主張の信憑性を確信する支持者を獲得したのだ。

2016年には、ビットコインの基盤ソフトウェアの初期開発者であるギャヴィン・アンドレセンや、「ビットコイン財団」の創設者のひとりであるジョン・マトニスにも自らがサトシ・ナカモトであると認めさせている。ライトの代表的な支持者は億万長者のカルヴィン・エアーで、彼のベンチャーキャピタルは最近ライトの企業のひとつを取得した。

しかし、ビットコインの発明者はいまだに謎のままであるという一般的な意見を、ライトは依然として覆せてはいない。ソフトウェア開発者のロップによると、ライトの話を信じているのは“ビットコイナー”のごく少数派、つまり「サトシ・ナカモトの存在を信じたいと強く思っている」人々だけだという。

こうしたなか、このほどアンドレセンは以前の立場を撤回した。2023年2月にアンドレセンは過去のブログ投稿を修正し、「クレイグ・ライトをあそこまで信用したのは間違いだった。サトシ・ナカモトの正体をめぐる議論に巻き込まれてしまったことを後悔している」と書いている。

ライトは19年以降、自身がサトシ・ナカモトであると主張するための主な手段として訴訟を利用している。ライトはビットコインのコードベースを管理する開発者やビットコイン事業を手がける組織に対し、自身の著作権を侵害したとして訴訟を起こすだけでなく、公に異議を唱えた個人も名誉毀損で訴えているのだ。

法律事務所Harper Jamesの知的財産担当パートナーであるリンゼイ・グレッドヒルは、ビットコインの特許をもたないライトの戦略とは、ひとつにまとめれば特許と似たような効力をもつ「権利の寄せ集め」を法的措置を使ってつくり上げることだと分析している。ビットコインの所有権を主張するために、ライトは「特許が本来果たすべき機能を不適切な手段で実現しようとしている」ということなのだ。

ライトが提起した3つの訴訟、すなわち暗号資産取引所のコインベースとクラーケン(Kraken)、そしてビットコイン関連の開発者に対するものは、ライトこそがサトシ・ナカモトであるという主張に対して具体的に提起されたものだ。このため、これらの訴訟を担当するエドワード・ジェームズ・メラー判事は、COPAの訴訟を先に進めることにした。これは法廷用語で「予備的争点裁判(preliminary issue trial)」と呼ばれ、その判決は関連するほかの訴訟にも影響を与えることになる。

法律事務所Wigginの知的財産権専門弁護士のレイチェル・アレクサンダーによると、本人確認の問題は「基本的な問題」だという。アレクサンダーは、「COPAがこの問題を早い段階で解決できれば、より大きな訴訟を継続することがより困難になるでしょう」と語っている。

認められた「文書偽造の申し立て」が鍵に

COPAの主な申し立ては、ライトがこれらの文書の多くを偽造または改ざんし、特定の時期に作成されたかのように見せかけたというものだ。「COPAは、ライトによる捏造と偽造を示す広範な証拠を提出しました」と、COPAの代表(ライトからの個人的報復を避けるため匿名を希望)は語る。裁判所に提出された報告書でCOPAは、「体系的に文書を検証し、解体している」とし、文書に「年代的矛盾」があることを指摘した。そして「これにより、ライトがサトシ・ナカモトであるという主張が根本から覆される」と主張している。

ソフトウェア開発者のロップやブロガー兼ポッドキャスターのアーサー・ヴァン・ペルトを含むビットコイン界の有名人たちは、過去にもライトによる虚偽の主張の目録を作成しようと試みている。ヴァン・ペルトはライトが構築したストーリーを「ポチョムキン村」、ライトの行動を「サトシ・ナカモトのコスプレ」と呼んでいる。

これに対してライトは、こうした批判を「基本的に根拠のないもの」として退けている。ライトは2022年9月にノルウェーの裁判所に対し、「文書を改ざんしたり操作したりしたことは一切ありません」と説明していた。

COPAによる偽造の申し立てを英国高等法院のひとつが認めていることは重要であると、法律事務所Harper Jamesのグレッドヒルは言う。グレッドヒルは「裁判所はあいまいな疑惑を認めず厳格なルールを設けている」としたうえで、裁判所は自動的に偽造の申し立てを認めるわけではないのだと指摘する。つまり、COPAがライトの偽造を非難するためには、裁判所がその根拠を認める必要があるということだ。

アレクサンダーは、「この文書をめぐる争いが今回の裁判の肝になり、重要な争点になるでしょう」と言う。もし裁判官がライトによる文書偽造を認定すれば、COPA裁判での勝訴の可能性が損なわれるだけでなく、ライトが提起しているその他の関連訴訟の行方にも影響を及ぼすことになるのだと、アレクサンダーは指摘する。この場合、罰金か禁固刑、あるいはその両方が科される可能性があるという。

ライトの「勝訴」となった場合の影響度

裁判が始まる2週間前の1月24日、ライトはCOPAに突然の和解案を提示した。その提案の条件でライトは、関連する訴訟における自身の法的措置を停止し、ビットコインに関する知的財産権を追及する権利を放棄する。その代わりに、COPAはライトをサトシ・ナカモトと認め、その他のさまざまな条件に同意しなければならない──というものだ。

COPAはXへの投稿で、この申し出は「断じて受け入れられない」としている。和解案にはライトが再び人々を訴えることを可能にする「抜け道」があるというのが理由だ。COPAは自分たちに有利な判決が下され、開発者が「威嚇や恫喝」によって暗号資産技術の開発を中止することのない「安全な空間」が生まれることを期待しているという。

COPAが勝訴すれば、それは業界にとって実質的に“通常業務の継続”を意味する。だが、ライトの勝訴はその逆を意味する。ライトこそがビットコイン白書の著者、つまりサトシ・ナカモトであると裁判所が認定した場合、原告であるライトにとって関連訴訟での勝訴への道筋が明確になるからだ。

最も注目されている「データベース権利訴訟」では、ライトはビットコイン開発者が自身の知的財産権を侵害するかたちで、許可や認可なくビットコインのシステムに「根本的な変更」を加えたと非難している。つまりライトは、開発者が自身の同意なくビットコインのコードを改変することを違法化し、ビットコインのシステムへの接続に用いられる主要なソフトウェアを自身の支配下に置くことを裁判所に求めているわけだ。

また、その影響は世界的なものになるだろう。法律事務所Dentonsのシニア・アソシエイトのジェームズ・マースデンによると、「各国は著作権事案を独自の判断基準に基づいて分析するが、著作権法の基本原則はほとんどすべての国々が締結した国際協定によって統一されている」という。つまり、英国の裁判所がライトをサトシ・ナカモトであると判断すれば、世界のほかの裁判所も同様に判断する可能性が高い。

ソフトウェア開発者のロップによると、ビットコインのネットワークは、支払いシステムを支えているノードとしてのクライアントソフトウェアを運用する関係者がコード変更を強制されないように設計されている。設計上、変更を提案することはできても、強制することはできない。つまり、ライトがビットコインに一方的な変更を加えることはできないということだ。

しかし、ライトが勝訴した場合、知的財産権の支持を武器に訴訟を起こすことで、ライセンスを取得しない開発者たちの自由な協業を阻むことができる。そうなれば、規制のないアナーキーな状態が損なわれてしまう。さらに、プロジェクトの開発者は匿名で活動せざるをえなくなるかもしれない。

「より徹底したサイファーパンクにならざるをえません」と、ロップは言う。法的措置のリスクを冒すことを望まない開発者が増えれば、システムの健全性と使い勝手が低下するだろう。そうなれば、時間とともにビットコインが世間から忘れられていく恐れがある。

ロップは、ビットコインの生みの親は不明のままであるほうが望ましいと主張している。そして「ビットコインは完璧とはほど遠い」と指摘したうえで、ライトであれほかの誰であれサトシ・ナカモトの正体を名乗り出たところで、開発者によるビットコインを改良する試みを止めることはできないと言う。

そして、ロップは次のように語っている。「サトシ・ナカモトが世界にもたらした最高の贈り物はビットコインそのものです。そして第二の贈り物は、姿を消したことです」

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クレイグ・ライトの裁判は2月5日に始まった。ライトは法廷でリラックスした様子を見せ、ビットコインの未来に大きな影響を与えるこの裁判の重大性と、自身がサトシ・ナカモトであるという主張を「図々しい嘘」であると断じる原告側弁護士ジョナサン・ハフの強硬な姿勢とは対照的に、平静な態度を保っていた(→この後の証人尋問で列挙された矛盾と反論に関する記事に続く)。

(WIRED US/Edit by Daisuke Takimoto)

※『WIRED』によるビットコインの関連記事はこちら。


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