FF13の感想で始まる年明け
新年あけましておめでとうございます。
1月1日、元日。こんな日は2009年を厳かに振り返り、2010年の抱負を知的に述べた文章を美しくまとめてブログに載せるのが私の思う「あるべき大人の姿」であり、そういった大事業に二分ほど取り組んでみたのですがあっさり挫折しましたので、ゲームの感想を書きます。
もうあちこちにいろんなかたの感想がアップされていると思います、あの大作ゲームFF13の話です。
FFやりたいなあ、オフラインのナンバリングタイトルをPS3でやりたいなあ、と思い続け待ち続けていたその願いはついに叶えられ、FF13が先日発売されました。
私は発売日前日、PS3本体の埃を丁寧にブラシで払い、キーボード掃除用のウェットティッシュでコントローラーを隅々まで拭き、その後液晶画面専用ウェットティッシュでテレビを綺麗にして、翌日に備えました。
セキゼキさん(仮名)は、FF13のプレイ中断時間を最小限にとどめるために、前日から我が家の台所に引きこもって二日分の食事を作りました。
そのようにして万全の準備を整えた私たちは、厳かな気持ちでFF13を始めたわけです。
ゲームを開始してすぐに私達は、美麗なグラフィックに胸を打たれました。
今まで綺麗なグラフィックだと思って感動していた他のゲームがすべて一段下に見えるくらいの圧倒的なクオリティです。ムービーも素晴らしい。主人公のライトニングさんは美人だし、いやはやこのゲームほんとにすごいな、と思いました。
しかし、私達の感動はそこまでで終わりました。
まず、話が全然見えないのです。
ファルシ。ルシ。コクーン。下界(パルス)。下界(パルス)のファルシ。下界(パルス)のルシ。パージ。パージ列車。異跡。聖府。PSICOM。シ骸。ノラ。
重要な単語のほとんどの意味が分からず、なにもかもさっぱり理解できません。おかしいな、登場人物は全員日本語をしゃべっているんだけどな……。
登場人物が何人か現れて戦います。そして戦いの理由も少しずつ明かされ始めます。
なんでも、パルスのファルシがポーダムという都市にある異跡で見つかったため、その場に居合わせた人間はパルスのファルシによってパルスのファルシのルシに変えられてしまう可能性があるから、コクーンの平和を守るためにパージの必要ありと聖府が判断、住人全員がパージ列車に乗せられてパージされ、それに逆らう人間をPSICOMが排除しようとするので、戦う必要があるらしいのですね。
これ、ゲームの冒頭のストーリーをかなり赤裸々に記した文章なんですが、ゲーム未プレイの方が読んでもまったくネタバレ感を味わわないで済むと思います。私も他人にゲーム紹介をするとき、ここまでネタバレに気を遣わずにストーリーを説明できたのは初めてです。もしもスクウェア・エニックスという会社がネタバレという事態を避けるためにこのような手法を用いたのだとすれば、効果的な方法であるのは確かですが、それによって生まれた問題も決して小さくはないというか、「すべての解決法はまた新たな問題を生む」というマーフィーの法則はやはり正しかったと思わされます。
ストーリーとか専門用語はオートクリップという機能で一応親切に解説してもらえるので、必死に読みながら進めますが、それでもなお、最初のうちは何が何だかわかりません。
それでもとにかく戦えばいいんだろうなと思います。だってこれRPGだし。RPGって戦うゲームだし。
そしてここで私達は最大の衝撃に直面することになるのですが、その戦闘というのは、○ボタンで「たたかう」を連打していれば、あっという間に終わる、ただそれだけのものなのです。
ダンジョンは基本的にうどんのような一本道をどこまでもまっすぐ歩いて進むもので、モンスターにぶつかると戦闘になって、戦闘は「たたかう」を連打していれば終わる。歩く、戦う、○連打、歩く歩く戦闘、○連打、歩く歩く○連打、ムービー……FF13は最初のうちはとにかくそんな風に進みます。
しかも最序盤、
「戦いが終わっても経験値が手に入っている様子がないなー。どうなってるのかなーコレ。キャラはどうやったら成長するのかな。ひょっとしてこの時点では全然成長していないなんてそんなことは……まさかな。ありえないよ。ハハハ」
と思っていたのですが、その後二章に入ると、戦闘後にCP(クリスタルポイント)と呼ばれるものが得られてキャラが成長し始めるので、
「えっ、じゃあ一章の戦闘では本当にキャラが成長していなかったんだ。私達はメリットのない戦闘をやらされていたんだ!」
ということに気付いて、すごいショックを受けました。
合間に入るムービーが、最初の頃は本当にとても楽しみです。相変わらずストーリーは何が起こっているのかさっぱりつかめませんが、とにかく映像は素晴らしく美しいので。
「このゲーム、ムービーだけ集めてそれを順番にみていくようにしてくれればいいのに」
と途中までは本気で思っていました。
ムービー以外の部分にはうんざり……そんな状態になってくると、FF13にまつわる些細な要素一つ一つが厭になってきます。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというアレです。
どうしてライトニングさんは半袖なのにスノウはロングコート着ているんだ同じ場所出身のくせに矛盾してる! とそんなことにまでいらつき、やがて「だいたい戦闘の時の効果音が迫力ないよ」とかそんなクレームまで付け始めます。
実際にはそんなことは、すべて小さなことなのです。普通なら不満に思わないのです。半袖とロングコートのキャラが両方いても、普段なら「個性」という便利ワードですべてカタがつきます。効果音の迫力にクレームをつけるなんて、我ながら細かくてくだらない言いぐさだと思います。要するに私は、寛容な心という、人として非常に大事なものを失い始めていたのです。
プレイをしていて、最も苦痛だったのは、第五章でした。これは他の多数のダンジョンにも言えることなのですが、一つのダンジョンに出てくる敵の種類がとても少ないのです。特に五章の途中ではシルバリオとクロウラーばかり延々と戦い続ける羽目になったりします。また、代わり映えのしない似かよったマップが続くので、同じモンスターと同じようなマップがひたすらに繰り返され、事態は真剣に悪夢的様相を呈します。
要するに、飽き飽きしてくるのです。
おかげで自分がゲームをしているのか作業をしているのかだんだんよくわからなくなり、一日目、私たちはついにそのあたりで力尽きました。
明け方、私はFF13の夢を見ました。
夢の中で私は「FF13がつまらない」と泣きながらコントローラーを握っていましたが、途中からFF13は俄然面白くなりはじめます。
「うわっ、なんだこれ、急に面白くなった! 良かったよかった! 本当に良かった!!」
私は叫びながらぴょんぴょんと飛びはね、世界中の人々が喜びの涙を流しながらほほえみ、皆で肩を組んで笑いました。
私は起きてから全ては夢だったと知り、泣きました。
そして夢が正夢になるよう、祈りを捧げてから出勤しました。
帰宅後。夕食を終えてプレイを再開すると、私の祈りは徐々に聞き届けられ始めていました。
戦闘、特に雑魚戦のつまらなさは、相変わらずでしたが、ストーリーは徐々に引き込まれる内容に変わり始めています。
希望を捨てなくてよかった、ソフトを売り払わなくて本当によかった。
そう思いながらたどり着いた十一章。
そこでFF13は、劇的に変化しました。
ゲームとして、とても面白くなったのです。
それまで私は、FF13というのはうどんのような一本道をひたすら歩き、敵と遭うたびに○連打をする作業をこなせば御褒美に美麗なムービーを見せていただける、そういう変わったつくりのムービークリップ集みたいなものだと思っていました。
ところが十一章以降のFF13は、素晴らしいグラフィックで表現された魅力的な大地を自由自在に駆け回り、手に汗握る戦闘を楽しめる、良質なゲームになっていました。
特に戦闘システムの印象ががらりと変わったのは驚きでした。六章から十章にかけての間にも、戦闘は徐々に面白くなっていたのですが、パーティ編成の自由度が低かったため、最大の売りであるオプティマ編成の妙というのが、あまり味わえなかったのですね。
ですが、十一章でパーティが完全に自由に組めるようになると、オプティマという戦闘システムが実によくできていて、スリリングで、楽しいということがよくわかるようになってきます。
この頃になると、○連打では絶対に戦闘に勝利することはできません。自分自身の頭をちゃんと使って、しっかりと戦略を考えないと簡単に負けてしまいますし、逆に戦略がきちっとはまれば、強い敵にもちゃんと勝てるようになってきます。これがとても楽しくて、快感です。
オプティマバトルというのは、本当によくできたシステムです。これまでのコマンド入力式の戦闘システムでは味わえなかった、生き生きとしたスピーディな戦闘が楽しめます。
オプティマというのはAIを利用したバトルシステムなんですけど、このAIが賢いので、一緒にパーティを組んでいるキャラクターが本当に頼りになる仲間だと思えてくるかんじ。
賢くて頼りになる仲間と共に繰り広げる、スピーディで生き生きとした、戦略性の高いアクション。これは従来のRPGではなかなか味わえなかった感覚です。この戦闘システムがFFならではのレベルの高い美麗グラフィックと組み合わさると、やってて本当に
「うわーっ、本当にかっこよくて楽しい!」
とぴょんぴょん飛び跳ねたいかんじになります。
ここにきて、なんと夢は正夢になったのでした。
めでたしめでたし。世はすべてこともなし。
……とは素直に思えないんだよなあ……
ううむ。
なんといえばいいのでしょう。私は今十三章プレイ中で、もうすぐクリアなんですけど、十三章にしてもうすぐクリアで、十一章からがとても面白いということはつまり、FF13というゲームはめちゃめちゃ後半にならないと面白くならないということなんですよ。
120分ある映画をみたら、冒頭から30分はいったい自分が何の映画をみているのかさっぱりわからない状態で進み、その後はあくびをかみ殺しながら退屈に耐えていたと思ったら、最後の15分間になったとたんに突然ものすごく面白くなった! 映画史に残るラスト15分だった! という映画があったとします。
それって、面白い映画と評していいんでしょうか。
あるいは、結婚して十年間、酒乱でDV癖があって浮気性の夫に振り回される生活をひたすら続けていたら、ある日突然、夫が生まれ変わったように心を入れ替えてやさしくなり、仲むつまじく満ち足りた日々を送ることができるようになったのですが、実はその時点で夫の余命は半年しか残されていなかったのでした……
みたいなことがあったとき、その結婚生活は幸せなもので、夫は素晴らしい配偶者だと言ってしまっていいのでしょうか。
人によっては、それは面白い映画だし、その夫は素晴らしいと評価するのかもしれないのですが、私はそこで素直にそうは思えない人間なのです。
だったら最初から最後まで面白い映画にしてくれたほうがいいし、最初からやさしい夫でいてくれればいいじゃん、と思ってしまいます。
むしろ、最後の15分間が面白かったり、最後の半年がやさしいからって、その他の悪い部分を帳消しにしろとか、もし思っているのだったらちょっと図々しいよね、と思うくらい。
だって世の中には最初から最後まで面白い映画も、最初から最後までやさしい夫もいるんだもの。
そしてそれはゲームでも同じことだよねえ、と思っちゃうわけです。最初から最後まで面白いゲームだって、世の中にはいっぱいあるよねえ、と。(むしろ途中からこれだけ劇的に面白さのレベルが変わるゲームのほうが珍しい)
しかしながら、「だからFF13はつまらなかった、よくないゲームだった」と切り捨てるには、十一章からのFF13は面白すぎるんですよね……
そこが悩ましい。最後までつまらなかったなら、話は簡単なのに。
そうして思うのは、FF13というのは何か悲しいゲームだな、ということです。
十一章に入って劇的にすべてが面白くなったとき、私は喜んだというよりは、むしろ愕然としました。こんなに面白いゲームが作れるのに、どうして最初からこうしなかったんだろうと思いました。
この面白さにたどり着く人はFF13購入者のいったい何割なのでしょうか。おそらくかなり多くの人が、約20時間の苦行に耐え切れず、そこにたどり着く前に脱落してしまうでしょう。
金も手間もものすごくかけて、とても丁寧にきっちりと作った作品なのだということは、最初から伝わってきます。ちょっとした細部が、ゾクゾクするほどよくできていて、「さすがFF」と随所で思わせてくれますから。
面白い要素がたくさんあって、丁寧にしっかりと作りこんであるのに、購入者のかなり多くの人がそこに至る前に投げ出してしまうゲーム。
どうしてこんなに悲しい作品ができてしまったのか、私は今本当にせつない気持ちです。