鄙乃里

地域から見た日本古代史

汝自身を知れ

 気まぐれ随想録『赤とんぼ』


  汝自身を知れ

 

 プラトンによると、「汝自身を知れ」は、ソクラテスが座右の銘として使っていた言葉だ。

 デルフォイのアポロン神殿の門に刻まれた箴言で、七賢人により掲げられたという。アポロン神殿は《デルフォイの神託》で有名で、神殿の巫女の神がかりを通してアポロンの神託が祈願者に告げられていた。


 その神殿の結界にある「汝自身を知れ」とは、いったい、どのような意味なのか?

 もともとは「神託によって自分の運命を直視せよ!」との意味だったらしいのだが…。

 ソクラテス自身は、それをどのような内容で受けとめていたのだろうか。
 すべては己の無知を知るところから始まるのだという。自分は何も知らないけれど、自分が無知だということは知っている。いわゆる「無知の知」である。それ故に知を愛するのだ。

 その箴言は換言すると、神ならぬ人間の身の程を知れという意味なのか? また人間性そのものの自覚なのか。自己同一性への回帰なのか。それとも内面の問いを探求し続ける覚悟のほどを求めているのか…?

 残念ながら凡愚にして解せないが、いずれにしても、各々への問いを発する公案が、古代の知恵者から投げかけられたに違いない。

 

Justsystems

 ソクラテスが大切にしていた別の概念には「エロス」もある。その道では珍しいことだが、ソクラテスはそれをディオティマという巫女哲学者から学んだのだという。

 「エロス」は神と人の中間にある精霊であり、真善美と醜悪の間を取り持つ衝動力である。官能美から発して、より精神的な愛へと昇華する憧れであり、今でいえばキューピットになる。

 そしてソクラテスは、そのような衝動力を、またダイモンとも呼んでいる。ダイモンは積極的に何かを行うのではなく、制止する声だ。それは無知の知とも関係してくる。即ち、無知を自覚する者が知を愛する者になるからである。


 ソクラテスは、その生涯の最後に際し、「ダイモンなる妖しげな存在を信じて既存の神々を冒涜し若者を堕落させた」として市民から訴追された。有名な『ソクラテスの弁明』は、そんな彼の言い分と無実の証をプラトンが代弁している作品かもしれないが、ソクラテス自身は、イデアのために自ら従容として毒杯をあおったのだった。

 
 ソクラテスの対話篇に親しんだのは、もうずいぶん昔のことで、内容に関してはまるっきりのうろ覚えだが、「汝自身を知れ」との、この箴言だけはずっと頭に残っている。


 その一方で、ソクラテスには、こんな実際的でユーモラスな名言もあるようだ。

とにもかくにも結婚せよ。もし君がよい妻をうるならば君は非常に幸福になるだろう。もし君がわるい妻をもつならば、君は哲学者となるだろう。

 ソクラテスの妻クサンティッペは悪妻だったといわれている。それともソクラテスのほうが恐妻家だったのか?

 いずれにしても、ソクラテスは自ら進んで哲学者となったわけで、妻から役立たずと言われたためではないだろう。


                    



 今年も御高覧ありがとうございました。良い新年が迎えられますように

Â