データと歴史で読み解く
FRB「有事の利上げ」なぜ?
米国の金融政策を決める米連邦準備理事会(FRB)は米国時間5月3~4日の会合で追加の利上げを決めた。ロシアのウクライナ侵攻で経済環境が不安定になる中でもさらなる金融引き締めに動くのはなぜか。経済データや過去の地政学リスクへの対応をもとに、背景を読み解く。
米国の物価上昇率は約40年ぶりの高水準
FRBが有事にもかかわらず利上げを急ぐ最大の理由は、物価上昇に歯止めがかからないことだ。米国のモノやサービスの価格動向を示す消費者物価指数(CPI)は3月に前年同月比8.5%と1981年12月以来、約40年ぶりの上昇率を記録した。新型コロナウイルス禍の物流混乱による資源・原材料価格の高騰にロシアのウクライナ侵攻による原油高が追い打ちをかけ、今後も「不快なほど高いインフレが続く」(イエレン米財務長官)との懸念が強まっている。賃金上昇や価格転嫁が追いつかないほどの急激なインフレは人々の暮らしや企業経営に大きな打撃となりかねない。中央銀行であるFRBは金融引き締めによって需要を冷まし、物価を安定させようとしている。
過去の有事、
FRBはどう対応?
インフレ退治か景気優先か
有事 1
1973年
第4次中東戦争
エジプト・シリア連合軍がイスラエルを攻撃し、第4次中東戦争が勃発。ペルシャ湾岸の産油国6カ国が原油公示価格を一気に7割引き上げ、第1次オイルショックが発生した。
有事 1
FRBの対応は?
オイルショック当時のバーンズFRB議長は利上げに消極的で、物価高には歯止めがかからなかった。物価上昇圧力に対して金融引き締めが足りず、政策対応が実体経済に遅れる「ビハインド・ザ・カーブ」という状況に陥ったためだ。金融政策の独立性も十分ではなく、景気を優先させたいニクソン(写真)政権からの圧力に屈したとの批判もある。米国経済はその後、1975年にかけて深刻な景気後退と物価上昇の同時進行に悩まされた。
有事 2
1978-79年
イラン革命
1978年から79年のイラン革命によって、反欧米を掲げるイスラム主義政権が誕生した。イランも参加する石油輸出国機構(OPEC)は原油価格の引き上げを打ち出し、第2次オイルショックが起きた。
有事 3
1979年
ソ連のアフガニスタン侵攻
東西冷戦の最中に発生したイスラム革命の余波は世界に広がった。アフガニスタンの共産主義政権に抵抗するイスラム勢力や親米派の動きを警戒し、ソ連がアフガニスタンに侵攻。地政学リスクの高まりが物価高騰に拍車をかけた。
有事 2-3
FRBの対応は?
イラン革命の後の1979年に就任したボルカー議長(写真)は、物価抑制のために政策金利を20%まで引き上げるなど徹底した「インフレ退治」を進めた。急激な金融引き締めは「ボルカー・ショック」とも呼ばれ、副作用として景気後退と失業率の上昇を招いたが、物価の抑制には成功。1982年から90年までの長期にわたる景気拡大の下地となった。
有事 4
1991年
湾岸戦争
イラクのクウェート侵攻をきっかけに、国際連合の決議をもとに米国などがイラクに多国籍軍を派遣。1991年1月からイラクへの空爆が始まった。原油価格は当時、OPECの増産を背景に安値圏にあり、イラクはほかの産油国側の減産を求めてクウェートやアラブ首長国連邦(UAE)と対立していた。
有事 4
FRBの対応は?
グリーンスパン議長(写真左)は「戦争が長引けば消費者心理が冷え込み、景気後退は深刻となる」として、積極的に利下げした。インフレ退治よりも景気優先の姿勢を取った背景には、原油価格の上昇が比較的短期にとどまったこともある。原油価格はもともと安値圏にあったうえ、国際エネルギー機関(IEA)主導の原油備蓄の放出などによって過去2回のオイルショックほどには急騰しなかった。一方、軍費膨張による財政赤字の拡大や消費低迷による景気後退は深刻で、下支えのための低金利政策は1994年初めまで続いた。
有事 5
2001年
米同時テロ
国際テロ組織アルカイダによる米国での同時テロが発生。米中枢への攻撃は前年からのITバブル崩壊で落ち込んでいた米国経済に追い打ちをかけた。その後20年におよぶアフガニスタンでの対テロ戦争は米財政赤字の拡大にもつながった。
有事 5
FRBの対応は?
テロ発生から間もない9月17日朝、FRBは臨時の連邦公開市場委員会(FOMC)で緊急利下げを決定した。この日はテロ後に停止していた株式市場での取引が再開されるタイミングで、取引開始前の発表によって金融市場の動揺を抑える狙いがあった。同日には欧州中央銀行(ECB)、翌18日には日銀も協調利下げを実施。グリーンスパン議長(写真)はその後も連続利下げと資金供給による積極的な金融緩和を続け、テロのショックによる実体経済への打撃の緩和を図った。
有事 6
2008年
世界金融危機
2008年9月の米リーマン・ブラザーズの破綻を引き金に世界金融危機が発生した。長期にわたる低金利政策によって膨らんだ米国の住宅バブルが崩壊し、返済が見込めなくなった低所得者層向け住宅ローンの証券化商品を抱えていた金融機関の経営不安が連鎖。企業の資金繰り悪化や大量の失業により、世界経済が深刻な不況に陥った。
有事 6
FRBの対応は?
未曽有の金融危機を乗り切るため、バーナンキ議長(写真)は政策金利の誘導目標を一気に0~0.25%に引き下げる実質的なゼロ金利政策を導入した。金融システム不安がくすぶる中、米政府は金融機関への資本注入に踏み切り、FRBも金融機関が抱える社債やローンの買い取りなど異例の政策を発動した。2008年12月以降、住宅ローン担保証券(MBS)や国債などの資産を購入する量的緩和策(QE)も導入。需要不足による物価の下押し圧力に対応するためのQEは2014年10月に終了するまで約6年間続いた。
有事 7
2014年
ロシアがクリミア侵攻
2月下旬に、ロシアがウクライナ南部のクリミア自治共和国に軍事侵攻し、ロシアに併合。ロシアの軍事行動に反対する米欧は資産凍結や渡航制限などの制裁を科し、地政学的な緊張が高まった。
有事 7
FRBの対応は?
ロシアへの経済制裁が限定的だったこともあり、金融政策の大きな転換はなかった。当時のFRBにとって、最大の課題は金融危機後の長期緩和からの出口戦略。クリミア侵攻が起きたのは、2013年12月に量的緩和第3弾(QE3)の縮小を決め、次のステップである利上げを始める時期を探っていたタイミングだった。騒乱のさなかの2月にバーナンキ議長からバトンを引き継いだイエレン議長(写真)は、「QE終了から6カ月程度」を経て政策金利を引き上げると発言。QEの段階的な縮小を続けたあと、2015年末には利上げ開始にこぎつけた。
有事 8
2020年
世界で新型コロナウイルス大流行
新型コロナウイルスの大流行でヒト・モノ・カネの動きが止まり、世界経済は大打撃を受けた。2020年3月には金融機関がドル資金を調達しにくくなるなど金融市場の混乱も深まった。危機再来を食い止めるため、日米欧をはじめとする各国・地域の政府と中央銀行は大規模な財政出動と異次元の金融緩和に踏み切った。米国の政策金利も実質ゼロに逆戻りした。
有事 9
2022年
ロシアがウクライナ侵攻
ロシアのウクライナ侵攻で、原油や穀物、貴金属などの資源価格が急騰。新型コロナによる供給制約で強まっていたインフレ圧力に一段と拍車がかかっている。米欧など主要国はロシアに対して国際銀行間通信協会(SWIFT)からの締め出しやロシア中銀の資産凍結、原油の輸入制限、高関税の付加など2014年のクリミア侵攻時よりも強力な経済制裁を発動。制裁に伴う痛みは主要国側にも波及する。
有事 8-9
FRBの対応は?
4月21日の国際通貨基金(IMF)春季会合でパウエル議長(写真)が発言し、ウクライナ侵攻について「欧州と比べると、米経済への直接的な影響は少ない」との考えを示した。通常の倍となる0.5%の利上げが「テーブルの上にある(選択肢となる)」と説明していた通りに、5月FOMCで大幅利上げを決めた。
利上げの仕組みとは?
金利の上げ下げで
景気の波を調節
米国の中央銀行であるFRBは「雇用の最大化」と「物価の安定」という2つの使命に基づいて金融政策を運営している。一般に中央銀行は景気が過熱すると基準となる金利を引き上げて、 企業や消費者によるお金の使いすぎを抑制し、景気や物価を落ち着かせる。 今回のFRBも、利上げによってインフレを抑え込もうとしている。景気拡大局面で金利を引き上げておかないと、景気後退局面が訪れた際の政策余地が限られてしまう。
景気拡大
景気拡大による需要の増加でモノやサービスの値段が上がるのは経済の健全なサイクルだ。ただ、景気が過熱気味になると、物価上昇に賃金上昇や価格転嫁が追いつかなくなったり、過剰投資がバブルの膨張を招いたりする。中央銀行は金利を引き上げることで、お金の流れを鈍らせ、過剰な投資や消費を冷ます。
景気減速
金利が上がると企業はお金を借りにくくなり、設備投資を控えるようになる。企業の利益は上がりづらく、労働者の賃金も伸びにくくなるため、モノやサービスの消費も減退する。
景気後退
需要が減り、景気が後退局面に入ってくると、金利は下がり、モノやサービスの価格にも下押し圧力が働くようになる。物価下落が長引けば、今度は企業経営や雇用が悪化し、消費も停滞する。中央銀行は金利を引き下げたり、世の中で出回る資金の供給量を増やしたりすることで、企業や人々がお金を借りやすくする。
景気回復
経済全体にお金が行き渡り投資や消費が回復してくると、モノやサービスの価格も上昇していく。ただ、日本のように金融緩和を続けても需要が伸びず、景気回復の勢いが弱いまま、デフレや低インフレが続くこともある。
景気の過熱度は?
消費者物価や住宅価格に
過熱サイン
現在の米国経済の状況をヒートマップを通じてみると、消費者物価や住宅価格といった項目の過熱感の強さがわかる。ヒートマップは各項目の指標が景気拡大を示す方向に動いた場合は赤、減速を示す方向に動いた場合は青で表示している。人々がモノやサービスを購入する価格を示す消費者物価は約40年ぶりの上昇率を記録し、住宅価格も1年前より2割高と急ピッチの上昇が続いている。賃金も上昇傾向にある。物価上昇を抑えるための利上げに経済が耐えられるかが今後の焦点になる。
原油価格は史上最高値圏に
- パラジウム
- 欧州の天然ガス
- 原油(北海ブレント)
- 小麦
ロシアやウクライナはエネルギー・鉱物資源や穀物の世界的な生産地。両国からの供給が細るとの懸念から、原油や天然ガス、穀物などの価格が軒並み急騰した。資源高が世界景気の回復を鈍らせる恐れがある。中国では新型コロナウイルスを封じ込めるための都市封鎖(ロックダウン)などで経済活動が停滞し、世界経済のリスクとなっている。
パウエル議長の発言を振り返る
物価上昇に拍車がかかる中、「FRBの金融引き締めは遅すぎる」との批判も出始めている。バイデン米大統領は3月1日の演説で「インフレが景気回復の恩恵を奪い去っている」として物価上昇への焦りをにじませた。2021年以降のパウエル議長の議会や記者会見などでの発言内容を振り返ると、当初は「一時的」とみていたインフレに対する見方を変え、利上げに急速にカジを切ったことがわかる。(写真=ロイター)
21年7月28日
21年8月27日
21年9月27日
21年11月30日
22年1月11日
22年1月26日
22年3月2日
22年4月21日
世界経済どうなる?
利上げ後に3つの試練
試練1資金の逆回転を招かないか
利上げは低金利を前提にした投資マネーの逆回転をまねき、金融市場に動揺を及ぼすことがある。典型例が2000年前後のITバブル期。FRBが1999年から利上げを続け、高い成長期待で買われていたハイテク株の相場が崩れた。2013年には当時のバーナンキFRB議長による量的緩和縮小の予告が「テーパータントラム」と呼ばれる市場の動揺を招いた。
試練2債務危機を招かないか
世界全体の債務
- 政府
- 金融
- 企業(金融除く)
- 家計
世界の債務は膨れ上がっている。国際金融協会(IIF)によると、2021年の世界の政府や企業、家計、金融機関を合わせた債務残高は303兆ドルと10年前の1.5倍に膨らんだ。政府部門の債務だけで世界のGDPを上回る規模。低金利下で企業も借り入れを膨らませた。
先進国の債務
- 政府
- 金融
- 企業(金融除く)
- 家計
金利が上がると利払い負担が増え、借り換えもしにくくなる。将来への投資が減り、経済活動が減速するおそれがある。
新興国の債務
- 政府
- 金融
- 企業(金融除く)
- 家計
新興国の政府や企業の債務も過去最大に。米金利上昇でドル高・新興国通貨安が進めば、返済の負担はさらに膨らむ。政府の借金である国債のデフォルト(債務不履行)や、中国不動産大手、恒大集団のように経営難に陥る例が出てくるおそれもある。
試練3通貨危機は再来しないか
米利上げの時期:1994年2月〜95年2月
3→6%
時期 | 発生した通貨危機 |
---|---|
1994年12月 | メキシコ通貨危機 |
利下げをはさみ5%前後の高金利が継続
1997年7月 | アジア通貨危機 |
---|---|
1998年8月 | ロシア通貨危機 |
1999年1月 | ブラジル通貨危機 |
米利上げの時期:1999年6月〜2000年5月
4.75→6.5%
2001年12月 | アルゼンチン通貨危機 |
---|
米利上げの時期:2015年12月〜18年12月
0.25→2.5%
2018年8月 | トルコ通貨危機 |
---|
米金利の上昇は新興国の資本流出にもつながりやすい。過去にも米国が高金利政策を掲げる局面で、新興国の通貨危機が繰り返されてきた。身の丈以上に債務を膨らませた国の通貨が売り込まれ、ドル資金の調達が困難になるおそれがある。
さらなる金融引き締めの可能性も
FRBが利上げに出遅れれば、さらなるインフレが世界経済に打撃をもたらしかねない。5月3~4日のFOMCでは約9兆ドルまで膨らんだFRBの保有資産を圧縮する「量的引き締め(QT)」も決定し、引き締めを急いだ。ただ、インフレへの対応が後手に回ってしまったために、景気後退を招くほどの引き締めが必要になるとの懸念も強まってきた。ロシアへの経済制裁による影響も読みきれない。FRBは難しいカジ取りを迫られている。