一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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 誰も知らない子守唄の由来 今回は田舎で書いているので、何の資料もなく掛けるものをと考え、8月7日のライブで歌ったオリジナル曲のことを書きます。もともと、私はあまり楽曲の解説は好きではなく、作品に語らせるのが大事、と思ってはいるのですが。

 

さよなら さよなら

あしたはきっと 会えるよ

ねえ 聞かせておくれよ

誰も知らない 子守唄

 

あの人も この人も

何も言わず 死んでゆく

 

さよなら さよなら

あしたはきっと 会えるよ

ねえ 聞かせておくれよ

誰も知らない 子守唄

 

星が降る 今日の夜

何も知らず 死んでゆく

 

私がこの曲を作ったのは、もう何年も前のことです。そのころ、私は、いったい自分が何になればいいのか、皆目見当がつかないでいました。今だってそうなのかもしれませんが。それは、私がいつも何かに乗り遅れたような感じで、普通の人と同じ青春を送ることができず、精神的に幼稚であり続けたためだと思います。そんな私の心の中にいつもあったのは、幻想的な夢物語、オカルト、ファンタジーの世界でした。今にして思えば、それは現実逃避でもあったのですが。

この歌を私に呼び起こしたのは、萩尾望都の「ポーの一族」という漫画の世界と、そして、星野之宣の漫画「妖女伝説」の中の「月」という物語でした。どちらも漫画界の巨匠の傑作と評価高く、今も版を重ねています。

「ポーの一族」の第1巻の中に、「透き通った銀色の髪」という短編があります。萩尾望都さんは、まずこの短編を書き、それからあの壮大な物語に着手することになるのです。

十四歳の少年が、隣の家に引っ越してきたメリーベルという十三歳の少女と知り合い、淡い恋心を抱くところから話が始まります。人々がひそひそ噂する、謎めいた少女とその家族。メリーベルは少年に、「今の両親は育ての親で、本当のおかあさんのことは何も知らない」と言います。そして、小さい頃に彼女を育ててくれたおばあさんが歌っていた、「透き通った銀色の髪」という子守唄を、少年に歌って聞かせるのでした。

 

透き通った銀の髪の 少女がいました

そのあまりの美しさに 神様は少女の時を止めました

それで 少女は今も······

 

ところがある日、突然に彼女はまた引っ越してしまうのです。少年はそれからもずっとメリーベルの面影を抱いて、どうして彼女をさらって逃げなかったのかと後悔しながら、何十年かがすぎたのです。

ある日、今日は銀婚式だからと花を買って帰ろうとしたあの日の少年-今はすっかりおじさんになっている-は、メリーベルにそっくりの少女と出会うのです。

「ああ、お嬢さん。あなたはあの人の、メリーベルの娘さんに違いない」

「メリーベルは私よ。私、自分を生んでくれたおかあさんのことは何も知らないの」

「ではあの人は同じ名前を娘さんに付けられたのですね。あなたのおかあさんのことをよく知っていますよ。そうそう、こんな歌を教わって……」

彼の口ずさむ子守唄。「あら、私も知っているわ」と歌う少女。「どうして?」と思った彼の前に現れた少女の家族は、あの時と変わらぬ人だちだったのです!そして彼女は、また彼の前から去っていくのです。微笑みと、甘い香りを残して。

ここまで書きながら、胸が苦しくなってきました。私が「ポーの一族」を読んだのは、もう二十年近く前のことです。私はあの頃からちっとも変わっていない。もうすっかり漫画を読まなくなってしまったのですが、今もこういう、魂を何十年も支配するような作品が生まれているのでしょうか。それらをきっとすべて知ることはできないだろうと思うと、またどうしようもない、焦燥感に似たような苦しさを覚えます。

ああ、世の中には、まだ私の知らない、もしも出会っていたら、きっと私をとりこにして狂わせてしまうに違いない、そんな音楽がいっぱいあるのでしょう。でも、私は死ぬまでに、それをいくつ聞くことができるのでしょうか。

「銀河鉄道999」のメーテルを思いだした人がいるかもしれません。この物語の中にも、かつて若きメーテルを愛し、今は年老いてしまった男が、昔のままのメーテルに出会う場面があります。いつまでも歳をとらない、そこのままの女性というのは、遠い昔からの人間の永遠の憧れなのでしょうか。

「月夢」いや、ここでやめておきましょう。大岡昇平も絶賛した「ポーの一族」。そして「月夢」。どちらも、決して読んで損はないと思います。

そして、この会報を読まれた方にお願いします。

私と似たような思いをあなたに起こさせた作品、漫画でも小説でも映画でも、知っていたらぜひ教えて下さい。

 

英語帝国主義を打ち破れ!  私は毎朝5時半~8時までビデオでテレビ朝日を録画しています。CNNとやじうまワイドを見るためです。この時間はまだたいてい寝ているので。CNNはアメリカのニュース専門テレビ局で、これを時間遅れで、日本語解説を付けて放映しています。アメリカを中心とした世界の情報が手に入ります。特に、日本で報道されない。ようなマニアックな記事がおもしろいのです。やじうまワイドは、その日に発行された日本の新聞記事を政治、事件、スポーツ、芸能と紹介していく番組です。もう何年も欠かさず見ています。

ところで、ちょっと前になりますが、CNNでいまアメリカのベトナム人社会で話題になっている女性歌手が紹介されていました。その人は若い白人女性で、ベトナムの流行歌をベトナム語で歌っていました。先日はベトナム公演にいって、大喝采を浴びたそうです。しかし、この人はベトナム語を全然知らず、しゃべれないのだそうです。

ま、日本語をまったく知らないアメリカ人歌手が、演歌を歌ってアメリカの日系人社会で評判を呼び、日本公演をやって大喝采を得る、といったところでしょうか。果たしてそういうことが起こる可能性はあるでしょうか。私は否定しきれないと思います。大部分の人は、「演歌の心がわかんなければ」と思ってしまうでしょう。でも、我々が外国語の歌を歌うときは、ほとんど五十歩百歩、似たようなものではないですか。

もちろん外国語をきちんと学んだ上で、歌えればそれに越したことはないでしょう。でも、その白人女性歌手は、ただただベトナムの歌が好きだから、というだけでそこまでいったのです。器楽曲のことを考えてみて下さい。言葉がなくても、思いを伝えること、心を込めることは十分可能なのではないでしょうか。

 

私の敬愛する芸術家・辻まことさんがこんな話を書いています。ある日ロンドンの動物園で、日頃はおとなしい人気者のゾウが、いきなり大暴れし始めたそうです。飼育係の人も、手が付けられなくなりました。そのとき、檻の外に集まった群衆の中から、一人の老人が進み出て、何やらつぶやきながらゾウに近づくと、このゾウは次第におとなしくなり、老人に額を擦りつけ、大粒の涙を流したのだそうです。

「あなたはゾウの言葉がわかるのですか」と飼育係に聞かれて、「私は軍人として長くインドに行っていました。インドのゾウ使いが、病めるゾウの魂のために唱える経文というのがあって、その効果をしばしば目にして不思議に思い、それを覚えました。いまその経文を通えることを思いついたのでした」と答えたというのです。

「言葉は人間に属したものだが、詩の言葉には赤ん坊の声よりも速く、鳥獣にまで、いやもっと遠くへ届く、生命の本源につながる響きが含まれていることを、この話は証明しているのではなかろうか」-辻まことさんはこう締めくくっています。

 

フジテレビのニュースキャスターだった山川千秋さん(故人)の著作、「日本人が見えてくる本」の中に、「日本人が英語を学んでいるのは、よく考えると不幸なことなのである」という章があります。山川さんは次のようにいっています。

“英語は日本人にとってもっとも難しい、もっとも関連性のない外国語だったのです。それを我々は、いちばん有用な外国語であると信じて習っているわけですが、これは日本民族にとって苦役といってもいいでしょう。

こんなに日本語と両極端な言語はありません。第一に、文法上での例外が多すぎます。それと言葉のリズムが問題です。英語という言語は、正確な発音というよりは、むしろリズムが大切なのです。イントネーションが波のようなうねりを持ったリズムです。これがなければ英語になりません。ニューヨークのオフィスで私が電話を受けたとします。「ハロー」の一言で、日本人かアメリカ人かが、百パーセントわかってしまいます。

ローマ特派員の友人がいうには、「日本人がある程度イタリア語を学んで、電話でイタリア語を口にしたら、イタリア人は絶対に相手を同国人と信じる」ということでした。文法はともかく、「語感」という点で、イタリア、フランス、スペインなどのラテン系の言語の方が、日本人の体質にあっています。私はロンドンでフランス語学級に通ったのですが、最初の授業のときフランス人教師に、「君は日本人か。それならイギリス人よりフランス語が上手くなる。私が保証する」と言われたことを覚えています。私は、英語がなかなか身につかない人は、ラテン系の言葉を学ぶことを勧めたいと思います。英語の地下威力もグッと高まります。”

私は別に、英語を軽視しているのではありません。それどころか、ますますこれからも英語は世界の共通語としての性格が強くなるでしょう。なんといっても、アメリカは第3次世界大戦(つまり冷戦)に勝利した「世界の王」なのですから。これは世界の常識です。それに、実際、英語は変化形をそんなに覚えなくていいじゃないですか。第2外国語をとった人は、皆英語をありがたく思ったはずです。ただ、アメリカ人が、英語をしゃべれない人間は、文明人ではないかのごとく振る舞うのが、気にくわないだけです。そして、外国人-特に白人と仲良くしゃべれることが特別なステータスのごとく思っている人たちのことを、不思議に思っているだけです。(英会話のCMを見ればすぐ分かります)

 

以前、郷ひろみがアメリカの映画に出演することになったとき、監督に英語が上手く発音できないことの不安を打ち明けたそうです。するとこのアメリカ人監督は、「おまえは日本人だろう、日本人がしゃべるような英語でいいんだ。何でアメリカ人みたいに話さなきゃいけないんだ?」と言われて、迷いから覚めたと言ってました。

湾岸戦争中のとき、朝のワイドショーで、当時担当していた内田忠雄さん(現ニューヨーク支局)が駐日イラク大使と、ものすごいカタカナ英語で討論していました(奥様向け番組でよくやるなと思いましたが)。これで通じるのです。相手も、英語を「お勉強」した人なのですから。

ハッキリ言って、私は日本語以外しゃべれません。ステージ実習やライブ実習ではいろんな国の言葉で歌っていますが、日本語の歌は難しいし、英語だとぼろがでるから、と言うだけです。私も今歌っているブラジルやフランスの歌に、日本語の詩をつけたりしていて(辞書を引きながら解釈することはできる)、将来的にはそっちで歌いたいのですが、やはりラテン系の言葉には、ある種の輝く魅力があるのです。日本語でもこれを出せるといいのですが、まだまだです。これには、歌唱力のほかに、文学的才能、そして直感的に言葉の響きを選びとれる能力が必要なのでしょう。日本語で歌うとテレてしまうということもあります。

私はいまだに日本を軍事的に制圧している(これも常識)アメリカをどうしても好きになれないのです。それで高校時代、英語の成績はすごく悪かった。だからといって、南太平洋で核実験を続けたフランスも好きになれませんが。こんなこと音楽と関係ないのでしょうが、どうも複雑な思いです。でも、それ以上に、外国語を学ぶことには大きな-比較にならないくらいのメリットがあるのです。

 

 

剥がれ落ちた夏

 

照りつける太陽の下 街はざわめき

視線も定まらず 歩いている

カッとした炎はいづこへか 今は一人

気だるい体 風の向くまま

温(ぬる)いコンクリートの中 吸い込まれてゆく

 

自分を失うと感じない

絶望さえ和らぐ未知の世界

遠く 近く 見えるまでずっと…

 

迷わず踏み入れた 白への招待

原色の空気包み込み

一瞬、どこにも属さない快楽へ導く

 

忘れかけた重力が

どす黒い影 真っ赤に染める

崩れかけた物体が

喘ぎながら冷たくなってゆく

 

知らない誰かに問いかけられた

伝えきれない想い

「こんなはずじゃなかった…」

めまぐるしい雑踏の中

彼女の言葉は消えていく(夏風 恋慕)

 

 

 自分探しの途中で いつも会報を読むのを、とっても楽しみにしています。会報には、先生方やみんなの歌への想いが、いっぱいいっぱい詰まっていて、呼んだ後は、数時間ぐらい感動の余韻が消えないほどです。いつも、「さらに上をめざしていこう」という気持ちになります。

歌と文章、表現の差こそあれ、自分を出したり、気持ちを伝えるという面では同じ。ストレートな文章に強く動かされます。

 

当初よりも、電車やバスの中で聞こえてくる声や、八百屋のおじさんの声ガソリンスタンドのお兄さんの声など、声に対して、以前より敏感になりました。仲間の声や歌を聴くことが、刺激になりました。

でもここに来て、一番プラスになったのは、自分が少しわかってきたことです。

私はここに、歌をならいに来ているというよりは、自分自身を探しに来ていると思っています。どのような音楽をやっていきたいのかとか、どのように歌うのが自分らしいのかといったことは、自分を知らなければわかりません。

私は、めざす方向がわからない状態で来て、試行錯誤の状態は変わりませんが、真っ暗闇の中にただ放り出されただけという感じではなく、懐中電灯をあげるから一人で歩いていきなさいといわれているような感じがします。

 

前に、「どうして私は自信がもてないのだろう」とバカみたいなことを書いてしまいましたが、何のことはない、ただ単に、練習が全く足りないからということに気づきました。福島先生の巻頭言を読んでいて、私は本気になって努力しているのだろうかと考えさせられました。人並みの努力しかしてこなかったから、自信なんてつきようもなかったのだと。

不安になったり、迷いが生じたりする暇もないほどに努力していきたい、これからずっと。そうすればむやみに泣いたりする必要もなくなると思います。

 

つれづれなるままに 会社の飲み会の席で音楽の話をしていると、直属の上司が、「今度WOWWOWでエアロスミスのライブを放映するみたいだぞ!」と言う。数日前に武道館のライブをみていた私は、すかさず「録ってください」とお願いした。(うちでは衛星放送&ケーブルTVは映らない)けれども、生中継ならともかく、やったばかりのライブをそんなにすぎにオンエアできるものだろうかと疑問を抱いていたところ、案の定、それはエアロではなく、ドゥービーブラザースのライブであった。ドゥービーも昨年来日していて、実際私もライブを観に行っていたので、それはそれで期待しながら、録ってもらったビデオを観た。ビデオで観ると、実際会場で観たときとは見方、感じ方が違うものである。例えば、自分たちのゴスペルコンサートでも歌った、ドゥービーの名曲、「Jesus Is Alright」が、ライブ会場では気づかなかったのだが、主旋律を歌わず、低音のコーラス部分しか歌っていなかったことに気づかされた。(実はこの低音部が主旋律なのかもしれない)

 

北海道のとあるローカル鉄道路線が廃止になった。その終着駅は、かつてTVドラマのロケ地に使われたところで、そのドラマを観ていた私は、廃止になる前に一度行っておこうと、昨年末の大晦日にその地を訪れていた。そのときは、人も閑散としていて、「ここがあのドラマのロケ地か」程度の感覚でしかなかった。

廃止の翌日、ニュース番組で特集として放映されているのを観た。そこは、かつて炭坑として栄えた街で、その繁栄期の古い映像が紹介され、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」がバックに流されていて、それが炭坑閉鎖の悲哀を妙に感じさせてくれていた。

その土地の時代背景を知ることで、自分が実際にその地を訪れたときとは、見方、感じ方が大きく変わってくる。最終列車が大勢の人に見送られながら、去っていく姿には、涙がでた。別れというものは、いつでも寂しいものだ。

 

ここに入ってはや2年がすぎ、私が入る以前からここにいた人や、同時期に入った人が最近ぽつぽつと去っていくようになった。去っていった人は、2年間、あるいは3年間で、それなりの何かを得たという実感を持って、ここを出ていったのだと思う。

でも、私はまだまだ納得のいくものを得ていない。今までの2年間は、やる気とだらけと落ち込みを繰り返しながら、過ごしてきた感が強い。そして、どちらかといえば、「だらけ」の比重の方が大きかった。「甘え」との闘い、それは今も依然として続いている。

バイトをしながらここに通っている人に、「会社員をしながら通うのは大変ですね」と言われる。確かに平日の一定時間を拘束されながら通うというのは、ハタから見れば、大変そうに映るのかもしれない。けれど、話を聴いてみると、バイトをしている人たちの方が大変そうである。

例えば、朝7時から仕事に入り、一日フルに働かないと生活していけない人、あるいは昨今の不況でバイトの待遇が悪くなり、週に多くの日数を入れられない人、なかなか次のバイト先が決まらない人など…。勤務中の仕事の密度や定収の面も考えれば、会社員である自分の方がラクをしていると思える。

だからこそ、もっともっと自分に厳しく「甘え」の気持ちを打破していかなければならぬ。ここに通う多くの人たちの気合いに負けないようにしなければならぬ。そして、早期に目的意識をしっかりさせなければ、また1~2年、現状のままでズルズルといってしまうことになりかねない。

私は2年前の会報でも「自分は甘いので、より厳しくがんばりたい」と書いている。常に頭の中ではそう思っている。それを実行に移すためのパワー、集中力、持久力がより一層必要である。

今年の夏は、久々に高校野球をよく観た。劇的な試合、すばらしいプレーの影には、日々のひたむきな練習が存在する。そんなことばかり考えながら観ていた。勝って校歌を歌っている球児たちを観ているときに一番、そのことを考えさせられた。

「人は結果しか見ない。結果を出すことが目標」。

先生の本に書いてあるとおりである。とにかく、日々練習あるのみ。

自分自身でヴォイスの何たるかが納得できる日。それが私がここを卒業する日である。

 

いい音楽が、好き!  私が聞かれて一番困る質問が、「どんな音楽をやっているんですか?」というものである。そのたびに言葉に窮するのだが、この質問はなぜだかどこにいってもポピュラーで、毎度「…」となる自分が、情けなくも滑稽で、苦笑せずにはいられない。

ここに限らず、普通は皆さん自分の世界をキッチリ持っていて、こういった質問にも、「メタルです」とか、「ジャズです」とか、「シャンソンです」とか、明確に答えられる人がほとんどだ。先日も企画ライブの前に、「今日はどんな音楽をやるんですか?」と聞かれて、答えに窮し、悩んだあげく、「あのおー、SMAPみたいなやつです」と答えたら、一瞬の沈黙の後に、大爆笑されてしまった。きっと彼の頭の中では、歌番組の中で、「HEY HEY おおきに毎度あり」を歌っているアイドルが浮かんだのであって、決してその曲の音そのものはカヴァーしていなかったに違いない。

もともと私は音楽に関して、節操がなかった。うちの家では、父親の書斎からモンクが流れ、母のいる居間からリヒテルが流れ、上の弟の部屋からはノヴェラが、下の弟の部屋からは中島みゆきが流れるような環境であった。私はそういう中で、家族の中では唯一、ジャズもクラシックもロックもニューミュージックも聴いていた。そればかりか、ブラコンもハウスもフュージョンもアンビエントも守備範囲で、聴かないのはせいぜいパンクくらいである。そんな私に、一つのジャンルを極めろ、というのは、かなりの難間であって、けっして意図的にこういう風になってしまったわけではない。長いこと、どんなバンドにも本腰が入らなかったのは、一つのバンドでジャンルが固定されることを、本能的に避けたかったからかもしれない。しかし、それはそれであまり動きやすい環境ではなく、一つのジャンルを極めている人と自分を比べ、結局自分には演れる音楽がないのではないかと思ったことも、1度や2度ではなかった。

 

比留間久夫の小説に、自己破壊願望と隣り合わせで、無茶苦茶な日々を送っている少年がでてくる作品がある。彼がそうなったのは、「バンドをやっていても、自分の中に歌うべきものが何一つないことに気づいてしまった」ことがきっかけなのだが、それを読んだ当時は、「そんなことってあるかね」というカンジで、よくわからなかった。しかし、今なら、何となくわかる気がする。そもそも私が歌い始めたのは、自分の中に歌いたいものがあったからではなく、たまたま必要に迫られて、という、きわめて消極的なきっかけからであり…つまり「ホントは、そういうはずじゃなかった」のだ。私は基本的に音楽の「受け手」であって、自分は「送り手」とは違うと思っている。いや、ぶっちゃけて言わせてもらえば、「受け手・送り手」という区分けは、私にとってあまり意味がなく、つまり早い話が、私は「音楽のファン」で、それ以上でもそれ以下でもないのを、自分で知っている。

実際私の頭の中では、あらゆるジャンルの音が勝手に回っていて、私はそのリスナーにすぎない。それを忠実に再現できる人を、一般に「天才」というのだろうが、再現する試みはそうそう上手くいくわけでもなく、また、たまに癇癪をおこして機材のせいにしたりという馬鹿なことも、一方では…やっている。

結局私にとっては、音楽は「音楽」であって、それが気持ちの良い音である以上、ジャンルに分けてアウトプットするという手法は、私には向かないのだと思う。(まったく…これは自分の音楽を他の人にシェアしたいという姿勢じゃねえなぁ)。

だから、きっと私はいろいろ寄り道しているんだろう。でも、世の中には本当にすばらしい音がたくさんあって、それをジャンルで分けて、食わず嫌いで通すことほどもったいないことはないと思う。聴いてみて、初めて気がつくことだってたくさんあるのだ。

今の私は、まだ「歌」そのものを自分以外の人に聴いてもらうことにも、なれていないし、(実際、本当に聴いてもらいたいと思っているのかさえわかっていない!)、ましてや「こういうスタイルをやろう」という観念もない。私が今必要としているのは、ただ、「音楽と共に在る」ことであって、他のことは本当のところ必要ではないのだ。「出来上がって」しまいたくない。だから、今は自分の音楽を「これ」と決めてしまうことは、よそうと思っている。

 

 

アメリカ遠征レポート LAX(LA AirPortのこと。石鹸ではない)に着いた。長い時間をかけてやっと入国する。迎えにきてくれた友人を見つけて、一心地。空港から一路、ステイ先へ向かう。暑いが、カラッとしていて、10倍くらい過ごしやすい。周りの車は思ったより新車が多かったが(ガイドには、古い車が多いと書いてあった)

時々、「よく走ってるなー」と感心する、スクラップ寸前の車も見ることができて楽しめた。全体的に乾いた土、緑の少ないガサガサの山、そして、下の方はスモッグで変な空気の色。時折見える、天を突くように伸びているパームツリーと、上の方は脳天気なほど青い空と白い雲、バカ広いフリーハイウェイは、「ああ、とうとう様々な人の多大なる協力と理解、そして返せそうにない借金とを抱いてここに来たんだなぁ」と私に認識させた。

友人が、「こっちの奴等、運転だけは急いでんだよなあ。仕事はのろいくせによぉ」と、無理な追い越しをしている車を見て、言う。なるほど、かなり無茶な運転をしている奴が多く、どーいう教育受けたんだぁ!!と叫びたくなるほどであった。

そうこうしているうちに、ユニバーサルスタジオにほど近い家に着いた。はっきり言って、いいお家だ。プールもジャグジーもある。奥さんは、私の部屋をだだっ広いプレイルームの一角に、シーツで区切ってつくってくれていた。わざわざタンスまで買っておいてくれていて、感動してしまった。ベッドもソファもおいていてくれて、すてきな部屋になっていてありがたいことだとしみじみ思った。

私がこの家でやることは、ベビーシッターと犬の世話と家の中のお手伝い。迷惑をかけないよう、自分のできることは、できる限りやるぞと殊勝なこと思ってみたりした。しかし一緒に暮らすので、猫をかぶっていても仕方がないので、わりと最初から、あのペースでやっている。だんなさんも、本当にできた人で、温かくて、すてきな人なので、そんな私を受け入れて下さる。子ども二人もすぐ慣れて、なついてくれたし、犬三匹も「もうええっ!」というくらいだし、猫二匹も、「認めたろー」といった態度で、わりとすんなりと野村家に入り込んでいけた。…と思う。

三日目に、近くのダンススタジオに通い始める。歩いて15分の近さで、大変うれしい。

そして最初の日曜日、さっそく、West Angeles Church of God in Christへ行った。

●GOSPEL

見渡す限り黒人で、ちょっとびびりながら教会へ入る。皆正装していて、かっこいい。わたしはちんけな東洋人。肩身が狭く感じた。聴き慣れない言葉と、見慣れない人たちの中にぽつんといたが、礼拝が始まり、音楽が始まると、それはどこかへ消えていった。

すごい。祈りとはこういうことか…。鳥肌が立ち、涙が出てくる。人間の生きるすべての祈りが込められている。GOSPELは祈りだ。誰のために歌うのではなく、もちろん自分のためにでもなく、ただひたすらに神へと歌っている。だからすごいのだと思った。神のことを信じていない人さえも感動させられるのは、彼らの純粋で切実な祈りからくる、情熱とエネルギー故である。

さてここで、GOSPELとは切り離せない「宗教」について触れておく。私の中の宗教は、押しつけるものではない。その人が生きていくのに、その宗教が助けになるなら、それでよいと思っている。つまり、宗教は元気に生きるための、自然体で入るための一種の哲学であると思う。様々な困難から立ち上がり、また生き続けるためのものであり、その考え方、感じ方は人それぞれなので、その人が自分の考え方、感じ方に合うものを選べばよいと思うのである。

結局、GOSPELは神への歌なので、神なしでは語れないのだ。歌詞も、「神よ有難う」とか、「神の中の神」とか、「あがめよう、称えよう」というものが多い。

たまたま私は、この教会と同じBaptistという一つの宗派のクリスチャンである両親の元で育ったので(しかし私はまだ洗礼は受けていない)、とても自然にこの歌の内容を受け入れられたのだ。そして、今迄に感じたことのないほどの感動というか何かを味わった。人間が信じて祈るという行為は、かなりのエネルギーになることにも驚いた。とにかく神への純粋な叫びである。また、今まで虐げられてきた人達の、たった一つの頼りどころ、神への悲痛な叫びも混ざっているだろう。いや、むしろそこから発展したのかもしれない。彼らの厚い(熱い)信仰で歌うので、今まで神にほど遠かった私でも、“Jesus Thank You”と素直に口に出せた。今までの様々な苦しかったことや、悪くしたことが、一つ一つ並べられていくような気がした。死んだ友人や死を待つ友人も思った。いろんな人も思いだした。そして、彼らの歌声に包まれて、感動してしまった。私も祈った。ここまで来れたこと、そしてここで歌えますように…と。GOSPELは祈りだ。私の祈りもいつか一緒になるといいな、と強く思った。

●Choir

初めてのリハーサルの日。ドキドキしながら行く。クワイヤーリーダーらしき人が、とてもにこやかに迎えてくれたが、後はとても何気なく、一緒に椅子を並べて座り、お祈りが始まり、練習が始まった。

本当にここにいていいのだろうかと思いつつ、皆が歌い始めると、何もわからないくせに、一緒に歌おうと、必死になっていた。歌詞が聴き取れなくて、ノートとぺンを持ったまま硬直していたら、隣のおばさんが、歌詞を耳元で教えてくれる。が、しかし!!英語の分からない私は、聴き取れなくて、さらに硬直。“How to spell? ”などと、ずーずーしく聞かざるを得なくて、冷や汗を流したが、一緒にやっていると、とても嬉しくなってきて、わかるとこなどは、一緒に大ノリして歌ってしまったのだった。

終わった後、何人かの人が、名前を聞いてくれた程度だったが、何となくうまく(?)もぐり込んだような感じで、「さあ!これから徐々になれていくぞー!」と思いながら、帰途についた。

●SING GOSPEL

毎回冷汗をかきながらやっている。子どもの時から耳にしてずーっとやってきている人達の中に、いきなり異文化(?)の奴が入ってもついていけないのは当然であろう。更に言葉もよくわからないときているから大変である。

まず、楽譜はない。全て口うつしでいく、歌詞も新曲以外は、もう皆の頭の中にあるので渡されない。聞き取ろうとしても日本語ではないのでちっともわからない。英語がしゃべれないので「書いてくれ」とも頼めない。そこで私はノートと鉛筆を取り出し、「う〜む」とうなる。耳をすまして書こうとするが、書けない…というシチュエーションを何気なく隣の人にわかるように少しおおげさに現わす。すると歌詞を教えてくれたり(でもやっぱりわからないことが多い)親切な人は書いてくれたりして、やっと歌詞がわかる。あとは必死についていくのみ。歌詞がわかってもなかなか歌までこぎつけるのは難しく、私はよく母音だけにあわせて歌ったりしているので、ずーずーしい奴だと思う。

それにしても、どんなに大きい声を出しても、自分の声は周りの声に掻き消されてしまう。幅と厚みのある声の中にいると、なんだか包まれているようでとてもいい感じである。そして皆のテンションが上がっていくと今までに経験したことのないような興奮と感動に包まれて、もう少しで切れてしまいそうになるくらいである。そしてとても自然に「THANK YOU LORD!!」と叫びたくなってくるのである。本当に鳥肌がたち、こんな遠くまでこの感じを味わいに来れたことを感謝せずにはいられなくなる。とにかく歌には地道に慣れていくしかないので焦ってはいないが、やはり多々、ついて行けなくて淋しい想いをしている。もっともっと一緒に歌いたいと強く思っている。ますますはまっていくのが目に見えているなあ。

●Choirの人々

英語も話せない東洋人に対し、メンバーは様々な態度で接してくれる。すごく親切な人もいれば、英語も話せないくせに…という感じの人もいれば、目に入っていない人もいるし、どうやって扱おうか…といった感じの人もいる。優しい人はとことん優しくて温かい。ハグもしてくれる。大きな体の人が多いのでハグはとてもやりがいがある。小さな子どもになったような気分になる。

今でも、挨拶もできずにいる人もいる。でもこれもまぁのんびりとかまえて少しずつ慣れていこうと思う。コミュニケーションがとれないというのかなりマイナスになっている。英語はしゃべれた方がいいと、つくづく思う。まだまだ居心地はあまりよくないが、歌っている時などは気にならないので、あまり気にしていない。とにかく、喋れない東洋人なので、なじむには時間がかかるであろう。しかし基本的に温かい人が多いようなので、帰る頃にはもうちょっとましになっていることでしょう。私もいろいろと働きかけてみようと思っている。

●LET'S DANCE

さてGOSPELはだいたい土曜日にリハーサルをして日曜日に歌うというのが多い。更にChoirは4つあるので毎週歌えるわけではない。そこで他に何をしていか…と言えば、ぬわんとJAZZ DANCEを始めた。BALLETはかじっていたが、JAZZ DANCEは舐めたぐらいだったので、この歳で始めるのはかなりしんどいものがある。しかしDANCE STUDIOが歩いて12分程の所に有りレベルもかなり低いので、あまりめげずに今のところ通っている。それにしてもいろんな人種がいて大変おもしろい白人黒人黄色人と色取り取りで髪の色も、目の色もいろいろである。…にしても何故黄色人だけ足が一般的に短かめなのだろうか?!ヴォリュームがある人も少ない。黄色人にしては私はよく育っている方である。(足はやはり短いが)

さて踊ってみるとこりゃまた大変!!ちっともついていけずに涙々である。1ヵ月たった今、レベル2はなんとかついていけるようになった(と言っても本当にこのSTUDIOはレベルが低いのである)。月~金まで毎日少しずつではあるが踊るようになったので、1ヵ月たった今、例えば右まわりのピルエットが時々ダブルでまわれるようになるとか、ステップを1つできるようになるとか、1mmでも足が上がるようになるとか、1秒でもルルベで長く立てるようになる等、苦しいが喜びもある。毎回毎回涙をのみながら(できなくて、みっともなくて、くやしくて)やっているが苦しさと楽しさが両隣で交互に顔を出して、う~ん、もうちょっと頑張ってみような…と思う。

 

 

BV座のライブ総括。一言で言うと、楽しみすぎた。実際、あの日をブチ壊しにした責任の何割かは僕にある。妙にテンションが高く、用もないのに声を上げ、叫び、盛り上げるつもりが、どんどん雰囲気を希薄にしてしまった。

自分のステージにも、その影響はもろに出た。声は浮き足立ち、表現は流れ、ピアノのミスタッチもいつになく多かった。自分で掘った落とし穴に、自分で落っこちたようなものだった。友人の結婚式の時のような醜いほどの意欲、勝負魂もなく、当然、某支部総会の時のような客席との一体感もない。なんともしまらないステージだ。

さらに悪いことに、3日後に観た当日のライブビデオは、不思議なくらい、ふつうあり得ないくらいよく録れていて、「なんだ、当日現場で感じていたほど悪くないじゃないか」とすっかり安心してしまった。

その油断が、次の日のステージにも出てしまったといえる。そして、初めて黒字になったという安堵感が、ダメ押しを加えた。プロが聞けば、腹を抱えて笑ってしまうような、低い次元で気がゆるみ、おごり、慢心のようなものがちらついてしまったようだ。

やはり「お祭り」で終わらせるわけにはいかない。「まぐれ」をあてにしているわけにもいかない。一本一本、すべてのステージに、もっと執着しなければならない。そして、ステージが日常であり、常に「本番」という意識を持っていかなければならない。

これからステージの機会はどんどん増えていくであろうし、また増やしていきたいと考えている。増えた分、一本一本の中身が薄くなっていたのでは、話にならない。数をこなした分、本当の意味でのキャリアとして蓄積されていくものを創り出していかなければならない。

もちろん、百発百中、全戦全勝というわけにはいかないかもしれない。しかし、そこにそのような高い意識があれば、失敗が文字どおり失敗として流れていくことはなく、教訓として、より一段高いレベルに僕を押し上げてくれるだろう。

あまりできのよくなかったBV座ライブにおいても、多くの方から、いろいろな感想を聞かせていただいた。特に会場の後かたづけの後や、打ち上げの帰り際など、「谷間」の場面で、個人的に、一対一で声をかけてくださった方々の言葉はありがたく、そして厳粛に受けとめておかねばなるまい。

僕は小さい。まだまだ弱い。いつになったら一人前になれるだろう。

とりあえずこの秋、冬に一皮むけられるように、たくさんお陽様を浴びておくことにしよう。

 どうして私は自信がもてないのだろうかと思ってしまいます。ライブの反省なのですが、緊張して自分が出せなくなるというのは、ライブで歌うことになれていないからというより、自分に自信がないからだと思います。

私はステージ実習で歌うときも、出だしがダメだと、最後までダメなのですが、この日もそうでした。最初から最後までうわの空で歌っていたような感覚が残り、完全に煮えきらないライブでした。

家に帰って、録ったテープを聴いたのですが、やはり予想通りひどすぎて、ショックでした。音は10ヶ所ぐらいはずれている上、のど声で、声の深みがほとんどなく、何より伝えるものが全く何もなかったからです。こんな歌なら、車の騒音を聞いていた方がまだ心地いいような気がして、愕然としました。

でも、一つだけ良かった点というか、収穫はありました。自分の実力のなさを、改めて再確認できたことです。今一度、熱い気持ちを心に呼び覚まし、授業にもできるだけたくさん出席していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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おすすめ 活動報告

 

8月25日、市川クラブG10

 

9月8日池袋サイバー

 

山下達郎

 

5/2シングスシュガーベイブ(CD)

 

キャンディ・ダルファー(中野サンプラザ)

 

4/28コーネリアス

 

5/2ゴスペルインザナイト

 

リチャードマークス(NOW AND FOREVER)アルバム。2500円

 

5/1渋公 久松史奈

 

6/8カサンドラウィルソンClub QUATTRO

 

7/23(土)クロコダイル(渋谷)でライブ

 

6/15UFO 

 

7/18?スティーブルカサー

 

9/16 PINK COUD(char 日本武道館

 

STONE TEMPLEの「パイロッツ」のCD

パールジャムとニルヴァーナをたして2で割ったようなもの。

 

ライブハウス「J」

 

スタレビのコンサート

 

6/28コンサート(小田急玉川学園前)

 

7/9渋谷アピア(オーディション)

 

6/22CE CE PENISTONのライブ

 

6/24鈴木聖美

 

7/3ミルバ  

 

7/9タンゴアルゼンチーノ 

 

8/1チャカカーン

 

9月佐野元春

 

7/18スティーブルカサー

 

ボストンの新譜

まだ変わらぬ音、曲が今いちかな。

 

6/29厚生年金「Mama I want to sing」

 

7/4神奈川県民ホール、ミルバ

 

7/7ブラックミュージカル

「ママ・アイ・ウォント・シング」愛知厚生年金会館

 

パリ祭(シャンソン)

 

鈴木彩子のライブ

 

トレーニーレイン、7月13日発売のCD

 

ミルバ

 

Blue NoteでJoe Lovano

 

下北沢のタウンホール ジョイントコンサート

 

8月1日にチャカカーン

 

7月のHolly Cole

 

7/18スティーブルカサー

サイモン・フィリップスのDr.が楽しみです。

 

「ブッタ、再遊のメカニズム-拡大せし認識領界」

(山口修源著)これはいわゆる仏教の解説を科学的に解明したものなのですが、それほど、宗教くさくなく、心理学、量子学、分子生理学など、さまざまな立場から考察したもので、かなり難解ですが、興味ある人には、是非、読んでいただきたいと思います。

 

グレン・ジョーンズ サウンズ・オブ・ブラックネス

 

ミニー・リパートン

 

Dionne Warwick、

 

橘いずみ

 

リチャードマークス

 

スティング

 

ロッドスチュワート

 

ブライアンアダムス

 

スティービー・ワンダーのバラード

作曲をやる人にはコードの動きがすごく勉強になる。

 

「天使にラブソングを2」

これをみると「チクショーッ!!」と思います。

 

ポンキッキーズのオープニングにかかっている斉藤和義の「歩いて帰ろう」

気に入って、LDを買いました。

 

CHARAの「罪深く愛してよ」

 

ウーピーゴールドバーグの映画「天使にラブソングを」

ためになるでしょうか。

 

スティーヴィー・ニックス

ニューアルバム、「Street Angel」

 

「SISTER ACT II」の「Oh Happy Day」

サントラを買いました。

 

TAKE6の「クリスマスソング」

 

Mr.Bigのエリック・マーティン Thunder

 

ビートルズ大好き人間柏駅近くにビートルズのでかためたサ店

BGMはもちろん、店の中もビートルズの思い出でいっぱいのお店があるそうです。

 

「フィラデルフィア」

海外の作品は出ている人たちがとてもいい声をしているので、ヴォイストレーニングになる。(トム・ハンクスの声がよかった)。

 

マライアキャリー

 

SKID ROWのSKID ROW

 

ディビィッドシー

 

フェア・ウォーニングの「ライヴ・イン・ジャパン」アルバム「SUKIYAKI」

絶品です。

 

トリーネ・レイン

7月中旬に日本デビューアルバムが出るそうです。(輸入盤を買ってしまいましたが。)エリックマーティン(MR.BIG)、秋に来日するらしい。チケットがとれればよいのですが。

 

スティーブルカサー「キャンディマン」のCD

まずセンスがいい。ギターのフレーズが素晴らしい。このままTOTOのアルバムに加えたい曲がずらり。

 

「寺山修司から高校生へ」

高校生とのやりとりを書いた本なのですが、高校生じゃない僕が読んでもとても意味深く読むことができました。

 

映画「ROSE」

ずっと気になってたのに、おいしいものは最後にとっとくって感じで観てなかった。観ながら、違う違うJANISじゃない。これがJANISの伝記映画だなんて許せない。お前らホントに愛してんのか。JANISは絶対、こんなふうに歌わない。ベットミドラー、君のこと好きだけど、これだけは間違ってるよって思いながら観た。その後すぐ、JANISのテープをきいた。そしたら何だか不思議だけど、前よりももっとJANISが生身のフツーの人間な気がした。ちょっとだけ神様じゃなくなったけど、すれでも私にとってはやっぱりJANIS。

 

「あるみ缶」

 

ジャネイ、シーシーペニストン

 

「POWER OF LOVE」

最近、FENで流れていた。

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