幼なじみと会い、父を思い出す
幼なじみの親友が、家族で我が家に遊びにきてくれた。
著書にサインして彼の息子たちにプレゼントしたが、そんなことをしながら父のことを思い出していたからだろうか、久しぶりに父の夢を見て早くに目が覚めた。
それで早朝から追悼文集を開いてみる。むしょうに懐かしい。
私は文芸を志し、作家の道に入って今年で二十五年になるが、その間私の常にお先まっくらな人生を支えて来たのは頑固な反抗精神という一本の糸であったとしか思えない。文芸の道は母性愛や友情といった甘ったるい支えはほとんど頼りにならないからいっそわかりやすいのだが、本当をいえばどの世界だって同じことなので、たとえ子供がどのような道をえらぼうとも、常にひとりで荒野に立つことになるのだから、そこで風雪にたえて行くためにはどうしても反抗精神というものが強烈でなければならないと私は思うのである。
つまり私は自分の子供たちに、やがて父に背き、母に背くことを望んでいるわけで、これは親としてはまことに間尺に合わないことなのだが、人間の幸福というものを考えた場合結局、そうなるよりほかはないという気がするのである。
以下は僕が十八歳になったとき、父からもらった手紙の一部だ。
君の誕生について、父である私は、実を言うとそれが君にとって本当にしあわせであるかどうかについて自信がなかったのだ。(中略)
やがて一九四〇年いよいよ大学に進むときに本当に最後の戦争がはじまり、西洋の書物が丸善の店頭から姿を消した。そのときフランス文学を一生の仕事にしようとしていた父はそれから以後一体なにをたよりに毎日を生きることができただろう。
今になって考えるとその絶望的状況に耐えられたのは父の若さと青春であったとしか思えない。
はじめて力をこめた論文が発売禁止になり父の文学青年としての一生は閉ざされ、そして明治神宮での学徒出陣の壮行会から、どしゃぶりの雨の中を銃をかついで三田の山上まで行進させられたとき、父の生命さえもう自分自身のものではなくなってしまった。
人類の未来というものが、もし父のようなものでしかないのなら、君は生まれてこないほうがいいのではないか・・・・・そう父はいくどもいくども思った。