ロングテール論の修正と「AmazonとGoogleの違い」

Long Tailの提唱者Chris Andersonが自身のBlogで「A methodology for estimating Amazon's Long Tail sales」というエントリー
http://longtail.typepad.com/the_long_tail/2005/08/a_methodology_f.html
を8月3日に書いた。

One of the most quoted statistics in my original article was the data point that 57% of Amazon’s book sales are in the Long Tail, defined as beyond the 100,000 books available in the typical Barnes and Noble superstore (we sometimes used 130,000, which is the inventory of its larger stores).

彼のロングテール論が脚光を浴びた理由は、この「57%」という数字が衝撃的だったからだ。ただ、アマゾンは売上数字のブレークダウンを公式発表していなかったから、あくまでも推定の数字であった。MITの研究者チームが、アマゾンの公表数字からのリバース・エンジニアリングを行って推定されたとある。
ロングテールが話題になるにつれ、この「57%」という数字が大きすぎるんじゃないの! 眉唾じゃあないのか! という議論が起こり、このエントリーで

The bottom line: his research with aggressive assumptions puts the Long Tail (titles beyond the top 100,000) at 36% of Amazon’s book sales. Conservative assumptions, meanwhile, put it under 20%. Cross-checking it against Amazon’re book revenues seems to suggest something in the mid-to-high twenties. In either case, it’s certainly less than 57% and even 39%. But the Long Tail still appears to be somewhere between a quarter and a third of Amazon’s book business, which is a significant fraction by any measure.

というふうに修正が行われたのである。「57%」から「36%」へ、あるいは「20%台後半」へ下方修正された。詳しい数字は原文を当たってください。確かに「57%」よりも「1/3から1/4」くらい、というほうが理解する側としてはしっくりと来る。現実に近いのではないかと思う。でも、
「たかが1/3か1/4なのか。さんざん煽っておいて何だ!」
という声が上がるのは当然のこと。僕も以前、このChris Andersonの「57%」という数字を参考資料の一つに「ネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何か」
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u103.html
という文章を書いたので、この文章には「最新研究資料によるアップデートが必要」であることを付記しておきたい。
しかし冷静に考えるべきは「仮に57%ではなくて36%だったとしたときに、確かにインパクトは小さくなるだろうけれど、ロングテール論には全く意味がなくなるのだろうか」ということ。そんな問題意識で「The 80/20 Rule Revisited」というエントリー
http://longtail.typepad.com/the_long_tail/2005/08/the_8020_rule_r.html
が8月9日に書かれた。この内容については、日本語による解説「ロングテールから上がる売上や利益はまったく新しく付け加えられるものだ」
http://d.hatena.ne.jp/kawasaki/20050812/p4
をご参照ください。
さて、この「The 80/20 Rule Revisited」で欠けている視点がある。それは「AmazonGoogleの違い」と言うこともできるが、ロングテールが「厖大な数だが有限」(Amazon)なのか「無限大」(Google)なのか、という問題である。
「無限大」という言葉は誤解を生むのを承知で使っているが、Amazonロングテールはいくら数が多くても商品在庫であるから数えることができる。一方、GoogleAdSenseにおけるロングテールは、むろん厳密には「人口」とか「ウェブサイトの数」というようなものとリンクしてくる有限性であるが、事実上どれだけ裾野が広がっているのかよくわからないタイプの有限性である。一応これを「無限大」と文系的センスで呼んでおくと、ここには実に大きな違いがあるのだ。
Amazonの場合、「商品になる」というスクリーニング、つまり「何者かであると誰かに認められる」というプロセスを経た「厖大な数だが有限」なアイテムを扱っているが、Googleの場合はそうではないのである。
僕の直感としては、ロングテール論は「厖大な数だが有限」のAmazonで説明するほうがわかりやすくてよかったが、真の意味は「無限大」のGoogleのほうで出てくるのだと思う。
ちょっと話が脱線するように見えて、最後は脱線しないので続けて読んでほしいのであるが、「丸山茂雄の音楽予報」
http://d.hatena.ne.jp/marusan55/
はてなダイアリーで始まった。産業界の大御所、大ベテランのBlog参入は素晴らしい。内容も充実している。まだ始まったばかりなので是非第一回に遡って読んでいただきたいと思うが、その中で、8月8日の「配信もいいけどインターネットを新しい物を生み出す道具として使おう」
http://d.hatena.ne.jp/marusan55/20050808
の中に、こんな文章がある。

アップルコンピューターが日本でスタートすると言う事から、日本のマスコミがこのところ、どのサイトが優位で、どのサイトが劣勢になるかと言った話や、どのサイトが100万曲を用意したが、このサイトはまだ20万曲しか用意していないとか、そんな話で持ちきりです。でもこういった話題の中に、音楽のにおいがまったくしません。ビジネスとしては、音楽を数量で推し量ることも必要ですが、それは音楽ビジネスの、一面にしか過ぎないでしょう。
音楽ビジネスを担う人達が、インターネットの利用の仕方を有料配信のところにだけ焦点を当てている事に、大きな不満を感じています。(略)
『配信』には新しい物を生み出すという、思想は何も無く、過去の財産をどの様に運用するかと言う、まるで金融業者が、お金を取り引きしている様に見えます。
インターネットを使って、新しい音楽を生み出そうという試みを、もっともっと考えていきたいと思っています。

この文章における「配信」と「新しい音楽を生みだそうという試み」の違いが、まさに、ロングテール論における「厖大な数だが有限」と「無限大」の違いに呼応しているのだ。
既に「商品」になっている音楽、つまり、これまでのやり方で「商品」だと認められるというプロセスを経た「商品としての音楽」を「配信」するというのは「厖大な数だが有限」ということになり、ロングテールの効果も限定的になる。でも「まだ何者でもない」不特定多数「無限大」にまで対象を広げて「新しい音楽を生み出そうという試み」こそが、ロングテールの裾野を広げ、より大きな可能性を拓くのである。インターネットはそういう方向に進化しているのである。それが僕が「ウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まる」
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u105.html
のなかで「総表現社会」がこれから到来するのだと指摘したことと全く同じである。
さて最後は余談。
このエントリーの2日後に書かれた「私のプレゼンはくどくてわかりにくい?」
http://d.hatena.ne.jp/marusan55/20050810
という文章が面白い。丸山氏が新事業「mF247
http://mf247.jp/prospectus.html
をCCCの増田社長に説明したときのエピソード。

今年の2月に増田社長に、概略を説明して感想を聞いたとき、増田社長は『インターネット時代の、ある種の新しい正義を実現するかもしれないから面白いね』、と言ってくれて大いに気をよくした事を思い出しました。
ところが、スタッフにはうけなかった様で、増田社長はニヤニヤ笑っていました。
mF247はどこで儲けるのか、というのがわかりにくいので、まじめなスタッフは、首をひねるばかりです。(略)
増田社長が最後に言ったのは、『丸さん、情熱で押し倒すしかないよね。 』 と言ってくれたんですが、『う〜ん、褒めてくれたのかどうなのか、わからなくなっちゃってまいったな〜』。苦笑

増田氏や丸山氏のような日本には珍しいビジョナリー型経営者と、首をひねるばかりの「まじめな人」、つまり「事業が回転し始めて、やるべきことが決まったところではじめて力を発揮する人」の違いが、この文章に、如実に現れている。