『四月は君の嘘』21話の演出を語る

脚本:吉岡たかを
絵コンテ・演出:倉田綾子、柴山智隆
作画監督:野々下いおり、小泉初栄、門之園恵美、高野綾、河合拓也、ヤマダシンヤ、浅賀和行(演奏)、愛敬由紀子(総)


Aパート、公生がかをりの見舞いに行くシーンの演出を見ていきたいと思う。ここでは、「縦/横」や「ワン/ツーショット」、「想定線からの距離」、「BGMのON/OFF」などを切り替えながら、ストーリーに寄り添った演出が展開されていく。まるで揺れ動く公生の心情に沿うかのように「縦/横」が入れ替わり、BGMがOFFになる隙間にかをりの言葉が落とし込まれる。



かをりからの手紙を読む公生。彼女の文字が目に入った途端に、教室の喧騒がフェードオフし、BGMが流れ始める。同時に通常光から逆光へ、フィックスからトラックバックへ、寄りから引きへ、というふうに前後で演出に差を出し、ムードを一転させる。



病室に来る公生。彼に対しておちゃらけるかをり。二人を「横の構図」と「切り返し」で繋ぐ。続くシーンでは、二人の想定線にカメラが少し寄る。

暗然とする公生にぬいぐるみを投げつけ、怒るかをり。こうした雰囲気の変化に追うかのように、カメラ位置が想定線に若干寄り、アングルが気持ち変化する。「横」的なアングルから「縦」的なアングルへ。「関係性」を問うシチュエーションにおいて「想定線」への寄り/引きという演出を画面に持ち込む。



かをりを背負い、病院の屋上に向かう公生。ここで二人をツーショットではなく、ワンショット的に撮り、続くシーンで

綺麗にツーショットを見せる。相手を意識した会話から、雪を見て感動するという純粋な反応へ。その変化を「ワン/ツーショット」が表現する。背景色、ライティングもあわせて明るいものとなる。ここに一つのアクセントを持ってくる。そして、「雪だ」というかをりの言葉に合わせてBGMが一瞬止み、

続くカットで曲調が一気に盛り上がる。そこにかをりのアップショットをしっかりと合わせてくる。ここにひとつのピークをつくる。髪がなびき、吐息を吐く。表情の変化を克明に描く。



ピアノを弾いていないという公生に対し、「やっぱり」と答えるかをり。彼女はここで公生に目を向けない。逐一目を向けずとも会話はちゃんと成り立つ。かをりはそれほどに公生のことをよく理解している。



公生にとって、音楽は大切な人を連れ去っていくもの。回想を交えながら、公生の母やかをりとの回想を「じわTB」で挟む。絵がじわじわと引いていく様子が、公生のいう「連れ去る」という言葉とシンクロする。



対して、かをりは「私がいるじゃん」と言う(3話と同じセリフ)。ここで狙ったかのようにBGMが一瞬止み、かをりの言葉だけがクリアに響く。強調したい言葉が強調されて伝わる。『君嘘』のBGMには言葉をいれるための「無音の隙間」がある。そこに向けて尺を合わせしていく。絵のために音楽があるのではない。音楽のために絵がある、とでもいうような演出の組まれ方だ。


そしてここでカメラがかをりの真正面に初めて来る。カメラが想定線上に綺麗に乗り、その先にいる公生へ、最も伝えたい言葉がストレートに届く。想定線上にカメラを置くことで、「誰から誰へ」という方向性が強烈に明示される。その言葉を聞いた公生は心を動かされ、かをりの方を振り向く。ここでようやく二人の視線が交わる。



視線が交わったのを境に構図が「縦」から「横」へと切り替わる。これまでは視線をこちらに向けるために「縦」だった。しかし今は違う。向き合っている今、ふたりは「横」で繋がれる。



瞳が潤み、手が震える公生。こういった震える挙動には「本心」が潜む。かをりの「抗わないの?」という言葉に対して、こうした公生の反応をていねいに切り取っていく。



公生はかをりから視線をそらし、構図は「横」から「縦」に戻る。奥には病棟。空を見せない、どことなく閉塞感のある構図だ。先ほどの「横の構図」の時と違い、背景が突き抜けていかない。



煽っているが、公生のアップのため空が隠れる。顔には影が落ち、空の色も他のカットより暗みを増している。



後ろから公生を見るかをり。縦の構図で見せる。しかし、すぐそばに寄り添っているかのように、二者の配置は望遠的に圧縮されて映される。彼女が公生のことをしっかりと思ってくれていることが伝わる。



立ち上がるかをり。空をはっきりと映しつつも、彼女自身の顔は映さず、代わりに四肢の動きを見せていく。表情が見えないことで、イメージが固まりきらない。演奏家は言葉ではなく、演奏で語るもの、あるいはそういったことを表現しようとしているのかもしれない。

かをりは一心不乱に腕を動かし、演奏の素振りをすることで、公生へ思いを伝えようとする。



演奏後。「奇跡なんてすぐ起こっちゃう」という言葉を演奏が止んで、次のBGMが鳴り出すまでの間に置く。そして雲間から光が差し、先ほどよりも明るさを増す。このシーンでは、屋内、屋外、天候の変化の三段階でライティングを徐々に明るくさせている。無論、その変化はストーリーにしっかりと沿ったものだ。



演奏を終えたかをりから公生への切り返し。煽りながら、しっかりと空へ抜けていく構図(これまでのように公生の顔で遮らない)をとり、暗澹とした様子から一転させる。そして、ここではっきりとカメラが想定線を越える。想定線を越えたことで、公生とかをりの上手下手(かみしも)が入れ替わる。ここまで、かをりが公生に喝を入れたり、励まそうとするたびにカメラが想定線の側に寄っていた。それが今は乗り越えた。ここから彼女の公生に対する態度が変化する。一線を超え、彼女の「本心」「想い」「願い」が顕わとなる。



FIXがメインだったところをここで2カット連続のPANアップ(ティルトアップ)。かをりから公生へカメラが向かうのに合わせて、かをりの言葉が公生へと伝わっていく。重要なシーンではカメラワークをちゃんと付ける。「上向き」というのも重要だろう。かをりのポジティブな言葉はPANアップで撮るべきだ。



ここからはクローズアップの応酬。どんなに二人がそばにいてもツーショットに引かない。切り返す。シーンラストをアップの連続によって情感あふれる場面へと彩っていく。



かをりが涙声になりながら「一人になるのが恐い」と繰り返す。そして、かをりの手に落ちた雪が溶け、下へ滴る。しかし本当に滴り落ちたのは雪ではなく、かをりの涙だ。だがここではあえて、涙を流す顔ではなく、雪を見せる。映像に嘘をつかせる。しかしその嘘はまぎれもなく美しい嘘だ。

続くカットでかをりの泣きじゃくる表情をアップで映す。「嘘(雪)」から「本当(かをりの涙)」へ。この移行はいかにも宮園かをりらしい。彼女の美意識にモンタージュが寄り添っているかのようだ。



最後は、公生のモノローグにあわせて、かをりの演奏後の表情をアップで持ってくる。回想の絵ではあるが、シーンエンドはかをりの泣き顔ではなく笑顔で終わらせる。「彼女は美しい」という公生のモノローグとともに、かをりの美しい姿を映す。泣き顔は見せない。これもまた嘘なのだけど、こういう嘘もあっていい。そして、BGMが止んだ一瞬に「雪の中の君は美しい」という公生の言葉をのせていく。そこに“ちゃんと”合わせる。ふたたびBGMが流れ出したときには、絵は次のシーンへと移行している。


かをりは公生のために「嘘」をつき、明るく振舞おうとするが、最後に感極まって泣き出してしまう。しかし、そんな泣き顔を覆い隠すかのように笑顔の絵でシーンを終わらせる。この終わりを望んだのは他でもない公生自身だ。こうして彼はある意味では「嘘」の上塗りをする。嘘をつくことで美しくあろうとする。彼らは美しい嘘を肯定する。演奏家として、本心もなにもかも、すべてを飲み込んで渾然一体となって、そして嘘をつくことで、彼らは前へと進んでいく。