ざわざわとどきどき

 

 

 

私は主観が強すぎるからか考察とか予想とかができないのでカムバの時はいろいろ出揃った上でそれらについて考えようと思っている。そうゆう人なのである。なのでこれまで心のざわざわをぎゅぎゅっと押し込めてきた。なぜって、全貌を見ないと何を表現しようとしているかはわからないのだから、そのざわざわだって私の早とちりや早合点である可能性が高い。1/6を待つしかないんだよ!と自分を落ち着かせてきた。けど、昨日また新たな文言を目にしてざわざわ度が上がってしまった。どうしよう。どうするもこうするもリリースされたものを受け取るだけなんだけどどうしよう。あの、金色のメダルとかwinnerとかってなんでしょうね?メダルって褒めるとか認めるとかオリンピックとか子供の遊びのアイテムとか、金色って1位とか優勝とかが私の頭の中には浮かんでくるけど、なんでおにゅさんは金色のメダルを持っているんですかね?プレス記事には「想像の中のオンユはソロアーティストとして輝く成果を達成するという内面の遠大な抱負を金色のメダルで表現した。」とありますが何かを成し得た自分のメタファーなんですかね?願望や希望なのかな?そうでもなくてただそう叫ぶことに意味があるのかな?でもなんでそれをメダルで表現?また、昨日만세の曲紹介(?)で「『皆さんが勝利者です。 今生きている皆さんが勝利者です。というメッセージが込められていますので。 いつでもどこでも幸せになってください』とおにゅさんが話したからタイトル曲は「winner」だろう」、というツイートを読んだ。「人生」と「勝つ」という言葉が並んでるけどなんだろう?心がざわざわしてちょっとぞわぞわもした。個人的な感覚の話。「勝利者」にどんな意味が含まれてるのかまだわからないけど、ポジティブに捉えても、ネガティブに捉えても、その言葉の強さが私はちょっと怖い。「winner 」も「勝利者」も私にとってあまり馴染みのない言葉なだけかもしれない。私のイメージが貧困なのかもな。あのおにゅさんのことだからその言葉をそのまま表現してるんじゃないかもしれない。いや、なんだっておにゅさんが今表現したいものを自由にやればいいんだよ。やっとそうできるようになったんだから。こんな間隔でセルフプロデュースアルバムを出すなんておにゅさんはすごい。でもそれは同時にその作品によってよりおにゅさんを知るということになるからどきどきしてしまう。良くも悪くも。そしてそれは作品の良し悪しということではなく、私個人がそれらについてどう思うかということ。単純に言えば好きか嫌いか。そんなどきどきを抱えきれずに、待てば答えが出てくる問いをここにぶちまけました。すいません。すぐに消すかも。でももちろんすごく楽しみでもあるのです。おにゅさんとグリフィンさんのことだから「え?そうゆうことなのね!」って私の安直な想像を吹き飛ばすカムバが来るだろうとも期待してる。おたくはほんとうに身勝手。

 

 

 

'만세'ってなんだろ?

 

 

'만세'がリリースされ音源を聴き、歌詞を読み、MVを見てすごく混乱した。感情も言葉もなにもかも「これ」と選ぶことができずにメソメソしながら寝た。だって「난 행복해!」と叫ぶteaserのおにゅさんを見て、最近のおにゅさんから感じるような「明るく元気でHappy」な曲がやってくると思ってたらそうじゃなかったから!!!歌詞を読んで私の中でだいぶ影が薄くなっていた「ナイーブさを隠しきれない少し前のおにゅさん」がむくりと立ち上がってしまった。「난 행복해!」をそのまま受け取るつもりだったのに、歌詞のいろいろから今までのおにゅさんを勝手に重ねてしまい「난 행복해!を今のおにゅさんとしての宣言ととってもいいんだろうか...」とぐねぐねと考え始めてしまった。あの歌詞を読んで何も思わない人はいないのにさ。 私の悪いくせだと思う。

 

 

Twitterで「いろんなことはわかったうえで」「一周まわったうえで」あえてのポジティブな発言なんだろうなと思うポストを見かける。私はそうゆうのあんまりできないから…見るたびに「大人だ。かっこええ」と思う。すぐに嫌な空気が充満してしまうSNSで、場を醸成するために発されているようなポジティブ。おにゅさんの味方になるって、特別なにかをオーガナイズしたり声高に呼びかけたりしなくてもできるんだな。愛情表現っていろいろあると思うけど、すぐネガティブに寄ってしまう私はその人たちの言葉に気づかされることが多いし、そのおにゅさんへの愛がすてきだなと思う。

 

 

かっこいいのにすごく美しくて、また新しいおにゅさんの曲だよね '만세'。

AメロはR&Bな低音を貫いてて渋くて力抜けててかっこいいし、Bメロの広がっていくコーラスにのる高音は一気に叙情的な美しい雰囲気を運んできて「このおにゅさんの高音、裏声、ファルセットが好きだ!大好きなんだ!」となりながら聴いてる。(てか、いちばん最初に聴いた時、曲が良すぎて「グリフィン本気だ!売りにきてる!」と思った後すぐ「あ、でも今はデジタル配信だけか...」という脳内やりとり済。)

そして、マイナーコードが私の感傷的共感感度高めな根暗思考をも刺激してくる…。だって私はメジャーよりマイナーが断然好きだから!(曲調ね)(不要な告白)

 

 

まあ、そんなことはいいとして、私は「만세」というタイトルを見た時から「どうしてこのタイトルなのかな?」「みんなで行う動作としてのワードチョイスなの?」「韓国ではこの言葉も動作も私が思うよりカジュアルってこと?」とちょっとずっと不思議に思っている。(私は日本語の「万歳」という言葉を使うことがほぼないので)

MVでも、必ずしも喜ぶようなジェスチャーとしての「만세」だけじゃないように見えて、降参とか、お手上げ、とかの意思表示にも似てるなと思ったり、ハイタッチのような他人とのコミュニケーションにも使いそうって思ったり。

どんな風におにゅさんがこの曲をパフォーマンスするのか、この曲で何をしたいのか、何を歌いたいのか、ファンとのかけ声も含めて今日のセンパで披露されるのがすごく楽しみ。

 

 

「 目が覚めた時はもう 僕の部屋の外だったんだ  눈 떴을 땐 이미 내 방 밖이었지」という歌詞が好き。この前 パシフィコで「時間は過ぎ去りますよ」と言ってくれたことを思いだす。

MVの穴はとても長くてくねくねしてていくつもあったし、煙突はすごい高かった。 部屋には穴を掘ったり脱出するためのものがいっぱいあったけど、でも、外に出れたのはおにゅさんが懸命に掘ったからだとは描かれてなかった。引力なのか浮力なのか、何かが引き上げたり押し出したりしてくれた結果、煙突からポンと飛び出してた。葉っぱに乗ったおにゅさんめちゃかわ。

それが「時間が流れたらいろいろ変わるよ」「がんばってもがんばらなくても時間は動いていくから大丈夫だよ」と言ってくれてるみたいに思える。おにゅさんがあがいたり、がんばったり、努力してるところも描かれてるけど、でもそれだけを前面に出すこともしてない。

誰かにサジェスチョンするような強さではなく「ぼくは外に出て楽しくやってるよ」と「あくまでも自分はだけどね」が並立してるみたいな相手を尊重するような優しさを感じるのはまたしても私の「自分の好きなおにゅさん像当てはめ思考」なのかな?人は見たいように見るからな。はー、道は険しい。

いやいや、人それぞれ好きなように見たり考えたり思ったりすればいいと思うけど、私もちょっと変わりたい。

 

 

立ち止まらずこの先へ

 

 

 

楽しかったなあ。いっぱい歌が聴けてうれしかったなあ。そして、おにゅさんがとても個人だったなあ。というのが私のHola!の大きな感想だ。

あまりうまく説明できないけど、1日目환절기を歌ったあと風邪の話をしてくれたあたりから2日目終わるまで、「おにゅさんみんなと友だちみたいにフラットで個人としてそこにいるな」と思いながらステージを見ていた。

 

 

 

ファンと楽しい時間をすごしたい、ファンのためにいろんなことをしてあげたい、と一緒に歌ったり、会場を隈なくまわってくれたり、質問に答えてくれたり、リクエストに応えてくれたおにゅさん。実際には5500人のファンを1人で相手にしているのに、おにゅさんの言葉や視線や行動は「ひとりひとり」を捉えていて、「1対大勢」じゃなく「個人と個人」として接してるみたいに見えた。

できることなら、全員ひとりひとりの顔を見て、ひとりひとりと話をしたいんだろうな、と感じる目線の高さでおにゅさんはファンにラフに丁寧に近づいてきてくれて、客席でおしゃべりする姿はみんなに溶けこんでてすごく楽しそうだった。

また全体をとおして「それぞれが健康で幸せにまた会いましょう」と言ってくれる言葉にはおにゅさん自身の経験を通して得た実感のようなものがこもっていて、友だちから受け取るような親身さや優しさや実直さがあったし、まるでおにゅさんが直接自分に語りかけてくれてるかのような「個人から個人」への言葉の大きさだったと思う。

 

 

 

少し前までは、「おにゅさんを見守るファンたち」、「ファンみんなを幸せしようとするおにゅさん」というような、お互いがお互いを包み込むような雰囲気があったと思う。逃げ込んだり、覆ったり、守ったり、どちらかがどちらかを内包しようとするような関係。でも今は、おにゅさんを含めてそこにいるひとりひとりが独立していて、もたれて支え合わなくても大丈夫な距離感があるように思う。おにゅさんがそれを望んでいるのかな。わからないけど。でもそれが私はとても心地いい。

おにゅさんが元気で自分のやりたいことをやっていると思わせてくれること、これから先も活動を続けていくと知らせてくれること、それらがおにゅさんのファンに対するスタンスと合わさって「また会おうね」「じゃあねまたね」と気軽に言い合える関係や状況を作ってくれていると思う。おにゅさん&グリフィンさんが敷く道を背後から(こわい)そろそろとついて行くことができること、ほんとにありがたくてうれしくてどうしよう。

 

 

 

2日目、「おにゅさんがいつもファンに言ってくれるように、おにゅさんにも幸せでいてほしい」というメッセージを見たおにゅさんは「泣きそうだった」と言っていた。確かに一瞬、今までも見たことのある「襲ってくる感情を堪えている顔」をしてたけど、すっと次の話題へ移っていった。進行的に時間がなかったというのもあるとは思うけど、そこがとても今のおにゅさんだなあと思った。

代表と一緒にでたテレビ番組でおにゅさんが語った「この人と一緒なら未来のことだけ考えていけばいいと思った」という言葉がとても印象に残ってるんだけど、今のおにゅさんは立ち止まらず進むんだ。これまでのことを自分の中に蓄えて今を感じて今を生きてその先に進むんだな、と私の目にはうつった。

 

 

 

2日間とも早く帰るために急いで会場を出て駅にむかう途中、薄暗がりの中を私と同じように足早に歩く人たちを見ると、年齢も服装もメイクもバラバラで「いろんな人がいるなー」と思った。そしてその瞬間「この人たち(私を含めて)ひとりひとりの毎日をおにゅさんが元気づけたり癒したりしてるんだ」という実感が一気に襲ってきてくらくらした。

私たちはパシフィコで過ごしたキラキラした時間のハレ(非日常)を心に携えて、また翌日からのケ(日常)をすごす。おにゅさんは私たちのハレでいてくれるし、ケを過ごすための力もくれる。そして私たちと同じようにおにゅさんのケもあるんだ。 圧倒的にプレゼントをもらうのは私たちの方だけど。なんかそんなことを考えた2日間だったー。

これからも今みたいに、お互い次に会うまで元気でいましょう、それぞれ幸せでいるようお互いのことを想うよ、みんなまたね、と言いあいながら、ずっと長くすごしていけるといいなと思う。おにゅさん、私たちと一緒にいてくれてありがとう。

 

 

ほんとレポというレポが書けない私のHola!の感想はこんなかんじ!

 

 

自分をもてあましたはなし ③

 

 

 

横浜にむかう電車でこれを書いている。こんなことしてる場合じゃないんだけど😊、どうしてもHola!の前に自分の最新おにゅ情報を掃き出しておかないとせっかくの大切な記憶がどんどん消えていってしまうので(自分脳内ストレージ調べ)、もうこうなったら貼りつけオンリーブログになってでも記録を残しとこうと、かけ声の復習もせずスマホをいじっている。

わざわざブログにあげなくてもいいんだけど、サイン会当ててもらった恩義というか(読んだ人にメリットがあるとは思えないけど...)、まあオープンなところに記録を置いとこうかなと思う。

途中まで書いていた当日の様子をそのまま載せ、その後に超長文の自分用記録メモとめっちゃ画質が悪い当日の写真をこんな忙しい時にひっそり貼りつけるぞ!

 

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ほんとはサイン会会場を下見して「観覧客つき公開サイン会とかだったらどうしよう…」と恐れ慄いた話とか、当日ギリギリになってスマホで上手に写真撮る設定を調べだし結局よくわかんなくて焦る気持ちだけが残った話とかも書きたいけどそんなことしてたらいつまでたってもおにゅさんが出てこないので割愛。

引き続き、その時に書いたメモを直接貼りつける記録晒しスタイルで③もいきます。

 

イベントに外れる → ショック → あきらめきれない → 追加で応募 → 当選 → 歓喜 → でもノープラン → 悩む → 考える → よく考える → 決める → 本番 → やった! → おや? → えーん → 落ち込む → 悶絶の日々 → 友だちの言葉 → 確認 → 冷静 → 平穏

自分をもてあましたはなし ① - だいたいのもの

① 「考える」まで 自分をもてあましたはなし ① - だいたいのもの

② 「よく考える → 決める」  自分をもてあましたはなし ② - だいたいのもの

③「本番」以降

 

サイン会は2部制になっていて、私は2部への参加だった。参加者の集合場所は会場のすぐ外。サイン会はロールカーテンだけで仕切られた半オープンスペースで行われ、外から覗けはしないけど中の音は筒抜けという場所。私がそこに到着した時は中で行われているサイン会が終わりかけてるのがわかる司会?の男性の声とファンのソフトな歓声が聞こえていた。

中はどうなってるんだろう?と気になりつつ、 サイン会への緊張と人見知りが同時に発動し、意味もなく置いてある商品を手に取ったりして若干挙動不審な人として佇んでたら1部のサイン会が終わった。ロールカーテンがあがり中から出てきた人たちからもたらされた最重要情報は「サインの持ち時間はひとり1分!!!!」ということ。

「そっか1分か...。もう少し長いかと思ってたな…。けど大丈夫!そんなこともあろうかと、私は持ち時間を3パターン(30秒ver. 60秒ver. 60秒以上ver.)想定してシュミレーションしてきたのだ!だから本番⁉は60秒ver. で臨めばいいだけだ!」と、ちょっと落胆→すぐ復活→最終シュミレーション開始と脳みそフル回転。どんだけ必死なの。

 

当選した段階で割り振られていた整理番号順に「当選した人です」「こんな人です」という証明を係の人に提示し会場内へ入っていくと、前方に小さいステージがあるイベントスペースのフロアには5列25客の椅子がきれいに整列されていた。

席は整理番号順に指定されていて、私はかなり後ろの方だった。話しかけてくれた隣の人と「緊張しますね」とか話しながら10分ぐらい待ったあたりでおにゅさんが登場した。

といってもすんなりステージに姿をあらわしたのではなく、ステージに繋がっているドアをパタパタと開いたり閉じたり顔を出したりひっこめたりして、最初から愛嬌たっぷりだった。

おにゅさんの顔が見えたとたん会場に飛び交う「かわいー」という声を聞きながら、「わー、おにゅさんアイドルの仕事してる」とよくわかんないテンションでステージ上のおにゅさんを見つめる私。

サイン会中ずっと自分の席から見てたおにゅさんは、 背筋をぴっと伸ばしてひたすら1分間目の前のファンの話を真摯に聞いていた。

真面目な表情で小さくうんうんと頷きながら聴いているおにゅさん。ファンに言葉を掛ける時は笑顔になってたけど、聴いてる時はずっと真剣な表情をしてて、その印象の方が強い。

照明があたっているせいか、髪色や眼の色など全体的に色素が薄いかんじ。

ポーズは胸の前でのハートを1、2回やってたかな。歌ってる様子はなかった。でも私が後ろの方だったから知らない、聞こえなかっただけかもしれない。

 

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注:以下メモあまりに自分用なのでわかりにくいから、私が話した言葉とおにゅさんが話してくれた言葉には色下線をつけました。でもほんとに読みづらいよね…

 

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とりあえず一気に貼ったった。

「自分をもてあました」の真髄はこの後の話なので絶対この続きも書かなくては。この体験記そこが肝だからな。

 

 

 

自分をもてあましたはなし ②

 

 

自分をもてあましたはなし ① - だいたいのもの

のつづきを書こう書こうと思って早1か月…。幸運なことにまたおにゅさんに会うことができる機会( Hola!@ 横浜 )が迫ってきてしまった。できればそれまでにこの「自分をもてあました」記録を残しておきたかったけど、どう考えても時間がないので、もう当時書いたメモを直接貼りつけて記録晒しスタイルでスピードアップを図るつもりだ!

 

 

 

イベントに外れる → ショック → あきらめきれない → 追加で応募 → 当選 → 歓喜 → でもノープラン → 悩む → 考える → よく考える → 決める → 本番 → やった! → おや? → えーん → 落ち込む → 悶絶の日々 → 友だちの言葉 → 確認 → 冷静 → 平穏

自分をもてあましたはなし ① - だいたいのもの

① 「考える」まで / ② 「よく考える」以降

 

 

 

おにゅさんに会った時に自分が何をしたいのか、何を話したいのか思いつかないところから始まって、虚栄心、独占欲、自己顕示欲などにぐるぐる絡めとられながらうんうん考えて辿りついた結論は「おにゅさんから良い影響をもらっています」ということを直接伝えたい、ということだった。

 

 

おにゅさんから届く歌や声や言葉や気持ちは私の心の奥深くの柔らかい部分を揺らす。それは好きだったり楽しいだったり美しいだったり哀しいだったり淋しいだったり怒りだったりして、その揺さぶられた感情が自分の中でまたいろんなものを生んでいく。

絵や彫刻や写真を見た時、ダンスや演劇を見た時、音楽を聴いた時、詩や小説を読んだ時、きれいな風景を見た時に心が震えるように、それらと同じ響き方ではないけれど、おにゅさんのいろいろは私の心にすっと入ってきて一直線に奥まで届く。そうだから好きなのか、好きだからそうなのかは最早よくわからないけど、そんな人おにゅさんしかいない。そんなことを伝えたいと思った。

なんかね、もう必死すぎていろんな欲のことも頭から消え、ネイキッドな自分の気持ちを伝えることしか残らなかったよ…。普段の自分だったら「そんな恥ずかしい…」と思うような選択肢だけど、まあ極限の状態(おおげさ)なのだからそんなもんなのかもしれない。

 

 

サイン会に当たって一喜一憂する私を見て「あんた接触イベントむいてないね」と言い放った友だちに「結局、なんで自分がおにゅさんが好きなのか、ということしか伝えられないから、おにゅさんを好きでいることで良い影響をもらっている、と言おうかなと思う......」と具体的なプランを話したら「モノをつくる人にとってはうれしい言葉だと思うよ」と背中も押してもらった。

 

 

この決心(おおげさ)に至る中で書いたメモがその時の心情を1番素直に書いてると思うから貼っとこうと思う。もともと人に見せるつもりはない自分のためのメモだからエゴ満載だけど。そして必死すぎる自分はおもしろい。



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注:「かっこよさに負けない」とは、「おにゅさんを目の前にするとあまりのかっこよさに頭が真っ白になってしまう」というレポをいっぱい目にしたので、自分はそのおにゅさんのかっこよさに打ち勝って伝えたいことを伝えるぞ!イギョネ!という意味です🤗

 

 

そんなこんなで、サイン会前夜にようやく何をするかを決めた!決められた!それからは猛烈に準備した。話すことを30秒ver. 60秒ver. 60秒以上ver.の3つ考えてめっちゃ覚えた。ポストイットカンペもめっちゃ作った。頭が白くなった時用におにゅさんに見せるだけで伝わるポストイット手紙も作った。サイン会は月曜の夕方だったんだけど、日曜夜は布団に入って天井を見ながら、時間内で言いたいことが言えるかどうかラップタイム計測しながらブツブツ練習してたら寝てた。

 

 

そして、ようやくやっと、サイン会当日!

だけどちょっともう今日はここまで。もう寝なきゃ。てかおにゅさん出てくるまでが長いよね…。

 

 

自分をもてあましたはなし ①

 

 

 

なんか書くのを逃してたらいろんな思いも薄くなってきてまあもういいかってなってたけど、やっぱり私にとっては一大イベントだったし、「おたくの自分はどうなるかわからない」を凝縮した期間だったのでやっぱり残しとこ。恥ずかしいけど。でもあとから読み返したらおもしろいはず。あと、ありがとうも込めて。

 

 

 

9/30の追加サイン会に行くことができた。それにまつわる、めっちゃ自分をもてあましたという話。

簡単に説明すると

イベントに外れる → ショック → あきらめきれない → 追加で応募 → 当選 → 歓喜 → でもノープラン → 悩む → 考える → よく考える → 決める → 本番 → やった! → おや? → えーん → 落ち込む → 悶絶の日々 → 友だちの言葉 → 確認 → 冷静 → 平穏

みたいなかんじ。これでだいたいのことはおわかりいただけるかと思います...。

 

 

何日かは浜に打ち上げられた魚のようにのたうちまわっていたけど、ようやくちょっと鮮度も落ち、静かに横たわって天井を見上げる程度になってきた頃 ”Hola!” の配信があり、それでようやく落ち着くことができた。なんだっておにゅさんにはじまりおにゅさんに終わるんだ。(こわいっ)

 

 

日記は全然続かないけど、覚えておきたい心情(なにせ忘れやすいから)はなるべくメモするようにしている。今回はそれに加えていつも以上に感情のうねりが激しかったから、気持ちに区切りをつけたり冷静になりたい時に文章を書いていた。それを今読むと必死な自分が不憫でかわいい(自己愛つよめ)。ほんとはそれをそのまま読むのが一番おもしろいんだろうけど、さすがにそれは恥ずかしいから、ね。いわゆるレポのような読む人に有益な情報はない(さみしい…)、ただ私の感情記録です。

 

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9/30(月)にあった追加サイン会に行った。もう3週間も前のことになっちゃった。

 

 

最初の募集に最低購買数でチャレンジしたけど外れ(そりゃそうよね)、そこで納得すればよかったのにあきらめきれず、追加で(買って)応募した。

それまでの私は、射幸心を煽るアイドルビジネスにはちょっとついていけない😔なんて思ってたし、本国であるいろいろには「いいなー」という憧れで自分を納得させることができてたのに(国外遠征はできないと思っているからだけど)、今回はどうしてもうらやましくなってしまった。

おたくの不文律「自分と他人を比べない」は肝に銘じてるつもりだったし、あくまでおたくは趣味なのだから身の丈にあった範囲で楽しもう、と思っていたはずなのに(って言ったって追加でも微々たる数しか買ってないけど)、さんざん悩んでいろんな言い訳を自分にしながら最終的には欲を優先させてしまった。まずこれが今回最初の「こんな自分はじめて」だった。「うらやむ」っていう感情はほんとやっかいだ。

 

 

そして幸運にも当ててもらえた。ほんとにありがとうございます。思いきって申し込んで(買って)よかった!とめっっっちゃうれしかった。スマホのカメラを修理したり、着ていく服をクリーニングに出したり、コスメ買ったり、いそいそうきうきと準備を進め「そろそろ当日どうするかとかも考えないとだね?」と思い始めた時に気がついた。

私、サイン会でなにをしたいんだろ?思いつかない!あれ?

あんなに行きたくてたまらなかったはずのサイン会なのに、具体的なことを考える段階になってようやく「私、当選することが目的になってたんだ」ということに気づくという…。私、完全に射幸心に操られた人だった。

 

 

もちろんおにゅさんに会いたかったから申し込んだんだけど、近くでおにゅさん見ることができるならもうそれで十分うれしいことだし、加えてサインまでもらえるなんて、ほんともうまじでそれで十分です!十分すぎるぐらいです!だった。

でも、ありがたいことに、

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↑ これを読むかぎり、サインしてもらう時間が少なくとも1人につき30秒ぐらいはありそう。あるはず。てことは何かお話しすることができる。ていうか何か話さなければいけないだろう!やや!

 

 

9/27,29 のイベントレポを読んでいろいろ考えてみたけど 「何かして」「何か言って」みたいな要求は私はできそうになかった。なんか申し訳ないしなんか恥ずかしい...。

時間があるなら聞きたいことはいっぱいあるけど、少ない時間で答えてもらえるような質問も思いつかない。

できることなら「わ~😍😘🤩かっこいい!好きです!」っておにゅさんの前でかわいく明るいファンをやりたい。けど、どう考えても人見知り根暗ひねくれものの私がそんな陽キャムーブできる気がしない。緊張で固まってブツブツ話すか、限度を超えてヘラヘラしちゃうか、そんな姿しか思い浮かばない…。

おまけに「そりゃ大好きだけどさ、同じような思いのファンなんていくらでもいてその人たちがすでに何億通も送ってるだろうから、私がわざわざ伝える必要はないな」とファンレターを書こうと思ったこともないから、自分が何を伝えたいかもすぐに思いつかない…。bubbleや프롬もほとんど送らないし…。

日頃Twitterで、やれこんなとこが好きだ、あんなところがかっこいいと書き連ねてるけど、それはあくまで大きなひとりごとであって、本人に伝えるための自分の気持ちは考えたことがなかったんだね。だから「やだー、私、おにゅさんの前でどうするの?どうしたいの?なに話すつもりなの???」とぼんやりすることになったんだね。でもさ、こんなことあると思ってなかったもんな…。

 

 

そうこうしてるうちに前日になり、考えちゃいるけど決めきれないっていう状態で友だちに会った。長くなるからそれ以降のことはまた次にしよう。けど、その友だちに「あんた接触イベントむいてない」って言われたことだけ書いておく。ううう。

 

 

還流とらしさ

 

 

私が初めてオニュさんの歌を直接聴いたのはソロツアーの名古屋公演だった。アイドルと言われる人やグループのライブに行くのもその日が初めてで、その時の感想を下のようにツイートしている。

 

 

 

 

昨日、配信で見ていた合同コンのおにゅさんは、客席をがんがん見ながら、ステージを端から端まで移動しながら、「どんな歌詞でもいいから一緒に歌いましょう!」とお客さんをのせながら歌ってた。そして、「はー幸せ」「みんなと一緒に歌えるのが幸せです」「ここに住みたい」って言ってた。おにゅさんが歌うことで幸せを感じてるなら、私にとってもそれ以上幸せなことはない。うう。

おにゅさんの中で完結してるように見えていたおにゅさんにとっての「歌うこと」が、今は出来や完成度とは少し離れて、「みんなで一緒に歌うこと」に楽しさや喜びや意味を感じてるのかな。

おたくが言う「らしさ」なんてどんどん変わっていくんだよ!と無意味に昔の自分に悪態をつきたい気持ちだ。

 

 

フェスや大学祭などで目の前のいる人たちとフランクにコミュニケーションをとりながら歌っているおにゅさんを見ていると、おにゅさんは積極的に人と関わることにしたんだなあ、と思ったりする。歌うこと以外でも、おにゅさんが形式的にではなく中心人物の1人としてまわりの人たちと協働してる場面もよく目にする。環境が必然的にそうさせてる面もあるとは思うけど、私はおやすみの間にいろんな人と交流したり助けてもらったことを教えてくれたおにゅさんがとても印象に残っていて、そういったことが関係したりしてるのかなあどうなのかなあと考えたり考えなかったり。

 

 

昨日、Circleを歌う前に循環の話をしていたけど、今は、おにゅさんの歌を聴いて心震える客席の感動や喜びが、一緒に歌うという行為によっておにゅさんに戻っていって、おにゅさんの幸せを生みだしている。そこにも循環が生まれてるんだと思った。

幸せだとじわじわと感じること。それが喜びだと受け取ること。その循環はおにゅさんが作ったものだね。