『リバ!』2019年5月号
内田康宏事務所からお知らせ申し上げます。
『リバ!』2019年5月号が昨日発行されました。市長のコラムは「2019・平成最後の桜まつり」です。
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本市の春のメインイベント、「岡崎の桜まつり」と第60回の節目となる「家康行列」を晴天のもと立派に開催することができ、ただ今ホッとしているところです。今年は久しぶりに桜の満開の時期と家康行列がドンピシャに重なり、しかも2週間にわたり週末に桜の開花風景を楽しんで頂くことができ、喜んでおります。
4月7日(日)は総勢700人が家康行列に参加されました。名君、徳川家康公の遺徳を心に刻みながら一致団結し、伊賀八幡宮から市内の目抜き通りを練り歩き、武者列の方は勇壮に、そして姫列の方は華やかに沿道の皆様に凛々しい隊列を披露して頂きました。
ことに今年は、家康公第一の家臣と称えられている酒井忠次公役に、本市出身の俳優の平泉成さんをお迎えし、平成を締めくくる、記念すべき家康行列にふさわしい、誠に格調高い家康行列を開催することができました。
また、親善都市の石垣市と福山市の皆様、ゆかりのまちからは茅ヶ崎市、佐久市、関ケ原町の皆様、友好都市である中国の呼和浩特(フフホト)市の皆様、そして観光交流都市の金沢市の皆様にお越し頂きました。加えて観光親善大使として、各市まちのミスの方々が行列に華を添えて頂き、併せて御礼申し上げます。さらにお忙しいなか出陣式から参加して頂いた大村秀章知事にも、改めて感謝申し上げる次第であります。
今年度はいよいよ、乙川人道橋、「桜城橋(さくらのしろばし)」の全容が見えてまいります。桜城橋が完成した暁にはぜひ橋の上から満開の桜とともに、岡崎城や乙川周辺を眺め、御家族や御友人とくつろいで頂きたいと思います。
また、この秋には東岡崎駅周辺でも中央デッキが完成し、北東街区では9階建ての新しいホテルや商業施設がオープンを迎える予定です。さらに市民の皆様の御協力を得て、高さ9.5メートルという、全国一の高さと偉容を誇る徳川家康公像がついにお披露目となります。
これから数年のうちに岡崎の景観や人の流れも大きく変わり、間もなく迎える「令和」という新たな時代とともに、新しい岡崎が始まります。ぜひ御期待下さい。
(2020年完成予定の桜城橋)
(東岡崎駅前北東街区で建設中の「オト リバーサイドテラス」)
東宝スタジオ、平泉成氏訪問 (2019.01.06)
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昨年12月14日(金)、写真家・竹内敏信氏に続いて今一人の額田出身の著名人、俳優であり、第1回岡崎市民栄誉賞受賞者の平泉成(ひらいずみ せい)氏を訪ねることとなった。今年の家康行列において、徳川四天王の長老、束ね役であった酒井忠次公として出演して頂くため、平泉氏に正式に御挨拶に伺った次第である。
私は安倍晋太郎代議士(晋三総理の父)の秘書時代、世田谷区の豪徳寺というところに住んでいたが、同じ世田谷区の成城にある東宝スタジオには一度も行ったことはなかった。そのため今回訪れてみて「こんなに近くにあったのか」と驚いたものである。
東宝スタジオは小田急線成城学園前駅からほど近い所にあった。現在は市街地の一角となっているが、かつては東宝砧(きぬた)撮影所と呼ばれ、当時は田畑の真ん中にあったそうである。
タクシーを降りた我々を迎えてくれたのは、入口正面にある高さ2メートルほどのゴジラのモニュメントであった。左手にある建物の壁面には、黒澤明監督の名作、『七人の侍』の有名なポスターが大写しに描かれていた。
正面玄関を抜け、建物の2階にある来賓応接室に通された。途中、壁に掛けてある写真のパネルに東映の看板スター、高倉健さんを発見した。かつて東宝、東映、日活、松竹、大映という大手五社は昭和30年代の映画全盛の時代にはしのぎを削る競争をしており、自社所属の俳優を他社の映画に出演させることはほとんどなかった。
しかし有名俳優(三船、石原)が独立プロとして映画の自主製作を始めるようになり、昭和40年代のTVの時代を迎え、そうした規制も有名無実なものとなっていったと記憶している。
東宝の重役であった、現在岡崎市の総代会連絡協議会会長の神尾明幸氏のお話では、かつて3000人を超えた東宝の社員も、今や正社員は500人を切っており、実際の映画製作の多くは下請けのプロダクションが行っており、本社の仕事は編集作業と広報が中心だそうである。
忙しい撮影の合間をぬって、平泉氏はかけつけて下さった。
岡崎市が家康公だけでなく、共に戦って新しい時代を築いた四天王や三河武士団にも光を当ててゆく方針であること、その一環として今日、四天王筆頭の酒井忠次公を三河人である平泉氏にお願いしたいことを説明したところ、快く了承して下さった。
話題は『シン・ゴジラ』はじめ、昨今、平泉氏の出演された映画やTV番組にも及び、改めて平泉氏の多彩な芸歴を知ることとなった。
その後、私達はスタジオの中を見学させて頂いた。デジタル化の流れの中、建物のあり様も昔のスタジオのイメージとは随分違ったものとなってきている印象を受けた。それでもある映画のセットでは、古風な洋館がドラキュラの館のようにマニアックに作られていた。もちろん裏に回るとセットであることは一目瞭然であった。
かつて、大学を出たばかりの新人・加山雄三氏がこの撮影所で父上の上原謙氏(戦前・戦中の大スター)と一緒にベンチに掛けている写真を見たことを思い出し、見回ってみたが、それがどこかは分からなかった。
多くのスターや撮影スタッフ達が足繁く通った一ノ橋を渡り、場内を一周し、モスラに見送られて帰途についた我々であった。
それにしても平成の最後を飾る家康行列で、三河武士の筆頭であった酒井忠次公役を地元出身の平泉成氏に務めて頂くことになったというのも不思議な縁である。
2019・平成最後の桜まつり (2019.04.17)
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本年も3月29日から4月11日まで「桜まつり」、そして4月8日には「家康行列」が行われた。今年は桜の開花が思いのほか早くなったため、多くの方から「なぜライトアップを早くしないのか」というお叱りの声を頂くこととなった。とは言え、乙川河畔はすでにリバーフロント計画の整備によって川べりの通常のライトアップは完備していたため歩行には支障はなかったと思っている。
ライトアップを早めることができない理由は他の所にある。
毎年桜まつりの日程は、1月の段階で、市の観光推進課と岡崎警察署が「桜の開花予想」をもとに決めることとなっている。市は決まった日程に従って各種催しの準備を進め、その日程によって各出店や興業のスケジュールも決まってくる。
そして警察も、その日程をもとに日々の人員配置計画を立てることとなる。それゆえ桜の開花が早まったからといって、市が単独で日程を早めることはできないのである。ボンボリの準備は早く行っていたので点灯だけ早めることはできないかと担当とも相談してみたが、「桜まつりの夜の点灯と、警察の警備を連動させる約束となっているためにダメだ」ということであった。
家康行列についても日程決定の難しさは同様であり、毎年桜の時期にピッタリ合う日取りにすることは至難のワザである。農業と同じで、こうした仕事もきまぐれな天候に左右されてしまい思うにまかせない点を何とぞ御理解頂きたい。
以下は前日に行われた「歓迎夕食会」と「家康行列出陣式」での私の挨拶である。
親善都市・ゆかりのまち・観光交流都市歓迎夕食会(4月7日)
皆様、こんばんは。岡崎市長の内田です。
親善都市、ゆかりのまち、観光交流都市の皆様、そして、友好都市の中国フフホト市からの訪問団の皆様、本市の春の風物詩であります「桜まつり・家康行列」に遠路はるばるお越し頂き、誠にありがとうございます。
明日の「家康行列」では、家康公をはじめとする武士団、姫列など総勢約700人が時代衣装に身をつつみ、勇壮できらびやかな時代絵巻を繰り広げます。残念ながらお仕事の都合で本日はおいでになりませんが、皆様ご承知のとおり、今年の家康公役には俳優の松平健さんに特別出演していただき、行列に花を添えていただきます。
松平健さんは「暴れん坊将軍」の八代将軍・吉宗公役としておなじみですが、舞台ではすでに3回、家康公役を演じているということであります。私が昨年末、出演依頼に伺った際には、家康公役を演じることに大変強い意気込みを持たれてみえましたので是非楽しみにしていてください。
また、ゆかりのまち関ケ原町さんからは石田三成列をお招きしており、より一層華やかな行列になるのではないかと思っております。行列の後には乙川河川敷において、火縄銃の実演と戦国模擬合戦、そして三河花火でフィナーレを迎えます。どうぞ明日の家康行列を存分に堪能いただきたいと存じます。
現在本市では、乙川リバーフロント地区整備や東岡崎駅周辺整備、JR岡崎駅前の整備など、賑わいづくりのための大規模な都市整備を進めております。先日は岡崎市が国の地方再生モデル都市に選ばれまして、本市のまちづくりに一層はずみがつくものと大変うれしく思っております。これから数年のうちにそれらの事業が次々と実現を迎え、本市の景観や人の流れも大きく変わってきます。今後、地域が賑わいと利益をもたらす「観光産業都市」に向けた活動を活発化させるため、公民連携による観光推進を図り、本市の更なる魅力向上に取り組んでまいりますのでご期待ください。
終わりに、本日お集まりの皆様におかれましては、この機会に交流を深めていただきますとともに、今後とも末永くお付き合いいただきますようお願い申し上げまして私からの歓迎のご挨拶とさせていただきます。本日はありがとうございます。
家康行列出陣式(4月8日)
皆様、こんにちは。岡崎市長の内田康宏であります。
本日これより、松平・徳川家の氏神、伊賀八幡宮に勇壮な武士団が勢ぞろいし、桜まつりのメーン行事である「第59回家康行列」を開催いたします。
行列の総大将である家康公役には、同じく三河の地のご出身であり、時代劇の大御所俳優の松平健様をお迎えいたしまして、各武将と共に颯爽の登場であります。松平健様におかれましては、お忙しいなか本市の家康行列にご出演を賜り、誠に格調の高い家康行列として開催できますことに、心より御礼申し上げます。
また、本日のご来賓といたしまして、親善都市の石垣市と福山市の皆様、ゆかりのまちからは茅ヶ崎市、佐久市、関ケ原町の皆様、そして観光交流都市の金沢市の皆様にお越しいただくとともに、観光親善大使として各市まちのミスの方々にもご参加いただき、行列に華を添えていただいております。皆様のお陰でこのように盛大に開催できますことを、改めて心から感謝を申し上げる次第であります。
さて、本市におきましては一昨年の市制100周年を契機に、これまで各種事業を進めてまいりましたが、皆様のご理解とご協力のお陰により、徐々に目で見て実感していただけるようになってまいりました。現在、着々と整備が進む乙川リバーフロント地区始め、東岡崎駅や岡崎駅周辺など、これから数年の内に全市的に手がけた事業が次々と実現を迎え、本市の景観や人の流れも大きく変わってまいりますのでぜひご期待ください。
このように多くの事業を展開していく究極の目的は、岡崎の市民や子ども達が自らのふるさとに対し、これまで以上に大きな愛情と誇りを持てる、そんな「夢ある新しい岡崎」を築くためであり、今後もその目的のため全力で取り組んでまいりますので、皆様方の一層のご理解とご協力をお願い申し上げます。
さて、このあと行列はここ伊賀八幡宮を出発し、乙川河川敷まで威風堂々と行進いたします。沿道の観客の皆様に今年もこの素晴らしい行列をお届けできることを喜ばしく、また、誇りに思う次第であります。
皆様、岡崎の桜まつり「家康行列」を十二分にご堪能ください。
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家康行列
昨年から続けてきた市制100周年記念事業が3月末で終了し、春のメイン事業「岡崎の桜まつり」が続いて行われた。今年は例年になく桜の開花が遅く、4月の半ば過ぎまで桜の花が残っていた。
4月9日(日)に行われた家康行列も晴天に恵まれ、藤岡弘、氏が扮する本多忠勝公に三河武士の勇姿を御披露頂き、盛況の内に終えることができ喜んでいる。
内閣総理大臣主催「桜を見る会」
4月15日(土)に東京の新宿御苑で行われた総理主催の「桜を見る会」も、開花の遅れのおかげで文字通りの満開の桜の中で行われた。この「桜を見る会」には昨年も出席しているし、秘書時代、県議時代、そして市長になってからと、これまで5回も出席している。今年は御無礼しようかとも考えたが、かつて秘書として仕えた身でもあり、安倍家に逆風の時こそ出席するべきと思い、前日から上京した次第である。
ところがそんな私の心配をよそに、今年も日本全国から1万6千人を超える招待客が参集し大変な盛況であった。
受付の午前8時半前に到着するために迂回路を通って出かけたのであるが、すでに会場周辺道路は渋滞しており、少し手前でタクシーを降り歩くこととなった。入口で受付票を渡し、識別のリボンを受け取る。昨年はピンクのフチどりのものであったが、今年は黄色であった。
会場中央では、9時に登壇した総理を中心に、内閣の顔ぶれが並び、後方のテントの中には政財界の要人や各国の駐日大使の姿も見受けられた。挨拶後、総理をはじめ閣僚の巡回が始まったが、いつもの通りロープで仕切られており、しかも20名ほどの護衛のSP(セキュリティ・ポリス)が周りを囲んでいるためなかなか見つけてもらえない。観衆からも「総理!」「安倍さん!」と掛け声が続き、なかなか話しかけることができなかった。
そこで思い切って「晋三さん」と声を掛けたところ、私の声に気がついて戻って来て下さり、市長選当選祝いの言葉のあと、「次の選挙(衆院選)は大変だから頼むよ」と言って再び列に帰って行かれた。その時には深く考えていなかったが、数日後、幸田町が14区に編入されるニュースを知った時に「あっ、このことを言っていたのか」と思ったものであった。
続く昭恵さんにも励ましの言葉が飛んでいたが、何度も会っている私の家内を見つけると、手を握って何か話しておられた。涙ぐんでいる様にも見えた。
政治家の家で育った訳でもないお嬢さんが、良かれと思って行動したことを悪用され、連日の様に国会とマスコミに叩かれてさぞかし驚かれたことだろうと思う。新聞にはまだそれなりのコード(規定)というものがあるが、週刊誌の記事となると憶測ネタをさらにふくらまして記事とすることもあり、そうしたことに不慣れな当事者のショックは大きく、さぞかし辛いことだろうと同情するものである。
岡崎の桜バッジ
岡崎市の市制100周年記念の桜バッジのインパクトは意外に大きく、これまでに各地で注目を集めてきた。今回東京でも、何人かから「そのバッジは何?」と聞かれたものである。7期ベテランの山東昭子参議院議員からもおほめの言葉を頂き、一つ差し上げてきた。
余談となるが、今回のこの桜バッジは100周年事業担当者のヒット作であり、少々大きくはあったがPR効果という点では抜群であった。
昨年陳情のために上京した折、衆議院第二議員会館地下の食堂に行った。その時レジの御婦人から桜バッジについて問われ「付けてくれるなら差し上げます」と言って渡したことがあった。その後、愛知県の他市の市長から「岡崎のバッジを国会で見た」という目撃談を何回も聞くこととなった。
それが切っ掛けで各地のバッジが届けられることとなり、今ではレストランにコルクボードが置かれ、そこに各地のバッジが50~60個並んで飾られているとのことであった。何でそんなことを書くかというと、それらのバッジの先頭を飾っているのが東京のオリンピック・バッジでなく、我が岡崎の100周年記念バッジであるということが何とも小気味良かったからである(以下がその写真である)。
岡崎市役所では桜の季節の終了と共に、新しい岡崎ルネサンス・バッジに付け替えていますが、それはあくまで役所の都合であり、市民の皆様には引き続き桜バッジを御利用頂けるとありがたく思っております。
ことに女性の方の中にはアクセサリーとして使って頂いている方もみえ、桜バッジを付けて頂いているだけで、即、岡崎市の宣伝になりますので、大変感謝しております。
藤岡弘、さん、今春本多忠勝役に! (2017.01.31)
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昨年、NHKの大河ドラマ『真田丸』で本多平八郎忠勝役を演じ存在感を示していた藤岡弘、さんが、今春の岡崎桜まつりの「家康行列」において本多忠勝役で再び登場することとなった。
出演交渉は、昨年の夏頃から東宝の事務所を通して行ってきた。そして昨秋行った仮契約により正式に出演して頂けることと相成った。
昨春の〝里見浩太朗・家康公〟による盛況ぶりを見ても明らかな通り、大物スターの登場は家康行列の魅力と集客力アップにもつながり、沿道の商店街からも「朝から来客が増えた」と好評だったことから、この度の藤岡さんへの出演交渉を行うことになったのである。ただ、今回は10月に選挙があったため、私が直接御挨拶にうかがうのが12月となってしまった。
国交省への来年度予算要望に出かけた12月12日(月)の午後、電車を乗り継いで世田谷区に到着。駅から東宝の担当者の車で藤岡さんの事務所へと向かった。
さすがにスターの個人事務所らしく、鉄筋コンクリートのがっしりとした建物であった。事務所の前には撮影機材を満載したと思われる大型車両が停められていた。なんとこの細い道路を通ってここに駐車させるのは、藤岡さん御本人だそうである。ちなみに藤岡さんは大型、大型特殊はじめ、ほとんどの車両の免許を持ってみえるそうだ。
2階にあるガラス張りの応接室に向かった。階段をのぼる途中、テラスに本物かと見まがうような陶器製のトラの置物が我々の方を向いて座っており、ドキリとさせられた。
応接間のテーブル上には、本多忠勝に関する資料や藤岡さんの雑誌インタヴューに答えたコピーなどがていねいに並べて置かれており、藤岡さんのこの役に対する思い入れと、来客に対する細やかな心配りが感じられるようであった。窓際には初代仮面ライダーの当時のポスターや貴重なフィギュアなどが並べられており、きっとマニアにはたまらないお宝であろう。
そう言えば今回の話を本多家の御当主・本多大將(ひろゆき)さんに伝えたところ、初代仮面ライダー世代でもある大將さんは「ともかく理屈を超えてうれしい」とコメントされていた。
ほどなくして入室してみえた藤岡弘、さんは肩書きに武道家とある通り、1メートル80センチを超える体軀(たいく)に筋肉のヨロイをまとっているような方であった。そうした見かけに反して、声はソフトでラジオの朗読番組に合いそうな、やさしい語り口であった。
今回の本多忠勝役については一番敬愛する戦国武将であり、NHKの大河ドラマに忠勝役の出演依頼があった時は運命的なものを感じたそうである。私達にはこれまでも主役を歴任されてきたイメージが強いのであるが、御本人は「役者人生で初めて本当にやりたい役が回ってきた」と熱く語られた。
藤岡さんの武士道と日本文化・伝統に対する思い入れは深く、俳優業の傍ら、武士道と日本文化の伝道師として世界中を回って活躍されていることはつとに有名である。私もこれまで70数ヶ国を訪れているが、藤岡さんの100ヶ国近くにはとても及ばない。
職業軍人であると同時に武道家でもあり、戦後は警察官として指導的立場にあった父君喜一氏から「文武両道に通じる規律ある生活と古武術に始まり、柔道、剣術など各種武道を厳しく指導を受けたこと」が今日のベースになっているということであった。
父君は戦時中に受けた弾の跡やキズ跡があり、そのせいか長生きはされなかったとのことである。そのため戦友でもあった小野田寛郎少尉が戦後29年経って(昭和49年)フィリピンのルパング島で発見され、帰国した折には、息子である藤岡弘、さんと出会う機会があり、小野田さんとはその後も親交が続き、父君の語られなかった戦時秘話を聞くことができたという。その後小野田さんがブラジルへ移住し、牧場を始められ、ブラジル軍に関わりを持たれていた頃にも藤岡さんは南米まで出かけられたそうである。小野田さんが亡くなられる前にもう一度会うという約束が果たせなかったことが心残りであると語られた。
藤岡さんは東宝映画『大空のサムライ』(昭和51年)にも主演されている。原作者であり物語の主人公でもある零戦の撃墜王・坂井三郎氏とも面識があり、多くのお話を直接聞かれているそうである。藤岡さんはこの映画の後に小型飛行機操縦の免許もとっている。小型船舶の免許もあるそうであるから、陸・海・空すべての映画に対応できる。無線の資格もあるそうで、これで爆発物取扱の資格があればアメリカ海軍のネイビー・シールズの隊員も務まりそうである。
それから時代劇の話でも盛り上がった。友人から「映画オタク」と呼ばれる私であるが、『椿三十郎』における三船敏郎と仲代達矢の終盤の決闘シーンについてつい熱く語ってしまった。
瞬時に決まる三船さんの居合い抜きの場面をスローモーションで観てもよく分からず、後に何かの本で読んで「右手で抜いた刀の背を左手のヒジで押し切りするように高速回転させる」ということを知ったとお話したところ、さすが刀道教士七段、抜刀四段に加え、居合道も極めてみえる藤岡さんは、すでに御自身も試みておられ、「あれって本当に出来るんですよ。私もやってみました」と軽く答えられ、またもや驚かされた。
よく手入れされている日本刀の刀身は台所の包丁とは違い、うっかり刀の部分を握りでもすれば手の平が切れるほど鋭利である。私達がマネでもしようとすれば、自分の手足を切るのが関の山である。武芸百般に通じた現代のサムライ・藤岡弘、さんにおいてこそ成し得る技であることを明記しておく。
話がはずみ、1階の奥にあるお茶室にも案内して頂いた。室内には藤岡さん自らデザインされた鎧兜をはじめとし、何領もの甲冑(かっちゅう)が並んでいた。囲炉裏の周りに腰を下ろした我々は、藤岡さん手ずから入れられたお茶を頂き、足元に置いてあった仕込みヅエ(レプリカ)も見せてもらうことができた。
これらの凝り具合に私は同じ傾向の趣味の臭いを感じ、個人的にも藤岡弘、さんを好きになりそうである。
別れ際に「また、ぜひ遊びに来て下さい」と言われたことを女房に話すと、「バカじゃない、社交辞令に決まってるじゃない!」と一笑に付されてしまった。
しかし帰りに外まで出て、私達の車が角を曲がるまで見送って下さった藤岡さんの誠実な姿からは真実しか感じられないと、私は勝手に思っている。
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内閣総理大臣主催「桜を見る会」
もうすでに一ヶ月前の出来事となってしまったが、春の大きな行事であるので書かせて頂こうと思う。
昨夏の花火大会に引き続き、安倍昭恵夫人には今年の家康行列の案内状を送らせて頂くつもりでいた。岡崎の春のメイン行事と乙川リバーフロント計画の進み具合を共に御覧頂き、総理にお伝え頂く考えであった。ところが反対に、総理主催の「桜を見る会」の御案内が先にこちらに届き、せっかくの御招待でもあり夫婦共々上京することとなった。新宿御苑で行われる「桜を見る会」に出席するのは県会議長の時(平成19年)以来であり、そう言えば前回御招待頂いたのも安倍総理の時であった。
4月8日(金)の臨時議会を終えてから、夕刻に上京した。明朝8時半には会場に出向かなくてはならず、当日は初の新宿のホテル泊となった。久しぶりに見る夜の歌舞伎町は、昨今の外国人観光客増加の影響もあって、まるで同じ国内とは思えない街の様子であった。タクシーから降りた街角には黒人のグループがたむろし、ホテルの受付係は韓国人と中国人、お客も日本人は我々くらいしか目につかなかった。翌日表通りで目にしたのは新宿東宝ビルに最近できたという実物大のゴジラの頭と半身であり、不思議な雰囲気をかもし出していた。
9日朝は新宿御苑の西口である新宿門の受付を通っての会場入りとなった。岡崎においてはすでに桜は満開の時期を迎えていたが、こちらも新緑の鮮やかさと共に満開の桜が我々を迎えてくれた。限られたスペースに1万6000人もの人々が集うため、会場はロープで仕切られていた。各国大使などの外国人招待客、国会議員、各業界・団体の代表者に加え、芸能人も招待されており実に多彩な顔ぶれの催しであった。
「桜を見る会を久しぶりに満開の桜の下で開くことができ、うれしく思います」という総理の挨拶は、天候を含め自然現象をコントロールできないはがゆさが感じられ、私も同じ心境であった。それから総理が前日面会したという、インドネシア人留学生達が作った桜の歌の一節が挨拶で紹介された。「桜よ咲け、日本の真ん中に、日本よ咲け、世界の真ん中で」というフレーズが印象的であった。やはり外国人にとって桜は日本のイメージなのであろうか?
岡崎市の市制100周年の記念バッジは桜の形である。少し大きすぎるとは思ったが、先般ある岡崎の方が文部科学大臣に面会された時に、胸のバッジについて「そのバッジのデザインをオリンピックのシンボルマークにすればよかった」と言われたそうであり、うれしく感じたものである。
「桜を見る会」は園内各所に軽食を楽しむ場所が設けられていたが、安倍総理と昭恵夫人への挨拶を済ませた我々は早々に御無礼することとなった。この日は、翌日に開催される「市制100周年・家康行列」のために、親善都市(石垣市、福山市)・ゆかりのまち(茅ヶ崎市、佐久市、関ケ原町)・観光交流都市(金沢市)の代表の方々と家康公役の里見浩太朗氏が岡崎にお越し頂いており、その歓迎夕食会でお迎えをしなくてはらなかったからである。
岡崎市制100周年・家康行列
それにしても、こうした他市との御縁というのは本当にありがたいものである。
昨年5月、ゆかりのまち・茅ヶ崎市の「大岡越前祭」を訪れた折に、夕食会に同席された前川・茅ヶ崎商工会議所副会頭に「100周年の家康行列に時代劇のスターをお願いしたいと思っている」とお話したところ、偶然にもその方は里見浩太朗氏の親しい友人でゴルフ仲間であることが判明した。「よかったら話してあげましょう」と宴席の最中にお電話して頂き、突然私に携帯電話を手渡されることとなった。「また改めて後日、正式に~」という話かと思っていた私は、いきなりの御本人の里見さんとの会話に驚いてしまったが、思い切ってお願いしてみた。里見浩太朗さんは大変紳士的で気さくなお人柄の方であり、それが切っ掛けとなり今回の出演ということになったのである。
そのほか、家康行列で心配していたのは天気であった。このところ開催日は天候不順が続いており、昨年は小雨混じりでさえあった。議長とも「天気が買えるものならぜひ買いたいものだ」などと話していたくらいであったが、なんとか久しぶりのお天気となってホッと一安心であった。
さすが千両役者の里見浩太朗さんの御登場であり、才色兼備の美人女優・菊川怜さんの出演も加わり、すばらしい盛り上がりの家康行列となり感謝感激である。菊川さんも、東大工学部卒の知性派女優ということもあって、この夏の参院選候補として名前が挙がっており直前のキャンセルを心配していたが、快くお引き受け頂けた。
当日4月10日は、一日警察署長としての菊川さんの車を先頭に、おなじみの徳川四天王と武者行列、奴(やっこ)列や姫行列、少年少女隊に加え、昨年に続く民団岡崎支部による朝鮮通信使列、昔なつかしのレトロ市電、オールド・カー、100周年PR隊等、多彩な隊列となった。そして何よりも気品と貫禄十分な里見さんの家康公姿は、先日まで舞台で使用していた衣裳とあいまって錦上花を添えるものとなった。46万人を超える、これまでに最高の人出を記録したことはお二人をはじめ多くの皆様方の善意と御協力の賜(たまもの)であり、今改めて感謝御礼申し上げるものである。
行列の通る経路は私にとって、広幡、連尺、梅園、三島学区という、まさにワンパク坊主時代からの地元である。沿道には子供時代からの知り合いも多く、「ヤっちゃん!」との掛け声には思わず立ち上がってしまうものであった。「まさかあのヤっちゃんが市長になるとは思わなかったわネ」というかつてのお母さん方からの声が耳に聞こえてきそうでもあった。
ともかくこのように大きなイベントを事故なく終えることができたのも、当日警備と安全に御尽力頂いた警察、消防、役所関係者、ボランティアの皆さんのおかげであり、沿道の皆様方に重ねて感謝と御礼を申し上げるものである。本当にありがとうございました。
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(前回のつづきです。)
江戸時代のはじめ200年の内に12回行われた朝鮮通信使は、家康からの和睦の使いに対する返礼として遣わされた「回答兼刷還使」を始まりとする。
4回目の派遣から朝鮮通信使と名を改めることとなったが、本来の目的は、5万とも20万とも言われる、秀吉の軍勢が引き上げの折に日本へ連れ去った俘虜人(ふりょにん)を連れ戻すことであった。しかし月日の経過の中で日本に帰化せざるをえなくなった者も多く、帰国できた者は初期の3回で2000人ほどであったという。通信使は江戸間までの道中、歌や踊りを披露しながら行列を行った。そのため文化使節団としての役割も果たすこととなった。今も経路の各地に、当時の書画や詩文がそのまま残されており、一行の踊りをマネたと思われる演舞が伝承されている所もある(岡山県の唐子踊り)。
岡崎の籠田公園の南にかつて中村屋という料亭があり、そのあたりに「ごちそう屋敷」と呼ばれる施設があったと伝えられている。私もその名は昔から聞いていたが、岡崎城の食堂のようなものと勝手に思い込んでいた。
ところが最近になって、この「ごちそう屋敷」が朝鮮通信使に対する幕府の正式な招待所であるということが分かったのである。対馬に上陸して、北九州、中国地方、大阪と行進する通信使達は各地で地元の大名による接待を受けながら江戸を目指した。幕府は岡崎の旧水野邸を改装して、これを公式のおもてなしをする場所(ごちそう屋敷)としたのだという。
岡崎城の設計図は残っていないのに、どういう訳かこの「ごちそう屋敷」の見取り図は現存しており、そのために市民の一部からは復元を望む声を頂いている。しかし、すでに時代は移り、縦横に道路がはりめぐらされ市街地も形成されており、その要望に応えるには無理があると思う。しかしながら、籠田公園南にセントラル・アベニュー(現・中央緑道)が完成したあかつきには、何とか「ごちそう屋敷」のよすがを伝える表示をしたいと考えている。
そんなことを考えていた昨年暮れ、日韓親善協会の有志の方から、「朝鮮通信使を再現して春の家康行列に参加したい」とのお申し出を頂いた。すでに家康行列の実施計画について警察と綿密な打ち合わせを済ませていた担当者は難色を示したが、交渉の末、フル参加は難しいものの今年はとりあえず30名ほどの参加をして頂けることとなった(本来の朝鮮通信使は300~500人ほどで構成されていた)。
近年、少々マンネリ気味であった家康行列に何か新しいテイストを加えたいと思っていただけに、この申し入れはありがたいものであった。しかも先に述べた通り、徳川家康と朝鮮通信使は歴史的に深い縁があるのである。平成28年度は、ぜひ往時の華やかさで市制100周年に花を添えて頂きたいものである。
さらに2月19日(木)、駐名古屋大韓民国総領事の朴煥善(パク・ファンソン)氏が岡崎市役所を訪問して下さった。「4月25日に岡崎で行う予定の朝鮮通信使のシンポジウムに岡崎市長としてぜひ参加してほしい」という申し出を頂いたのである。
ところが残念なことに、この日は「家康公四百年祭」の共同事業のため、先約の浜松市に私は出かけなくてはならないのである。私の出席こそかなわないが、シンポジウムの成功のためにできる限りの御協力はしたいと思っている。
両国の関係が厳しくなっている時であるだけに、こうした民間や地方の交流によって、パートナーシップを深め、友好関係を継続することは大切なことであると思う。それこそが大君家康公の御心(みこころ)にかなっているものと信じている。
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私は今回、実に47~48年ぶりの「家康行列」に参加することになった。以前は連尺小学校の鼓笛隊やボーイスカウトの行進などに参加したことがあるが、自身が参加するのはその時以来である。
現在、各小学校とも少子化の影響のせいか、鼓笛隊もバトン・トワリングのチームも編成できないあり様となっている。何か別の名目で子供たちがたくさん参加できるお祭りにできないものかと思う。そうすれば、もっと地元に密着した催しとなるはずである。
現在岡崎市は、石垣市(沖縄県)、福山市(広島県)、茅ヶ崎市(神奈川県)、佐久市(長野県)、関ヶ原町(岐阜県)、金沢市(石川県)の五市一町と親善都市、ゆかりのまち、観光交流都市として友好関係を結んでいる。
今回、それぞれの市町から代表者の方々とそれぞれのミスのお嬢様方、そして各地のゆるキャラ(ご当地キャラ)なども参加して、「家康行列」を盛り上げて頂くことになった。改めてそれぞれの皆様に感謝申し上げると共に、このような交流をこれからも更に広げ、深めてゆかなくてはならないと考えている。
こちらを向いているのは佐久市の「佐久の鯉太郎」くん。
ことに今年はゆかりのまち提携記念30周年を迎え、「ゆかりのまち30周年・記念列」を特別編成し、茅ヶ崎の服部信明市長には、両市をつなぐ大岡越前公に扮して騎乗の上、行列して頂いた。にもかかわらず、私はいつもの癖で「大岡越前というより、悪代官の雰囲気ですネ。なんだか私も『オイ、越後屋』と呼ばれそうな気がしてきましたよ」などと失礼なことを言ってしまった。
慣れてない人が馬に乗ると、おシリだけでなく、体のあちこちが痛くなるものだが、現代の大岡様はその後大丈夫であったろうか?
また当日早朝より、バスで岡崎まで訪れてみえた茅ヶ崎市の市民訪問団の皆様をお迎えして、大平町にある西大平藩陣屋跡の看板設置式もおこなった。江戸町奉行を経て、旗本として西大平藩の大名となった大岡公が、代々の領地の茅ヶ崎において今日もなお敬愛されているというのは我々にとっても喜びである。なお、ヒノキの看板には、初代・陣屋跡保存会会長の内田和夫先生に揮毫(きごう)して頂いた。
前日からの天候悪化のため、河川敷での模擬合戦は中止となり、一時は家康行列そのものの実施も危ぶまれましたが、風速20~30メートルの暴風雨予想もはずれ、少々肌寒くはありましたが、時折太陽も顔をのぞかせる中、伊賀八幡宮での出陣式をはじめ、パレード、武者行列なども無事挙行できたことを本心から喜んでいます。
もう一つの心配は、各ミスのお嬢様方が軽装であり、カゼをひかなかったかということです。ことに当日は沖縄と比べて10度以上寒かったのです。
この度御協力賜りました各・市町の皆様、各種団体、企業、一般市民の皆様、そして警備に当たって下さった警察、消防等の方々、さらに寒風の中にもかかわらず沿道から暖かい声援を送って下さった観客の皆様、すべての方々に重ねて感謝申し上げます。ありがとうございました。
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