「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

まず第一に「反芻思考」を止めること

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私は自省的だ。


だから「ストレッサー」に晒されると、

無意識にそのことについて「反芻思考」を始める。


頭の中をグルグルと「負の感情」が駆け巡る。


それで対処法が導き出されるものであれば、

その通りにすればいいけれど、

「感情的なもの」の多くは、

考えたところでどうしようもない。


それでもグルグルグルグルと駆け巡り、

「不安」や「怒り」に苛まれるようになる。


「こりゃ、あかん」


そう思ったら考えるだけ時間の無駄、

それにイライラする分、健康にも悪い。

良いことは何もないのだ。


「気持ちの整理」なんてものは、

一人で考えたところでできるものではない。


その正体を追いかけるのであれば、

信頼できる人の前ですればいい。

人に話すことで思考は整理される。


「割り切るしかない」


相手がいるものだから、

「感情の問題」は厄介なもの、


そんなものに脳のリソースを使うくらいならば、

楽しみの一つでも見つけたほうがいい。


「行動」を「感情」に合わせるのではなく、

「感情」を「行動」でコントロールするのだ。


「私の時間の使い方は私が決める」


そう強かに生きるのだ。


想像することしかできない、

そんな誰かの感情に思いを馳せて、

心の中にある「負の感情」を育てたところで、

リターンは役に立たないものばかり、


先のことばかりを予測したがるから弱くなる。


どのような悪意をぶつけられたところで、

それに対処できるだけの力強さ。

そういう「ぶっつけ本番力」を育てないといけない。


大丈夫だ。

私はまだ生きている。


たとえそれが意図したものではなくても、

私に「悪意」を向けてくる輩の気持ちに寄り添う必要はない。


まず第一に「反芻思考」を止める。

肝に銘じておこう。


「誠実さ」の中には、

「自分の欲求に対する誠実さ」も含まれる。


私は「誠実さ」を盾にして、

傷つくことを恐れているだけ、


私は私を殺してまで、

「誰かに誠実である」必要はないのだ。


「自我」というものが無くなったら、

どんなに楽に生きられるのだろうか。


だけれども、

「自我」があるからこそ、

「私」は「私」なのだ。


「自分の人生を生きる」ということは、

なんと辛く苦しいものなのだろう。

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