大還暦/島田裕巳

 

 

 宗教学者の島田裕巳さんが「人生100年時代」の死生観の変遷を語られた本です。

 

 タイトルとなっている「大還暦」というのは、人間は生物学的には115年生きれるはずだという説があるということですが、それを越えて2回目の還暦を目指す!?ということなんですが、それも非現実的ではなくなってきて来ているところがちょっとコワい気もします…

 

 「人生100年」どころか、つい数十年前までは定年で会社を辞めると、そう「余生」は長くなくて、ほどなくなくなることが多かったようで、昨今ほど老後の心配をする必要もなかったワケですが、リタイアしてからあと数十年あるということで、色んな意味で残りの人生をどう過ごすのかということをマジメに考えなければならなくなって、日本人の死生観も劇的なパラダイムシフトを強いられるようになったようです。

 

 人間は長らく、新生児が無事育つのもままならなかったり、戦争があったり、感染症の蔓延があったりと、「いつ死ぬかわからない」という「覚悟」みたいなモノがあって、ある意味「死」と隣り合わせだという意識があったようなのですが、昨今は新生児が死ぬことも劇的に少なくなり、医療の進化や社会環境の向上で、そうカンタンには死ななくなり、「死」が日常のモノではなくなったのと同時に、長い人生をどう生きるかという「計画性」みたいなモノが必要とされるようになったようで、未だそういう習慣がなかった現在のシニア層は、葛藤を強いられているという側面があるようです。

 

 そういう死生観の変化に伴い、宗教観も変化してきているようで、「家族葬」など、葬式をシンプルにしたり、墓じまいや、そもそも最初から墓を作らないなど、100年も生きたんだから十分でしょ、ということで弔い自体がそれほど重要視されなくなってきているということで、宗教そのもののプレゼンスも徐々に低下していくんじゃないか、ということにまで踏み込んで言及されているのが印象的です。

中東問題再考/飯山陽

 

 

 昨年行われた東京15区の衆院補選で予想外の健闘を見せ注目を浴び、補選で無くて、比例代表制の選挙であれば当選間違いなしとの評価を受け、近い将来国会議員になるかもしれない飯山陽さんですが、この本は本職であるイスラム問題に関する本です。

 

 ただ、「中東問題」とはなっていますが、この本で扱われているのは「中東問題」そのものというよりも、日本における「中東問題」を扱う人の考え方というか、主張されているところが原因で、日本において「中東問題」が歪んだ見方をされているのではないか、ということが主要なテーマのように感じます。

 

 対イラン問題、対トルコ問題、この本の執筆時点でガザ紛争は発生していませんが、パレスチナとイスラエルをめぐる問題といった「中東問題」について、日本における「中東専門家」が語られていることを紹介して、片っ端から論難されていくワケですが、多くの日本人から見るとかなり偏った見方をされている方が多いようで、やはり中東を研究するだけあって、イスラム世界への同情は見方をされる方が多いということで、明治初期の『エルトゥールル号』で乗組員を救ったことを恩義に感じて未だにトルコは親日的だとか、ちょっとでも日本人が中東にシンパシーを感じることがあれば、針小棒大に強調する傾向があるようなのですが、エルドアン大統領を見ればわかるように、相当したたかなトルコ人がそんなことで日本に有利なことをするはずないでしょ!?というのは、まあ、理解できる気がします。

 

 そういう「中東専門家」の歪んだ見方が日本における中東問題をわかりにくくしているのではないか、ということを主張されていて、一定理解はできなくはないのですが、じゃあ、あなたはどう考えてるの?ということがほとんど書かれてなくて、確かに論敵を攻撃するという論調はアリっちゃアリなんでしょうけど、何か読んでて結局何が言いたいのか見えにくいですし、そもそもあまり気分の良いモノでもなく、政治家になるのなら、どっかの都知事候補みたいな方向性を志向されるのですかね…

ガザ紛争の正体/宮田律

 

 

 イスラム世界研究者の方が語られるガザ紛争の状況についての本です。

 

 日本にいるとどうしてもアメリカの意向を強く反映した報道が多いため、ガザでの状況については、最初にハマスがイスラエルに攻撃をしたこともあって、上川外相がハマスに対する非難声明を発したように、イスラエル寄りの内容の報道が多いように思えますが、イスラム世界研究者の語る状況だけに、パレスチナに同情的な色彩は強いと思われるものの、ちょっと日本での報道は違うんじゃないの!?と思っている向きかれすれば、結構ナットク感が多いモノだと思われます。

 

 そもそもハマスの侵攻自体も、それまでのガザ地域におけるイスラエルからの圧迫や経済封鎖に耐えかねてという側面が多々あるということで、しかもその後の「やり過ぎ感」はおそらく数少ない後ろ盾であるアメリカも持て余しているようなところも見受けられるなど、非道振りが目を覆う状況になっており、アメリカでもリベラルな学生などを中心にイスラエルへの非難が高まっています。

 

 そういった状況について、イスラエルがなぜそこまで強行的な姿勢に終始するのかについて、歴史的な背景も踏まえて解説されていて、元々「約束の地」を追われたユダヤ民族の「夢」としてのイスラエル建国という側面はあるモノの、ナチスによるユダヤ民族迫害を始めとするヨーロッパにおけるユダヤ人の迫害や、イギリスの「二枚舌外交」への反発など、同情すべき状況は多々あるモノの、それにしてもイスラエル建国宣言では、一定のアラブ諸国との融和を謳っていたのとは相反して、シオニズムに基づくイスラエルの姿勢は過激さを増すばかりで、ラビン首相のようにアラブ世界に融和的な首脳が一時期出現しても暗殺されてしまうなど、アラブ世界に対しては極端な強硬姿勢しか受け入れられないように見受けられます。

 

 ただ、ユダヤ人全般がそういう考え方にあるわけではないようで、極端にアラブ世界に敵対姿勢を示すシオニズムに懸念を占める向きはあるのはあるようですが、イスラエルにおいてはなかなか大勢を占めるに至らず、国際世論もイスラエル非難の姿勢は見せるモノの、ナチスを始めとするユダヤ人迫害の歴史に後ろめたさを覚えるところもあるのか、なかなかイスラエルを追い詰めるところまでの非難ができないところにあるようです。

 

 日本としてはあまり利害関係がない中で、アメリカに追従してイスラエルを支持するというのは、あまりホメられた姿勢とは思えず、せめてこういうところではアメリカの意向を過度に忖度するのは避けてほしいモノですが…

英語の極意/杉田敏

 

 

 長らく『実践ビジネス英語』などNHKラジオ英語講座の最高レベルのカリキュラムを担当してこられた杉田先生がかたる英語学習の「極意」です。

 

 杉田先生は担当されていたラジオ講座のスキット内にもその当時最新のビジネススラングを取り入れたりと、その時々に話されている英語の「背景」みたいなモノを重視されていたように思い出されますが、この本で語られている「極意」というのは、イディオムだったりフレーズの文化、歴史的な背景を理解することや、宗教や神話などからくる表現を積み上げていくことのようです。

 

 この本ではそういうフレーズや表現を、英語特有の発想からくる表現、神話や文学、宗教的なモノからくる表現、ことわざなどの慣用句といった3つのパートに分けて紹介されています。

 

 ことわざとか慣用句に関しては、日本人にもすでになじみ深いモノもありますし、逆に日本語から英語に取り込まれたモノや、日本でなじみ深い中国の格言などに由来するモノも多数あり、意外としっているもんだなぁ…という感じです。

 

 ただ、聖書にまつわるモノや、文学、中でもシェイクスピアの作品に出てくるモノなど、一定レベル以上の教養ある人たちが使う表現も含まれ、そういったことを理解できないとなかなか話に参加できないこともあり得そうです。

 

 ワタクシも杉田先生のラジオなどを聴くなど、それなりの努力もして、通訳案内士として活動するまでになりましたが、あくまでも「外側」の人間であることを対話相手が意識した上で成り立っているということを痛感させられましたし、ビジネスや向こうに住んで、ということになるともう数段階上の研鑽が必要みたいです…今のところ、そういう予定はありませんが…

時は待ってくれない/小田和正

 

 

 小田和正さんが2017年に放送されたNHK BSプレミアムの『100年インタビュー』という番組で語られた内容がまとめられた本です。

 

 実はワタクシ、初めて買った音楽のメディアが、オフコースのベスト盤『SELECTION 1978-81』のカセットテープで、ひと頃オフコースに相当傾倒して、あまりソロになってからはちょっと熱が冷めてしまったのですが、今なおオフコースの曲は時折思い出して聞いたりしています。

 

 内容としてはこれまでの人生を振り返るといったモノで、高校時代からデビュー、オフコースの解散を経て、ソロアーティストとしてのキャリアを振り返るといった感じで、テレビ番組なんでそれほどマニアックな内容はなく、ホントにサラッと人生を振り返るというモノです。

 

 小田さんというと、特に2人時代のオフコースのイメージでは詩人のような感じがするのですが、小田さんの入学時は新設校だったモノの、今やそこそこ強豪ひしめく神奈川県で時折甲子園にも出場する桐光学園で野球をされていたというのはこの本を読んで初めて知りましたが、そういわれれば小田さんって一度テレビの企画で、青木功さんの公式戦でキャディをしたくらいの実力はあったんでしたよね…

 

 オフコースでのキャリアは5人時代までは、山際淳司さんによる『Give up』なんかで読んだのである程度は知っていたのですが、やはり長年の相棒であった鈴木康博さんの離脱は相当堪えたようで、自身の音楽のキャリアも終わりだと思われていたということをおっしゃられているのが印象的です。

 

 どうしてもオフコース時代、特に好んで聞いていた二人での時代のイメージが自分の中で大きく、苦虫をかみつぶした気難しいイメージが抜けませんが、近年若手のアーティストと盛んに交流されたり、ツアーの際に訪問地での散策をSNSで公開したり、ステージでは「花道」をしつらえるなどのファンサービスに積極的に取り組まれるなど、小田さんも丸くなったもんだ…と思うのですが、ご本人によると「境地」とおっしゃっていますが、70歳代に突入しても未だ原曲のキーを変えずに、トレードマークであるハイトーンボイスで、全国ツアーで歌い続ける頑固さは、小田さんだなぁ…と感じてうれしくなります。

 

 何にせよ、できる限り長く活躍を続けてほしいものです…

「一人で生きる」が当たり前になる社会/荒川和久、中野信子

 

 

 先日、『「居場所がない」人たち』を紹介した独身研究家の荒川和久が持論である「ソロ社会」について、脳科学者の中野信子さんと対談された本を発見したので、早速手に取ってみました。

 

 最早、男性については半数以上が生涯未婚だという「ソロ社会」がすでに実現しているということで、少子化に手を打たないといけない人はともかくとして、個人としては、かつてのように「結婚を強いられる社会」ではなくなったということで、むしろそういう選択肢を楽しめばいいんじゃないか!?ということをおっしゃいます。

 

 というのも、「結婚」なり「恋愛」なりというのは、明らかに「適性」があり、必ずしも「結婚」や「恋愛」がその人にとってシアワセをもたらすとは限らないということもあり、自分の適性を見極めた上で、ムリのない範囲で選択をすべきなんじゃないかとおっしゃいます。

 

 そもそも恋愛というのはずっと以前から「恋愛強者3割」の法則というのがあって、その人たちがとっかえひっかえするモノの、それ以外の人はそれほど思ったような相手と結ばれるのはかなりの幸運を要するということもあって、自分がその「3割」に該当しないと思えたら、勝ち目の少ない闘いに臨むのがシアワセなのか!?というのはよく考えた方がいいのかもしれません。

 

 また、昨今「おひとりさま」向けの商品やサービスも充実してきており、結構快適に生活できる環境が整ってきていることもあるので、自分が「結婚」や「恋愛」に向いていないという自覚があって、それ程、ソッチへの志向がないのであれば、ムリに少子化への貢献を考えることもないので、シアワセにつながる選択をすればいいんじゃないかという、勇気をくれる本かも知れません…(笑)

武士道と日本型能力主義/笠谷和比古

 

 

 「武士道」と「能力主義」なんておおよそ関係なさそうな感じですが、実はこれが江戸時代中期以降、割と関係性が深いんじゃないかというダイナミックな研究を紹介した本です。

 

 「武士道」というと「滅私奉公」だったり「忠君奉公」なんていう個人を押し殺して主君への忠義を果たすというイメージが強いのですが、必ずしも「滅私」という個人が組織に埋没するような感じなワケではなく、特に徳川家臣団においては、一度は主君に反抗して離れながら戻ったり、一命を賭して主君家康にモノ申す家臣が少なからずいたりと、「個々人は自立の精神を保ちつつ、同時に組織の繁栄をも追及するという、組織と個人の両立的尊重をもって理想としていた」んだそうです。

 

 また、必ずしも字義的に「忠君」だというワケではないようで、非行が目立つ乱脈バカ殿様が出現した場合、「お家大事」ということで殿様を無理矢理隠居させる「押込」という現象が度々発生したことを指摘されていて、「個人」と「組織」のせめぎあいを紹介されていますが、その状況が象徴的に見られるのが赤穂浪士の件であり、仇討ちとお家再興で揺れる大石内蔵助がそういう意味で「武士道」の象徴的な存在に祭り上げられたのは、ある意味自然だと言えるのかもしれません。

 

 「能力主義」というのは、元禄時代以降商品経済が反映し、元々農本主義的な幕藩体制とは相いれない状況となりつつあったなか、徳川吉宗による享保の改革における足高の制に代表されるように、下駄を履かせてでも有能な行政官を身分にかかわらず登用することを励行し続け、幕末においては川路聖謨など有能な外交官を得て、綱渡りの末、欧米の侵略を免れたことを指摘されています。

 

 片や科挙官僚制度にこだわり欧米の侵略に蹂躙され半植民地となり、その後何世紀にもわたって苦難の忍従を強いられた中国のことを考えると、日本のダイナミックな人事制度が国難を救ったと言えることを賞賛してもしきれないと指摘されています。

 

 そういう「能力主義」的なモノと「官僚主義」的な組織運営という一見矛盾するモノを同居させた江戸時代の組織運営というのは、その後、戦後の終身雇用制などの日本的経営にも影響を与えていることを指摘されていて、今や時代にそぐわなくなってほぼほぼ崩壊しているとはいえ、日本の繁栄に一定の貢献をしたことを指摘されているのは興味深いところで、著者の笠谷さんの研究のダイナミズムにカンドーすら覚えます。

 

 日本的経営の崩壊を受けて、長期低落傾向にある日本社会ですが、かつて発揮したようなダイナミズムをどこかでまた発揮してくれることへの期待を示されていることにも、どこかナットクでき、閉塞した日本社会に希望すら与えてくれる、ホントに素晴らしい書籍なので、できるだけ多くの日本人に手に取ってもらいたい一冊です!!