ついつい眠れなくなって

あちこち見ていて、こちらのMacskaさんによる記事を拝見していたのですが(ってストーカーみたいですわね、わたくし)。

わたしは摂食障害をただ単に「美しさの神話」に囚われた状態だとは思っていない。もちろん摂食障害にもいろいろなパターンがあるはずだけれど、最も大きな要因は拒食したり食べた物を吐き出したりして得られる「自己コントロール感」だと思う。

調べなくちゃ調べなくちゃと思いつつ完全放置して何年にもなるのですが、この「自己コントロール感」が「最大の要因」という説って、どう検証されているのでしょう。
わたくしは「美しさの神話<だけ>」が摂食障害の原因だとは思いませんし(前にも書いたように、過剰な同一化というのは原因の一つではないかなとは思いますが)、摂食障害初期においては「自己コントロール感」があるのも経験的には納得できるのですけれども、その「コントロール感」というのが摂食障害のどの段階でどの程度の大きい影響を持つのか、前からちょっと不思議に思っていたのです。
摂食障害って、わたくしの場合は、いきなり始まるものというよりは、ちょっとづつ食べなくなる、あるいはちょっとづつ吐き始める、ちょっとづつ下剤を使い始める、みたいな感じでスタートしたのですね。で、確かにその段階ではコントロール感は、ある。だから、摂食障害が本格化する時点で、「コントロール感」が大きく作用するというのは、分かる気がします。でもこの段階はある意味「まだ後戻りがきく」感じで、「障害」とも少し違う、それこそ「選択」の範囲であったような<これがそもそも「気のせい」という可能性はありますが。
ところがそれが続いていくうちに、少なくともわたくしの場合は、明らかにコントロールが失われているという実感が出てきたのです。
「今日はこれだけ食べる」「今日はこれを食べたら吐く」「今日は下剤はやめておく」というような選択が出来ない。朝起きたその時点で、「今日は来る」と感じたら、もう避けられない。自分とは全く別の何かがやってくる、それに支配されている感じ。「これだけ食べる」ではなくて「これは何があっても食べられない」だし、「これを食べたら吐く」ではなくて「吐くために食べなくちゃいけない」。その日にどういう予定があっても、「それ」を避けることはできないから、あらゆる手立てをつくして「食べない」とか「吐く」とかいう行為を実現しなくてはならなくて、それだけでもう疲れきってしまったものです<単なる栄養失調かも。
そういう状態になって、それがわかっていても、自分で止めることはできませんでした。「それ」に日常の全てを支配された感覚を抱いたまま、何年も何年も過ごしたし、今でも気を抜くと「それ」が戻ってきそうで怖くなることがあります。
もしかするとわたくしのケースが特殊なのかも知れないのですけれど、「摂食障害」であるときの「コントロール感」は一般的にはいったいどこまで持続しているのかなあと、不思議に思うわけなのです。
ちなみにそういうわけで、わたくしは「摂食障害」を「身体を使った抵抗」という形で表象することには、とても懐疑的です。まあ、抵抗なのかも知れないのですが、そういう抵抗様式しか残されていない状態を批判するならともかく、「摂食障害にかかっている人は犠牲者ではない。あれは抵抗なのよ」と下手な主体性を付与して放置するのは違うなあ、と。自分の身体と精神のコントロールを殆ど失って存在を危険にさらしてまで抵抗しなくてはいけないとしたら、その事実をもって犠牲者認定して欲しいわ、くらいの気持ちで。