島根県
出雲大社(島根県出雲市大社町)の神楽殿に飾る国内最大級のしめ縄が、
6年ぶりとなる2018年7月に掛け替えられる
19年3月まで続く「平成の大遷宮」の一環で、製作を手がける
「飯南町注連縄しめなわ企業組合」は8月10日から、
原材料となる「赤穂もち」の刈り取り作業を行っている。
大しめ縄は長さ13・5メートル、重さ4・5トン。
かつて同町に、出雲大社の分院があった縁で、神楽殿が完成した1981年から
同町の団体が、数年ごとに新しい大しめ縄を奉納してきたという。
今回は、出雲大社側から、出雲大社教勧農講社頓原支部に依頼があり、
同組合が製作することになった。赤穂もちは、高さ1・5~1・6メートルに成長し、
わらに粘りがあって色が青いため、しめ縄用に選んでいる。
同町花栗の専用水田約2ヘクタールで5月下旬に、
赤穂もちの苗を田植え後、青々と順調に成長。9月初旬にかけて刈り取りを行っている。
約18時間乾燥させた後に、大しめなわ創作館で、選別作業などを行う。
来年3~7月には、同館で製作する様子を一般公開する。
奉納前日には同館近くの広場で、約50~60人が重機を使いながら、
人力でより合わせる。作業を手伝う希望者を募る予定だ。
同組合の那須久司・専務理事(62)は、
「出雲大社の顔となる大しめ縄を、飯南町で作るうれしさを感じている。
わらの出来具合に左右されるので、気を引き締めて臨みたい」と話している。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://yomiuri.co.jp/national/20170828-OYT1T50085.html
島根県は17日、1905(明治38)年に同県に編入される前の竹島で、
日本人のアシカ漁が記された文書が見つかったと発表した。竹島は日韓両国が
領有権を主張している。編入前の竹島での漁業の記録はこれまでにもあるが、
今回の資料はより詳しく、県の担当者は「日本人による竹島漁業の具体像が
明らかになる貴重な資料」としている。
県竹島対策室によると、資料は隠岐の島町久見に住んでいた八幡才太郎
(1889~1979)が自身の来歴などを記録した「家系永代記録 板屋」
(板屋は八幡家の屋号)。八幡は生前、当時の村の収入役や議員を務めた。
昨年9月、八幡の孫が資料を持っていると、親戚から町に連絡があったという。
資料では、八幡の親戚で竹島でアシカ漁を始めたとされる石橋松太郎
(1863~1941)が「明治三十年頃にランコ島(竹島)にメチ(アシカ)取りに人を
雇って行きました」と記録。アシカを火縄銃で仕留め、皮を塩漬けにして油を
とって大阪方面へ送ったとも記す。竹島から戻る度に、
石橋は肉や魚、貝類で酒盛りをしたという。
県によると、八幡は1977年に当時の福田赳夫首相に送った直訴状で
石橋のアシカ漁を記したが、今回の資料は実態がより分かる。
内容は県が所蔵する記録や町での聞き取り調査の結果などとも整合性がつくという。
町は昨年6月オープンした「久見竹島歴史館」での
資料のコピーの展示を検討しているという。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.asahi.com/articles/ASK2K55PTK2KPTIB00V.html
関連リンク
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_hennyu.html
出雲大社「庁舎」建て替え方針
出雲市の出雲大社の境内にある近代建築、「庁舎」の建て替えをめぐり、
ユネスコ=国連教育科学文化機関の諮問機関の委員会が
建物の保存の検討を求めたことについて、
出雲大社は予定通り建て替えを行う方針を明らかにしました。
出雲市の出雲大社は境内にある近代建築、
「庁舎」の建て替えについての見解をホームページ上で発表しました。
「庁舎」をめぐってはユネスコの諮問機関、イコモスの委員会が著名な建築家の
菊竹清訓氏が設計した貴重な建物だとして、9月9日付けの文書で出雲大社側に
保存を検討するよう求めていましたが、発表によりますと
建て替えは予定通り行うとしています。
その主な理由として出雲大社は庁舎の完成から50年以上が経過して劣化が進み、
専門家による耐震診断などを行ったものの、参拝者が利用する建物としての
安全性を確保できないことをあげています。
「庁舎」は鉄筋コンクリート一部2階建てでかつては祈とうの
受け付けなどが行われていましたが、現在は使われていません。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.nhk.or.jp/lnews/matsue/4033057131.html?t=1475095225000
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
島尻安伊子領土問題担当相は12日午前の閣議後会見で、
島根県が22日に開催する「竹島の日」記念式典に
酒井庸行内閣府政務官を派遣すると発表した。
同式典への政務官の出席は4年連続。同県は閣僚級の出席を求めてきたが、
島尻氏は「諸般の情勢を踏まえて検討し、総合的に判断した」と述べた。
これに関し、菅義偉官房長官は12日の会見で
「日韓関係を悪化させる意図は全くない」と強調した。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2016021200238
4: 名無しさん@1周年 2016/02/12(金) 19:26:44.04 ID:ElGSyIbe0.net
竹島は日本国有の領土です。
出雲神話の舞台として知られる
島根県出雲市の砂浜「薗そのの長浜」(15・9キロ)で、景観の変化が進んでいる。
約40年前に40メートルほど沖合にあった島は陸続きになり、
その南側では海岸線が約80メートルも後退した。原因は砂の堆積や波による浸食で、
地元関係者らが気をもんでいる。
薗の長浜は、日本海に面した出雲市西部の砂浜。
南北に延びる壮大な様子から、出雲国風土記の「国引き神話」で、八束水臣津野命
が朝鮮半島などから島根半島を引っ張った綱の名残とされる。
北端の「稲佐いなさの浜」は、出雲大社の西約1キロにあり、
天照大神の使者が大国主神に国を譲るよう迫った古事記の「国譲り神話」の
舞台だ。沖に浮かぶ「弁天島」はシンボル的な存在で、観光パンフレットにも登場する。
島の周りではボートレースも行われていた。
ところが、県が2014年度、過去の航空写真と比較したところ、
風景が一変していた。島は1979年には沖合約40メートルにあったが、
砂浜との間に徐々に砂がたまっていき、1年ほど前には島の周囲も完全に陸続きになった。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160105-OYT1T50027.html
画像
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20160105/20160105-OYT1I50007-N.jpg
八百万(やおよろず)の神々が集う島根県出雲市で、
「神様が見つけてくださったのでは-」と1匹の猫の大捜索劇が話題になっている。
今年3月、出雲大社を観光で訪れた神奈川県の家族が
連れていた三毛猫が行方不明になり、地元の人たちが協力して捜索を続けたところ、
約8カ月後に当地で無事保護された。
発見された11月28日は出雲大社に集まった神々を見送る神事の日で、
猫は飼い主が引いたおみくじ通りの方角で見つかった。
これは“神話の地”ならではの神がかりパワーか、
それとも出雲の厚い人情のたまものか。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.sankei.com/west/news/151224/wst1512240008-n1.html
69: 名無しさん@1周年 2015/12/24(木) 19:12:10.36 ID:K765F+U00.net
>>1
愛さてるなペットなのに……俺も、愛されるように
なりたいわ
旧暦10月10日にあたる21日夜、
島根県出雲市大社町の稲佐の浜で、
神迎かみむかえ神事が執り行われた。
神職たちが、神在月の出雲に全国から集まった
八百万の神々を厳かに迎え入れた。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.yomiuri.co.jp/national/20151122-OYT1T50043.html
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出雲そばが1666年に食べられていたことを示す文書を
島根県立古代出雲歴史博物館(同県出雲市)が見つけた。
従来の最古の記述は1800年代だった。
出雲大社神職の日記に、練ったそばを細く切る
「蕎麦切(そばきり)」の振る舞いがあったと書かれていた。
出雲そばは信州から1638年に移った松江城主が持ち込んだと伝えられ、
この説を補強する史料。
日記は12月14日まで同館で公開。記述を見つけた学芸員は
「江戸前期の出雲そばをいつか再現したい」と、
長い付き合いの実証に挑む考えだ。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151119-00000080-mai-soci
島根県出雲市の出雲大社の境内から平成12~13年に出土し、
鎌倉時代に建立されたとみられる本殿を支えた巨大柱の中心に位置した
「心御柱(しんのみはしら)」=国重要文化財=が、
日本書紀編纂(へんさん)1300年の節目に合わせ
平成32年2~3月、東京国立博物館(東京都台東区)で開かれる
「出雲と大和」をテーマにした展覧会で公開されることが25日、分かった。
同日、松江市の島根県庁で
奈良県、同博物館と合同で行った展覧会の発表会見で、
溝口善兵衛・島根県知事が明らかにした。
心御柱は、出雲大社に高層神殿が存在した可能性を示す
中心的な柱で「神が宿る」とされる。
直径1メートルあまりのスギの巨木を3本束ねた構造で、
出土時に現地で公開されただけで、
保存処理などのため10年以上も公開されないままだった。
展覧会は東京五輪の年にも重なり、
溝口知事は「国内外から注目が集まる年に、
日本の成り立ちを考える契機になる」と話した。
全文は下記のアドレスへどうぞ
http://www.sankei.com/west/news/150825/wst1508250093-n1.html
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