b517

1: ずっと考えるも結論出ず 2000/08/15(火) 00:18

2・26事件の謎の”核心”とも言われる「天皇陛下の激怒」。
この激怒の背景は一体何だったんでしょうか?
三島由紀夫氏も松本清張氏も河野司氏もあえて踏み込んで書いて
いないこの「お怒りの背景」について伺いたいのですが・・・

4: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/15(火) 12:59

「朕自ら近衛師団を率い、此が鎮圧に当らん」
「自殺するなら勝手に為すべく、此の如きのものに勅使など以ての外なり」・・・
昭和天皇には珍しい感情丸出し状態。
まあ、大元帥ですし・・・

3: 名無しさん 2000/08/15(火) 02:15

真藁にて朕が首を締むるに等しい行為なんだから、
怒るのは当然じゃろう。藁藁。
5: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/15(火) 13:16

大日本帝国憲法
第55條
 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
 凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

つまり天皇にとって大臣は自分の手足以上の存在ですから。
それを奪われるというのは自分の存在をも脅かすことでしょう。

それに、天皇は権威的存在で実際の為政は
枢密院・国務大臣が行うというのは
明治の大帝が築いた近代日本の大切な屋台骨ですから。
それを脅かす行為は国家の敵と考えたんでしょうね。

6: ずっと考えるも結論出ず 2000/08/15(火) 19:22

確かにあれだけの数の政府の重鎮が惨殺されれば
国家機能は停止、天皇が激怒するの当然なんですが、
激怒の背景はなんかそれだけではないと思ってるんです。

三島由紀夫氏と河野司氏が昭和41年に対談した中で、
三島氏は河野氏に「2・26の挫折の原因は何と思うか?」と質問、

河野氏は「30年に亘る私の探究の結果は、
口にする事は憚るものがあるが、
最終的には(反乱軍と)天皇との関係の解明に尽きると思う」と答え、

三島氏も「やはりあなたもそうですか」とのやり取りがあります。
(河野司著『私の2・26事件』”三島由紀夫と2・26事件”項)

しかしそれが何かは全く突っ込まれておらず、
あえてそれ以上は触れていないのです。

私は天皇家と反乱軍との間に何かがあり、
あの神格天皇としては異例の激怒に到ってるのではと思ってるのですが、
考え過ぎでしょうか?

処刑された青年将校他が全員最後まで
「我ら逆賊にあらず」との姿勢を崩さなかったのも
何か”よすが”を握っていたからと思うのですが・・・

7: >6 2000/08/15(火) 19:46

秩父宮との関係のことですか?
でも今の研究では宮と事件そのものとの関連は
否定されているような・・・。
(反乱軍の片思い)

昭和41年の時点で本庄日記は公表されていたでしょうか?

8: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/15(火) 21:45

よしりんにとっては
「陛下のことを思ってやったのになんで怒るとばい」
くらいだったりして

10: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/16(水) 00:08

激怒したことを反省し、
その後、どういう場でも感情をあらわにしないようになりました。

15: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/16(水) 00:42

1945年8月の決断(聖断)は『超法規的措置』かね?

12: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/16(水) 00:28

いやあほんと朕が直接部隊を率いたら
最高に面白いことになっていただろうに
水戸黄門のようなもので、「この紋所が目に入らぬか」で一挙解決かな?

まぁけど、朕が直接部隊を指揮したのは124代中、
神武が最初で最後だし、ちょっと実現は困難か

13: 名無しさん@1周年 2000/08/16(水) 00:35

いささか極論かもしれないが、
スターリンみたいに、全将官の90%を粛清するなどと言う皆殺しをやれば、
さしもの軍もびびりまくり、フランコ政権のように
大戦に巻き込まれないですんだと思う。

しかしソ連においては軍は最後まで党に忠実だったなあ。
スターリン効果かな。

14: 名無しさん@1周年 2000/08/16(水) 00:37

つまり、数百人の命を犠牲にすることで、300万人の日本人が救われた・・・

18: マグロ男 2000/08/17(木) 19:35

皇道派の若手将校が一番間抜けだったのは
『天皇陛下は自分達の行動に理解を示してくださる』と
勝手に思い込んだことだよな。

実は昭和天皇はこの手の輩が反吐が出るほど一番嫌いなのに
それがわかってないところが本当に間抜け。

天皇の忠犬たる軍が曲がりなりにも
国民から選ばれた大臣を殺すことは長期的にみれば
国民の天皇に対する信任を失いかねない行為だということを
昭和天皇は理解していたのかもね。

>真綿にて朕が首を締むるに等しい行為

20: ずっと考えるも結論出ず 2000/08/17(木) 22:49

なるほど、皆様真摯なご意見誠に有難う御座います。
2chとしては稀有(笑)ともいえる真面目なレス展開が続き、
回りにこの様なことを論議する友人がいない私は
涙がでるほど嬉しいです。(涙)

では、有名な「大臣告示」問題と、
荒木・山下・香椎・真崎らの陸軍上層部の動きはいかがでしょうか?

この連中は煽るだけ煽って、
状況不利とみるやさっさと態度を豹変させたようですが、
本当にこの連中以上は関与していないのでしょうか?

また、秩○宮はそれほど
深い接触が無かったというのが本当の結論なんでしょうか?
やはりこの辺もどうしても気になるんですが・・・

16: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/16(水) 16:39

         下士官兵ニ告グ

一、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ
二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イ
   テオルゾ
二月二十九日    戒 厳 司 令 部

22: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/18(金) 17:17

5・15事件のときはどうだったの?

26: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/09/04(月) 02:50

2・26が5・15に比較して唯一マシな点(あるいは問題点)は、
陸軍将校たちは下士官兵を同行させえたところか。

5・15の海軍将校たちは下士官兵にはソッポ向かれた。

別の言い方をすると、ああいうお粗末な事件を起こすような
奴でも陸軍将校は兵隊の人気取り「だけ」は出来たと言うことで、
却ってタチが悪いかもしれない。

27: 名無しさん@そうだ納税にいこう 2000/09/04(月) 04:51

>>26

兵達には、「演習を行う」と騙して連れ出したんだよ。
むしろ、将校だけで実行した 5・15事件の方がまだマシと思う。

9: 名無しさん@そうだ選挙にいこう 2000/08/15(火) 22:32

あの時、天皇が自ら鎮圧におもむいていれば
あの後の軍部の暴走は多少は押さえられたかもしれない・・・
でも陛下は立憲君主制を信奉してたからなあ。難しいものだ。

引用元 http://mimizun.com/log/2ch/army/966266286/