浅草ネタ第4弾はこれだぁ
すっかりアップするのを忘れていたぁ
猿若三座跡 さるわかさんざあと
※撮影:2015年12月5日(土) Canon IXY430F
▼浅草寺雷門(下) と 待乳山聖天(右)
浅草めぐりのぶらぶら散歩
待乳山聖天さんのあとで
寄ったのが今は無き「猿若町」
ここにある史跡なのだけど
猿若三座って分かりますかぁ??
時間が無いので?!三省堂大辞林より引用いたします
さるわかちょう -ちやう 【猿若町】 東京都台東区の旧町名。現、浅草六丁目にあたる。天保改革のとき、風俗取り締まりのため、江戸三座(のち猿若三座とも)を浅草聖天町に移して猿若町と命名。一丁目(中村座)、二丁目(市村座)、三丁目(森田座)と称し、明治初年まで栄えた。
うん流石に手短くまとめてある(笑)
ということで
猿若三座というのねぇ
ところが当然この三座なんだけど
いまや劇場や映画館がある訳でもなく
普通の街並になっちゃっているので
見つけるのが大変
でもね探すのが楽しいから
ここでは教えないねっ(性格悪いなぁ)
▼詳しい言われはこちらの看板に書いてありますので読んでね 地図も出ているから参考にどうぞ
※クリックすると少し大きくすることができます m(__)m
でっその近くには
石碑が建っているのでありました
でっ我々は
三座だから3つあるはずだということで探したんだけど・・・・
こちら一つ目
中村座跡
なかなか立派な石碑で
これはすぐに見つけることができたねぇ
次は二つ目
おおっ お店の駐車場の脇だから 車が邪魔で(いやぁ失礼しました 見る人にはですが)
分かりにくいねぇ
ちょうど車の影になっちゃった
どかしてちょうだい!とも言えないので(笑)
これでカンベンです
こちらは
市村座跡
でっ すぐに
森田座が見つかるはずだった・・・のだけど
えっ看板はあるんですがねぇ
石碑らしいものが見つからない
キョロキョロとみんなであちこち探してみたが見つからない
そこでネットで石碑の写真を探してみたら 分かりました
ないはずです 石碑の横に写っていた建物を見るとなんと
工事現場の隣のお家が写っているではないですかぁ
ということは 石碑があったところがまさにビルの建設現場
こちらの現場入口の辺りに
確かに石碑があったらしい!ということが分かりましたぁ ふう~っ
じゃぁどこに行ったのだろうね
多分工事中は大事にどこかに保管されていると
信じたいところでゴザル
なんだぁ また工事が終わったころに
確認に来なくちゃねぇ
また楽しみが増えました(笑)
こちらは
看板の下にあった解説のアップでゴザル
なになに
歌舞伎の舞台の引幕の色は
(黒・柿色・萌葱色の3色)
森田座の定式幕を各劇場が使うようになったそうな
おおおっ
ちなみに下に並べてみるからね
参考にしてねっ
中村座 市村座 森田座
参照
wiki
目がちかちかするって??
がはははっ
目の検査用紙みたいだね
▼面白い浮世絵を見つけた これならバッチリ当時の芝居小屋の様子が分かるネッ
「猿若町芝居の略図」 今でいうと観光案内パンフレットと言ったところでしょうか
左奥に浅草浅草寺 右手奥には日本堤 吉原(遊郭)も見えていますね
画面中央左にひときわ大きな中村座 その右に市村座もある 森田座は霞の中かなぁ
手前の船が浮いているのが隅田川で右下には 先日訪ねた待乳山聖天もあるよ
それにしてもこの辺りは一大レジャーゾーンだったのね
▼ 廣重作 「東都名所 猿若町芝居」 広重もしっかり題材にしています
▼ こちらはおなじみ 広重の名所江戸百景「猿若夜の景」 見事な月夜の情景ですな
ちなみに右手の防火用水の手桶の屋根に「森田座」と書いてありますよ
※江戸をしのびながら 旧猿若町をブラブラするのも こりゃ楽しいねぇ