ぼっち・ざ・ろっく!(アニメ) 原作からの変更点について エピソード強化・人物造形・押し入れの冒険
ひとりと押し入れのモチーフ・猫背のスタイル
エピソードのアレンジ・演出でもっとも印象深かったのは、ぼっちちゃんについて「押し入れ」のモチーフが強調されているところでした。
この物語はぼっちちゃんの回想……小さなころから引っ込み思案でぼっちだった、中学生のときにたまたま見た音楽番組の「陰キャならロックをやれ!」という言葉に感化され、ちやほやされたくてギターを始めた……から始まり、三年の間に超絶技巧を身に付けた今も目論見叶わず、押し入れで孤独にギターを奏で続けるひとりが写されて幕を開けます。続いて流れるOP曲「青春コンプレックス」の映像も、はるか宇宙から家の押し入れでギターを構える彼女にクローズアップされるところからスタートします。「すべてはここからはじまった」というワクワクがありますね。
押し入れは、ひとりにとってまずネガティブな場所(暗く狭い)として描写されます。
ひとり
(それに比べて私は芋ジャージだし クマすごいし 猫背だし
あっ 私かび臭いかも いつも押し入れにいるから… いや防虫剤のにおいだ)
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#1「転がるぼっち」)
#6「八景」でお酒に溺れた自分を妄想するところ、原作では布団で寝たきりになっていましたが、アニメだと押し入れに閉じ籠っていて、はがれたアーシャを目にして涙します。#8「ぼっち・ざ・ろっく!」で、就職するものの仕事で失敗して引き籠る自分を妄想するところは、原作だと呻きながら酒を呷ってゲームをしていましたが、アニメだとここでも押し入れに籠って布団をかぶっています。
一方で、押し入れはぼっちちゃんの常軌を逸した研鑽や特異な音楽性・演奏スタイルとも結びつけられています。#4「ジャンピングガール(ズ)」で新曲の作詞をするところは、原作だと部屋の机ですが、アニメだと押し入れで背中を丸めて四苦八苦します。#5「飛べない魚」では、バンドとしての成長とは何か自問しながら押し入れで粛々と練習する画が挟まれています。この二か所は原作にはない描写だけに演出の意図を感じました。そして、特に文学的で美しいと思ったのが「青春コンプレックス」の歌詞、「私うつむいてばかりだ それでいい猫背のまま虎になりたいから」。作者も「最高の歌詞です、テストに出ます 覚えてください」というくらいの白眉のフレーズです。結束バンドはひとりのネガティブでヒステリック、攻撃的な歌詞を喜多ちゃんが明るくパワフルに歌い上げるところがアンビバレントな魅力になっています。そして、ぼっちちゃんのかつての孤独が異様な練習量の原動力になっていて、暗い歌詞が一部の人に深く刺さるという強みに化けているのが「虎」という言葉に表れていると思います。さらに、猫背のビジュアルは#8「ぼっち・ざ・ろっく!」のライブシーンで、演奏にのめり込むのに連れてどんどん前のめりになっていく雄姿にも落とし込まれています。勝手な想像ですが、制作陣がイメージボード・コンセプトアートをきっちり共有して各々の仕事をしたのだと思います。
ぼっちちゃんにとって押し入れは、友だちができない現実からの逃避先で心の壁や自閉の象徴であるのと同時に、中学生が日に6時間の鍛錬という矛盾! でギターの腕を磨いた虎の穴であり精神と時の部屋でもあります。まだ(ギター)ヒーローとして生まれる前の卵の殻・母親の胎内、あるいは宇宙のような両義性が感じられて、非常にミステリアスです。「青春コンプレックス」の映像だと、イントロでくるくると回るひとりは宇宙遊泳や胎内の赤子を連想させます。余談ですが、その後に映るのが虹夏ちゃんと出会ったブランコというのも印象深いです(片方の鎖が切れているのはどんな心象風景なのか)。
この押し入れのモチーフと猫背のスタイルが、ぼっちちゃんの妖怪のような妖精のような、座敷童や猫又じみたキャラクターをより強烈にしていて、奇怪さと愛くるしさに繋がっていると思いました。みなさんはどうでっしゃろか。
ところで、われわれ日本人が押し入れに対して神秘・ワクワクを感じるのは、単純に隠し部屋や秘密基地のような構造で男のコだというのもありますが、『ドラえもん』や『おしいれのぼうけん』などの影響もかなりあると思っています。ドラえもんと言えば机の引き出し(タイムトンネル・タイムマシーンとのつながり、すべてのはじまり)と押し入れ(ドラちゃんのねぐらと枕の下にあるスペアポケット)ですよね。おしいれのぼうけんはみんなのトラウマ。
ドラえもんと言えば、#5「飛べない魚」で星歌に演奏のクオリティーにきついことを言われて飛び出した虹夏を追いかけて行った空地、土管が下二本に上一本積まれたあれは、ドラえもんで刷り込まれた原風景ですね。
きくりの師匠・前作主人公ポジションの強化
きくり姐さん、明らかにスタッフから愛されています。私も好きだけど。普段はちゃらんぽらんではた迷惑だけれど、いざというときには真剣になって頼りになるというのは大人世代のキャラの王道ですね。昔は陰キャで引っ込み思案で、そんな自分を変えたくて音楽を始めたというのもかわいらしいし、ぼっちちゃんにかつての自分を重ねていて、自分なりに経験を伝えていこうとするのがいじらしいんですよね。
きくりの演出で出色なのは、ギターを売りに行こうとするひとり(嘘だけど)を止めるところ。
「一日で諦めるのはもったいないよ
もう少し続けてみなよ」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
きくり
「待って!」
きくり
「一日で諦めるのは もったいないよ」
ひとり
「えっ?」
きくり
「売るのはいつでも出来るからさ
もう少し続けてみたら そのギターにふさわしい人になれるかもよ
……なんちゃってぇ いいこと言っちゃった~あははは」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#6「八景」)
「待って!」の真剣なトーンが印象的な場面だったのですが、驚くことに原作では小さな一コマでのやり取りでした。こういった、その人の人生・価値観・哲学が感じられるセリフ、みんな好きでしょう? その後の照れ隠しまで含めて、実にそれらしい。
他、細かいところだと、大人になって酒に溺れる自分を想像して突然苦しみだすぼっちちゃんに対する反応がかなり違います。
きくり
(この子けっこうやばい奴だな…)
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
きくり
「あははは。君、もしやけっこうやばい子ぉ!?」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#6「八景」)
後者のほうが豪放磊落なこの人らしいと個人的には思います。
ぼっちちゃんを見守る星歌
この人もエピソードの強化で「らしさ」が際立っていました。例えば、#5「飛べない魚」で次回のライブ出演を賭けたオーディションの結果を伝えるところ。
「…いいよ 合格」
――ワッ
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
星歌
「いいんじゃない?」
4人
「わあ……」
星歌
「って言いたいところだが」
虹夏
「あ……」
星歌
「ドラム、肩に力いれすぎ」
虹夏
「あ……」
星歌
「ギター2人、下向きすぎ」
2人
「あっ……」
星歌
「ベース自分の世界に入りすぎ」
リョウ
「ん……」
星歌
「でも……まあ お前らがどういうバンドかはわかったけどね」
虹夏
「アドバイス ありがとうございました」
星歌
「えっ? なに そのリアクション」
虹夏
「いや、だって…」
星歌
「だからどういうバンドか分かったってば
ここ 喜ぶところだから」
4人
「え?」
PA
「たぶん 合格ってことだと思いますよ」
星歌
「だから そう言ってんだろ! 合格!」
4人
「ええええーっ!」
虹夏
「もう お姉ちゃんわかりにくすぎ!」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#5「飛べない魚」)
原作でもこの後に言う「身内の私が厳しくしてバンドを育ててあげたほうがいいじゃん」を反映させたのだと思いますが、回りくどくて素直じゃないけれど身になるアドバイスをしているところが、実にこの人らしいと思いました。スゴいね、脚本の人。
あと、初登場回の横暴さがのちに判明するキャラクターに合わせて地味に修正されています。
星歌
(なんかどこかで聞いたような…) はっ
星歌
「仕事しろ…」
虹夏
「なんであたしまで」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
星歌
(この演奏の感じ どっかで…)
星歌
「あっ!」
星歌
「…仕事しろ」
虹夏
「あいてっ なんであたし?」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#2「また明日」)
原作だとぼっちちゃんにも容赦なくげんこつを振るってましたが、のちにぼっちちゃん見守り隊に就任することに合わせたのか、なぜか虹夏ちゃんが突っ込まれるというギャグチックに軌道修正されています。姉妹仲がよいからこそできるじゃれ合いというか。
ぼ喜多成分マシマシ
2022年アニメのカップリングはちさたき・ぼ喜多・スレミオの三国志とか言われてましたが、その人気がアニメでの脚色に後押しされているのは間違いありません。
この作品、原作ではわりかし辛辣な発言がぽんぽん飛び交うのですが、アニメではおおよそ削られていて全般的にマイルドになっています。その恩恵をかなり受けているのが喜多ちゃんもといぼ喜多。
ひとり
(ライブも近づいてくるし… どうしよう…
なんかずっと前に 自分を変えるみたいな事誓った気がするけど
何も変わってない~~~~~~~…)
ひとり
(いや…人の目はたまに見れるようになったし… バイトもしてるしちゃんと変わったよね…
ライブ楽しみだなぁ…)
虹夏
「ずっと一人百面相ごっこしてるよね」
郁代
「面白かったの最初のうちだけでしたね」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
アニメでは該当箇所なし。
あとは、初ライブでの打ち上げで、ぼっちちゃんが愚痴るサラリーマンの声を聞いて、また一人の被害妄想世界に入り込んでダメージを受けるところ。
虹夏
「ぼっちちゃんまたいつもの発作が…」
ひとり
(早くギターで食べれるようにならないと私はニート…)
郁代
「もー! 後藤さん顔! 怖いのよねこの顔!」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
星歌
「ぼっちちゃんまたいつもの発作か!?」
きくり
「へえ~やっぱりこれ いつものことなんだ」
ひとり
(早くギターで食べれるようにならないと…)
星歌
「怖いんだよなぼっちちゃんのこの顔」
PA
「そうですか? けっこう味があると思いますけど」
きくり
「うんうん」
星歌
「マジかよ」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#8「ぼっち・ざ・ろっく!」)
ダメ出しする役が星歌さんに交替している。きくりやPAさんの突っ込みも味があって、こっちのほうが配役が合っていると思います。
そして、個人的にインパクトがあったのが、学園祭のライブで「星座になれたら」の演奏後にぼっちちゃんへ水を向けるところ。
郁代
「ほら後藤さん 一言くらい何か言わなきゃ!」
ひとり
「あっうっ」
(えっあっ コミュ病は事前に台本作っとかないと喋れないのに 予想外のふりされたら…
何か面白い事面白い事…)
郁代
「後藤さん!」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』2)
郁代
「ほら後藤さん! 一言くらい何か言わなきゃ!」
ひとり
「へっ?」
郁代
「ふふっ」
ひとり
「へっ えっ」
ひとり
(コミュ病は事前に台本作っとかないと喋れないのに 予想外のふりされたら…)
喜多
「んふっ」
ひとり
「何か面白いこと 何か面白いこと」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#12「君に朝が降る」)
文字起こしだけでは何のこっちゃらですが、カットと声が合わさるとかなりニュアンスが違っています。漫画だとお客さんにちゃんと挨拶できない子どもをたしなめる雰囲気で、アニメだと格好よく演奏をやりきったひとりにインタビューするような彼女面のテイストが強いんですよね。演技指導をかなりみっちりやったと見受けられます。
そして、作品のハイライトでもある#12「君に朝が降る」での喜多ちゃんの意志表明、ここも強烈でした。
郁代
(私は一人だと 後藤さんみたいな人を惹きつけられるような演奏はできない…
けど皆と合わせるのは得意みたいだから―――)
郁代
「これからギター もっと頑張るから教えてね
後藤さ… …………」
郁代
「ひとりちゃん」
郁代
(――貴方を支えていけるような
立派なギタリストになるわね)
はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』2
郁代
「私は 人を惹きつけられるような演奏はできない」
ひとり
「え?」
郁代
「けど みんなと合わせるのは得意みたいだから
これからも もっとギター頑張るから教えてね
後藤さ……ひとりちゃん」
ひとり
「あっ え…… あっはい!」
郁代
「じゃあ 先行くね 準備できたら来てね」
ひとり
「あ…… はい」
ひとり
「あ……」
郁代
(私 ひとりちゃんを支えていけるようになるね)
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#12「君に朝が降る」)
「支えていけるような立派なギタリストになる」と「支えていけるようになる」の違いは……あえて言うのは無粋ですね。
ここのシークエンスは、漫画では保健室でのやりとりで完結してるんですが、アニメでは運命が交わったあの廊下で最後の言葉をつぶやかせることで、さらに余韻を深めています。このアニメ、単なる原作再現、コマの合間を埋める作業にとどまらず、映像表現としてよりよいものを追求してロケーションまでこだわっているのが随所でわかって、素敵滅法です。
ぼ虹とふたりのパワーバランス
ぼ虹派のサライである#5「飛べない魚」の「でもまだぼっちちゃんには秘密だよ」(通称、下北沢の天使)。
虹夏
「大丈夫だよ ぼっちちゃんはちゃんと変わってるよ」
ひとり
「……」
虹夏
「ならぼっちちゃんが 何のために今バンドしてるのか
よく考えてみて!」
ひとり
「虹夏ちゃんは売れて武道館ライブですよね…」
虹夏
「う~ん 私の本当の夢はその先にあるんだ
でもぼっちちゃんには まだ秘密だよ!」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
虹夏
「ぼっちちゃ~ん!」
ひとり
「ハッ」
虹夏
「ごめん ごめん 驚かせちゃって」
ひとり
「あっ いえ……」
虹夏
「コーラでいい?」
ひとり
「えっ? あっ えええっ? えっ あっ は…… はい?」
虹夏
「はい」
ひとり
「あ……ありがとうございます」
虹夏
「もし あたしにつきあわせちゃったりしてたら ごめんね」
ひとり
「えっ?」
「いや ほら ぼっちちゃんが結束バンド入ってくれたのって その場の成り行きだったでしょ?」
ひとり
「はあ……」
虹夏
「ぼっちちゃん あのとき ずっとバンドやりたかったって言ってたけど
そういえば 私ぼっちちゃんがどんなバンドしたいとか
なんのために 今バンドしてるとか 聞いたことなかったな~って」
ひとり
「あっ いや……」
ひとり
(ち……ちやほやされたくて始めたって正直に言うべきだろうか)
虹夏
「人によってそういうの それぞれじゃない?」
ひとり
「あ……」
虹夏
「別に ライブに出るのが全てじゃないし
知ってもらうのも 今は配信とか方法はいろいろだし」
ひとり
(確かに ギターヒーローで ネット配信するのも楽しいし
ネットの世界は私に合ってる事実もあったり)
虹夏
「あたしはさ 目標っていうか夢があるから
だから つい熱くなりすぎるっていうか
だから ぼっちちゃんに無理させちゃってたりするかなあとか」
ひとり
「そっ そそそそ……そんな全然むむむ……無理なんてないです!」
虹夏
「そう? ならよかった」
ひとり
「虹夏ちゃんのバンドやる理由は 売れて武道館ライブですよね?」
虹夏
「う~ん 本当の夢は その先にあるんだけど」
え?
「でも まだぼっちちゃんには秘密だよ
じゃ 明日 よろしくね~」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#5「飛べない魚」)
原作ではSTARRYで練習がはけたあとの流れなんですよね。アニメでは、解散した後に虹夏ちゃんがひとりを追っかけていって、ジュースを飲み交わしながらのやりとりになっている。独特の間や夜の空気感、二人きりのシチュエーションが、秘密の共有感や青春感を醸し出していました。
そして、みんな大好きタイトル回収回かつぼ虹派の殿堂入り、初ライブを打ち上げを抜け出した二人のやりとりも、情感が違って聞こえました。ここの重要な台詞が変更されているのはいただいたはてブのコメントで気付きました、申し訳。
虹夏
「そういえばぼっちちゃんが今何のためにバンドしてるか 結局聞いてなかったよね」
ひとり
「あっ私は…」
ひとり
「ギタリストとして 皆の大切な結束バンドを 最高のバンドにすることです」
ひとり
「あっ それで全員で人気バンドになって… うっ売れて 学校中退したい…」
虹夏
「そんな重いのはバンドに託さないで…」
虹夏
「ぼっちちゃんの演奏が動画のときみたいに毎回
ライブで発揮できたらいいんだけどな~ 精進してくれたまへ」
ひとり
「あっ がっ頑張ります」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
虹夏
「そういえば ぼっちちゃんが今なんのためにバンドしてるか 結局聞いてなかったよね」
ひとり
「あっ 私は……
ギタリストとしてみんなの大切な結束バンドを最高のバンドにしたいです!」
虹夏
「あ…」
ひとり
「あっ ああ…… それで全員で人気バンドになって う……売れて 学校中退したい」
虹夏
「アハハ なんか重いなあ でも 託された!」
ひとり
「ウヘヘヘ……」
虹夏
「あ~ ぼっちちゃんの演奏が動画のときみたいに
毎回 発揮できたらいいんだけどな~」
ひとり
「ああ……あっ がっ頑張ります」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#8「ぼっち・ざ・ろっく!」)
原作はどちらかというと、虹夏ちゃんはぼっちちゃんの保護者的な立場で成長を見守っているようで、アニメはより対等な関係で、背中を預け合うヒーローとその理解者・相棒のように感じました。※若干ネタバレ※もしくはシンプルに、二人の進路予定に合わせたという線も。※ネタバレおわり※
ところで、こうして見比べてみて、アニメはビルドゥングス・ロマンとしてぼっちちゃんの成長や変化についての直接的なセリフは刈り込んでいて、行動そのものやふるまいで表現し、あとは読者の理解力を信頼するスタイルだと見受けしました。これも媒体の違いがよく表れていますね。
楽曲とライブシーンの妥協なき作り込み
『ぼざろ』アニメがあれほど高く評価された理由に、楽曲のクオリティの高さ――単体でも聞かせるサウンド、原作・キャラクター理解に裏打ちされた歌詞の両立――とライブシーンのもっともらしさがあるのは衆目の一致するところです。私は音楽についてはド素人なので、生ちょこざいな語りは避けて参考程度に。
まず楽曲について、原作漫画で結束バンドの曲に関してわかるのは、「ギターと孤独と青い星」という曲名と、歌詞はぼっちちゃん謹製、暗いけれど一部の人に刺さる(リョウ談)ものだということだけです。これしかないヒントから、あのような珠玉のナンバーの数々を創り出した音楽班には畏敬の念を禁じえません。個人的に気に入っているのはやはり「青春コンプレックス」ですね。ゴリゴリのバンドサウンドよし、バチクソかっこいいリフよし、キャッチーから切れてどこか物悲しい曲展開よし、映像のセンスと音嵌めも堪えられず、原作のテイストを取り込んだ歌詞が素晴らしいのは上述の通り。
ライブの画作りも、原作の出来事を踏襲しつつもアングル、カット割り、細かいしぐさはほぼほぼフルビルドの仕事になっています。素人目にも予算とマンパワーを目いっぱい使っているのが察せられます。また、ライブの臨場感を重視しているのか、モノローグやガヤはかなり削られているんですが、代わりにメンバーの視線・運指・それぞれのサウンドの響き、裏方のスタッフのサポート、オーディエンスの反応と、これでもか情報量が詰め込まれていて、ライブ映像として満足度があまりにも高すぎます。観るたびに発見があって、有識者の解説を聞くのがこれ以上ない楽しみでした。
ライブの諸々だと、私が特に好きなのは視線とカメラワークの演出ですね。例えば、リョウと虹夏ちゃんが息を合わせる目くばせ。「あのバンド」でぼっちちゃんの突然のギターソロから入るタイミングを合わせるところや、「星座になれたら」で喜多ちゃんとぼっちちゃんの様子を見てギターソロを伸ばすところ。リズム隊としての、結束バンドのオリジナルメンバーとしての、腐れ縁の友だちとしての信頼がうかがえてによによしてしまいます。こんなのリョウ虹派に転がるに決まってるじゃないですか。それと、「星座になれたら」のぼっちちゃん。ギターソロをどうにかやり遂げて休止のパート、天を見上げて息を付くのが抜かれた後、画角がリョウと一緒に入るものに変わり、リョウを見やったところでベースと運指のクローズアップに変わる。そしてまたぼっちちゃんが映され、ギターを構え直して曲に入る……というところ。セリフ一つなくとも、自然とメンバーと呼吸を合わせているのが表現されている。ここはたぶん、ひとりの初めてのバンド、初めてのステージとの対比にもなっているんですよね。マンゴーの箱に閉じ籠っていては到底できないグルーヴを表現することで、彼女の小さな変化を示している。これほど最終回にふさわしい演出もないでしょう。映像芸術ってこういうものだと感心しました。
「そういう趣味」発言のカット
#6「八景」できくりがぼっちちゃんのチケットノルマのために路上ライブを打とうとするところで、原作にあった「そういう趣味」という言葉がカットされています。
きくり
「よし! 命の恩人の為に私がひと肌脱いであげよう」
ひとり
「えっあっ 私そういう趣味は…!」
きくり
「? 私と君で今からここでライブをするんだよ」
(はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』1)
きくり
「よ~し、命の恩人のために 私がひと肌脱いであげよう」
ひとり
「えっ」
きくり
「さっ 準備して! 私と君で…」
ひとり
「あっ えっ?」
きくり
「今からここで路上ライブをするんだよ」
(『ぼっち・ざ・ろっく!』#6「八景」)
私はこの改変を支持しています。
基本的にオリジナルの表現を尊重する立場ですが、それはそれとして、人の生と性に関わるものを茶化す表現は無くなっていくべきものだとずっと思っています。「そっちの趣味」は何の気なしに使えるギャグ、冗談として完全に定着してしまっているのでなおタチが悪い。アニメでこのセリフがいきなり飛んできていたらかなりダメージを受けていました。
お笑いというのは基本的に残酷なものだというのは肝に銘じた上で(私はビートたけしや爆笑問題のお笑いが好きなろくでなしです)、人の生まれや性に関するものを小ばかにするのはいかんよ、ギャグやお約束になっちゃてるからこそ変えていかなあかんよ、というのを言い続けています。
「そういう趣味」「そういう関係」「ソッチの世界」「そっちの気」という表現が嫌いだ
原作はライブシーンの表情がよき
かなりアニメに寄った論調になってしまいましたが、原作のほうがよいという意見を聞くのが、ライブシーンにおける決めの表情です。特にぼっちちゃんが本来の実力を出そうとするときの険しい貌がグー。星歌さんのオーディションで「ギターと孤独と青い鳥」を演る回は、白抜きで瞳が揺れているのが緊張と同時に覚悟が決まっているのが伝わってきて素敵です。初のライブ回は、汗みずくで口を歪めて食いしばるようにギターを弾く表情が、冷え切った空気を打ち破ってメンバーを鼓舞しようとする決意がひしひし感じられて最の高。はまじあき先生の少女漫画のようなタッチがすばらですね。
アニメは代わりに、音の変化や演奏のモーション、あるいはカメラワークなどでメンバーの心の裡を表現していて、これも媒体の特性の違いが感じられて面白かったです。
まとめ
見比べてみて、はまじあき先生が狂喜乱舞していたのも頷けました。「原作再現」に逃げない原作愛で作品をリビルドしていると見受けられます。
各人のエピソードの強化や演技指導については、この人ならこうするだろう、こんな風に言うだろうというのがガチで考えられていて、熱意にブルってしまいました。ライティング、ディレクション(演技指導)かくあるべし。押し入れの妖怪・猫背の虎のイメージは、主人公たるぼっちちゃんのインパクト、コミカルな奇怪さをさらに強調していて、プロの仕事だなと思いました。
総じて、よりよいモノを作りたいという熱気がむんむん感じられるアニメでした。こういう作品がヒットしてくれると嬉しくなっちゃいますよね。
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