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ぼっち・ざ・ろっく!(アニメ) 感想 ここがオレ達の聖地(スターリー)だ はてなブックマーク - ぼっち・ざ・ろっく!(アニメ) 感想 ここがオレ達の聖地(スターリー)だ

2023/01/01
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 アニメとして100点満点の出来だった。当然、優れた原作あっての出来だろうが、映像と音の総合芸術としてあまりにも完成度が高くてブルってしまった。

 まず、ストーリーとサブテキストの確かさが完成度の骨子にあるのは間違いない。主人公が逃避行動として没頭、耽溺していたはずのこと・もので才能を開花させ、周囲と人を動かして自我を取り戻していく王道を嫌いなやつがいるだろうか? 私はその一人ではない。

 DG-Lawさんは似た構造の作品として『その着せ替え人形は恋をする』を挙げていた。私は『ホーリーランド』で不登校の現実逃避のためにシャドーボクシングと筋トレで遮二無二身体を痛めつけていた神代ユウくんを思い出した。異様な環境で異様な研鑽、訓練を積んでいたやつがみょんなことから先人に見出されて導かれ、野に放たれてシーンを動かしていくという視点だと『咲-Saki-』『アイシールド21』を思い浮かべた。みなそれぞれ想起する作品があって、つまり神話の類型の一つということだろう。

 主要登場人物の動機と行動原理について。個人的には「ちやほやされたい」(ひとり)「イケメンの先輩目当て、あとみんなで何かしたい」(喜多)「STARRYを有名にしたい」(虹夏)とわりと下心が隠れていないのは等身大で好感しかなかった。ここが、バンド活動やライブハウスが話の中心とはいえ『BECK』よりかは『けいおん!』に近い作風に着地しているゆえんかなと(奇しくも最終回は学園祭でライブをして、学生のアクティビティ・思い出作りとしてはこれ以上ない成功を収めて終わる)。だからこそ、音楽や詩の方向性についてはクソ真面目なリョウは異質で強烈なキャラ付けになっているし、「今は『みんなで』ちやほやされたい」と語るぼっちちゃんの意識の変遷に涙ぐむわけだが。ちなみに私は完全なアニメ組なのだが、ここから先に『SLAM DUNK』チックなガチ勢とエンジョイ勢の問題や、プロの狭い門戸・才能の問題なども出てくるのだろうか。将来の諸々の不安(それこそ「年金問題」「結婚」「老後」「就職」「貧困格差」「ストレス社会」)が絶妙にカリカチュアライズされてる今の状態がちょうど心地よいのだが。
 キャラクターは奇人変人の見本市だが、ただの記号で終わらないのは、やっぱりどこかに尊敬できるところやほほえましく愛らしいところがあるからだろう。奇しくもベースの二人がダメ人間度合いだとツートップだが、きくりはアバン先生か冨岡義勇かというような主人公を導く師匠・前作主人公ポジションを立派にこなしてるし、リョウは音楽性やインディーのシーンに関しては間違いなく結束バンドの中で一番真摯で、SICK HACKやきくりをガチでリスペクトしているのが普段の舐め腐った態度との対比でわかる。猫を助ける不良じゃないけど、照れくさいようなバランス感覚を感じた。

 脚本やキャラの強さがあった上で、私がこのアニメで何より驚いたのは作画のパワーだった。大掛かりなライブシーンは#5、#8、#12の3回あっていずれも滅法素晴らしいが、それ以外の回は暴れ足りないとばかりになんてことないしぐさやギャグのシーンに力が注がれていてビビってしまう。滅茶苦茶で笑えるギャグがシリアスでバチクソ格好いい演奏シーンを際立たせていて、逆もまたしかり。アニメの原義の通り、絵がぐりぐり動くのがシンプルに楽しすぎる。騙されたと思ってどこか1話でも観てみてほしい、このアニメ普通じゃないとすぐわかる。例えば、#1「転がるぼっち」だとぼっちちゃんが黒歴史を思い出してびたんびたんと打ち上げられた魚みたいに頭を打ち付けるところ。#2「また明日」だと『きんぎょ注意報』みたいなぐるぐる走りで教室から逃げるところ。#3「馳せサンズ」で「その日入った新人より使えないダメバイトのエレジー」を弾く前にごみ箱からにゅるりと出てくるところ。#5「飛べない魚」のみんな大好き「まだぼっちちゃんには秘密だよ」(下北沢の天使)。#7「君の家まで」でぼっちがクソダサTシャツのデザインを披露して得意げにくねくねするところ。特にゾッとした#10「アフターダーク」だと、初っ端の助っ人の妄想で駆け込んでくるモブの足運びからしておかしいし、ぼっちが妄想から醒めてよだれをごしごしするところ、STARRYへの出勤一番にごみ箱に入ろうとして体重が掛かってガタッとなるところ、きくりが自分のライブハウスを一升瓶をぶらぶらさせて闊歩するところ、いずれも一仕事あって感心する。ギャグがマンネリ化せずに常に奇っ怪でどこか闊達な印象を受けるのは、このコミカルさがあってのものだと思う。
 ふと、路線変更前の『わたモテ』ネタ切れ期のぼっちネタはかなりしんどみがあったが『ぼざろ』はそんなでもなかったことに思い至る。もこっちのそれは理不尽な僻みと無駄な攻撃性のウェイトが大きい一方、ぼっちちゃんの妄想は基本パリピの陽に焼かれる過剰な被害妄想が中心だからかなと思った。もっとも『わたモテ』はあのグダグダなしんどさがあるからこそ、修学旅行の班決めから無茶苦茶な人間関係に放り込まれて四苦八苦するのが最高なんだけど。閑話おわり。
 そして、決めのライブシーンはライティング、カット割り、カメラワークとどこを切ってもよく出来ている。メンバーの表情から運指、目配せ、そして咄嗟の機転、裏方のスタッフさんたちのフォロー、観客たちのリアクションと、一曲の間の情報量が尋常じゃあなくて密度の濃ゆいこと。映像媒体でしか表現しえぬ、アニメの楽しさが詰まっていた。

 楽曲の素晴らしさは、メロディーやサウンドのよさと強度の高い原作理解の両輪駆動で、そらみんな話題にすると思った。バンドアニメとしてこれ以上のものは望めないと思う。

 これは十中八九、#8「ぼっち・ざ・ろっく」でのギターヒーローさんの八面六臂の活躍を指していると思うが、製作班すべてがこのイメージを共有していないとあの仕事は出来なかったろう。最の高と言わざるをえない。12話で窮地のひとりを助ける喜多ちゃんが気持ち前屈しているのも、これを受けてのものだと勝手に思っている。情緒がおかしくなる。
 各曲についてもひと言ふた言。
「青春コンプレックス」、この曲に惹かれて視聴継続を決めた記憶があるが、アニメのOPなのにこのタテ乗りから切れた悲壮感や孤独感はなんなんだろう。無性に胸が苦しくなる。フルになると、猫背の虎の決意のパートで多少上向き(下向き)になるんだけどね。映像と音のリンクも素晴らしい。
「あのバンド」、バンドの再起と躍進を告げるパワフルなナンバーなのに歌詞はヒステリックで破滅的というギャップが、実に結束バンドっぽくてよい。
「星座になれたら」、今までの内省的なぼっち節からがらりと変わって、純粋なメンバーへの憧れとまぶしさを綴ったパワーバラード。劇中での使われ方も最高で、ギターソロに向けて盛り上がっていく曲展開が弦が切れたぼっちちゃんのパニックを皮肉にも掻き立てていて、初見ではガチで息苦しくなった。そんなところに、これからもひとりちゃんを支えていく内助の功の妻の咄嗟のフォローがスーっと入ってくるわけだから、そらもう万雷の拍手を送ってぼ喜多派になるしかないだろう。

 作者のはまじあき先生の限界化したツイートも話題になっていたが、アニメの構成要素をことごとく、これだけ作り込んでもらえたなら原作者冥利に尽きるだろう。
 作品外でも、SNSでの画像レスをイメージした広報や各話終了後すぐの楽曲配信といったフッ軽のプロモーションが、最終話に近づくにつれて上がっていくバイブスにバチクソ貢献していた。作品の内外から溢れ出る作り手の熱気、掛けたリソースが結実してよかった、と心の底から思える作品だった。転がるぼっちちゃんと巻き込まれてく人々を見守るような気持ちときれいにリンクしていた。

TVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」公式サイト
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Author: toppoi.
百合ゲームレビュー他。アカイイト、咲-Saki-、Key・麻枝准、スティーヴン・キングの考察が完成しています。
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