vol.0 SFに何ができるか?
vol.1 まとうSF——化粧・ファッション・変身
vol.2 サイバーパンクとは何か?
vol.3 さよならアフロフューチャリズム
SF作家の名前を挙げるように言われて、皆さんがとっさに並べる作家は誰だろうか。その人は女性だっただろうか? リクエストをもらって挑戦する本テーマで、私はSF作家の性比(ジェンダーバランス)にまつわる話題を収集し、埋もれた作品を発掘し、改善のヒントを探りたい。
最初の女性SF作家
SF研究者のリサ・ヤツェクによるアンソロジー『The Future Is Female!』(2018)には「女性作家による25の古典SFパルプ小説の開拓者からアーシュラ・K・ル・グィンまで」という副題がついている。収録作家は大まかに二分される。1920年代から1940年代にパルプ小説・冒険SFで活躍した作家と、SFが拡大し多様化した1970年代に活躍した作家だ。
初期の作家の中で、本邦でもっとも知名度が高い1人はC・L・ムーア(1911-1987)ではないだろうか。ちょうど2021年11月には『大宇宙の魔女 ノースウェスト・スミス全短編』(中村融, 市田泉訳, 創元SF文庫)が刊行された。リイ・ブラケットやアンドレ・ノートンも翻訳された冊数は多いが今ではどれも絶版となり入手困難である。
1970年代、女性作家の活躍
1970年代には女性作家が一気にたくさん登場した。『世界の中心で愛を叫んだけもの』で知られる米国の作家ハーラン・エリスンは1972年に、当時の新鋭作家パミラ・サージェント(1948-)を紹介する文章に「近ごろの優れた作家はみな女性だ」(筆者訳)と書いたほどだ。そのサージェントは、1970年代後半に女性作家SFアンソロジーWomen of Wonderシリーズを編集した。1巻の序文として書かれた論考「女性とSF」(1975)には「大半のSFは男性によって書かれ、今日でもなお男性が多数派を占める。女性作家は10〜15%程度だ」(筆者訳)という一文がある。この論考は『SFマガジン』1975年11月号「女流作家特集!」にさっそく掲載された。
当時の英語圏SFと主要作家については、中村融&山岸真編の傑作選『20世紀SF③ 1960年代 砂の檻』『20世紀SF④ 1970年代 接続された女』 (共に河出文庫)でおおよそ知れる。しかしかつてサンリオSF文庫から出版された女性作家の本はこれまた絶版のまま入手困難なものばかりだ。ただしル・グィンやケイト・ウィルヘルム『鳥の歌いまは絶え』 (酒匂真理子訳, 創元SF文庫)のように復刊されたケースも皆無ではない。
女性のSF作家が“消えていく”理由
どうやら女性SF作家の名は時の経過と共に埋もれやすい。その原因の1つは、受賞や高評価を得にくかった構造的問題にあるのではないか。
英国のSF批評家ニール・ハリスンは、前年に英語圏のSF・ファンタジー文芸雑誌に掲載された書評を対象に、取り上げられた作品の著者と書評者の性比を調査した。調査結果によれば書評家の性比と、書評された本の著者の性比には相関が見られた。英米の新刊SFとファンタジーの著者の性比は男性:女性=55:43で大差がない。しかし書評された著者の女性比が40%を超える雑誌は存在しなかった。一番低い雑誌では約13%だ。
これはSF特有の話ではない。VIDA: Women in Literary Artsという米国の非営利団体が2009〜2019年にかけて文芸誌の書評家の性比と著者の性比を調査したところ、数値は比例していた。端的に結論を言うと、現状、男性には女性の本を書評対象として取り上げない傾向がある。逆は真ではない。
この問題はおそらく書評に留まらない。文学賞や書評における選出の過程で、女性の作品や女性的な作品はなんとなく、悪気もなしにしりぞけられてきた。そして受賞歴や高評を得られなかった作家は再発見・再評価の機会も得にくくなる。売れそうな作品を選びたいという出版社や翻訳家の意識は、いまだかつてない作家や作品への逆風として作用する恐れさえある。それは前回「さよならアフロフューチャリズム」でも例示した。
また、女性が家庭で育児を担う比重が大きい傾向にあり、子育て中に作家活動から離れてしまった可能性も考えられる。SF執筆に限った話ではないが、育児の分担や復職にも社会的課題があるだろう。
さて、我々が性差の偏向を打破する可能性はあるのだろうか? 今回は、ここ10年の他国の変化を紹介する。
米国編ーージェンダーバランスの改善とその反動
1953年に創設された、SFファンの投票によって決まるヒューゴー賞をこれまでに受賞した作家の75%は男性だ。2010年以前は8割以上が男性だった。
状況が変わったのはわずかここ10年。2010年以降の男性比平均は55%だ。2019年以降にノミネートされた男性作家は各部門の6~7人の候補者のうち1人か2人で、比率は反転している。だが、このような状況に至るまでの道のりは決して平坦ではなかった。
アメリカSF&ファンタジー作家協会に所属する女性の割合は1974年に18%、1999年に36%、2015年には46%と増加し、各賞受賞者の女性比も増えた。(もっとも2010年以降の変化は女性の増加に限らなかったが——この話はまた別の機会に)しかし変化を許容できない人々の反発が起こり、2010年代半ばのインターネット上には反発と反発への反発によって嵐が吹き荒れた。
例えば、自らを虐待から救出される子犬にたとえ、「サッド・パピーズ」と名乗ったグループは、近年の受賞作は作品の質ではなく作家の思想で選ばれていると主張し、ヒューゴー賞への組織投票を煽動した。なお主導者達は米国のミリタリーSFやミリタリーファンタジーの作家で、前職は軍人や銃の射撃トレーナーだった。
より右派の派生グループであるラビッド・パピーズも生まれ、過去の受賞作や受賞作家を揶揄した。こちらの主導者はその後、共和党支持者としてネットでデマや陰謀論を拡散するようになった。つまりは米国内の政治思想的分断がSFとファンタジーのコミュニティ内で顕在化したわけである。
21世紀になってなお、「女性はSFを書けない」「女性編集者がハードSFをダメにした」といった中傷も続いていた。これに対し、ウェブジン「ライトスピード」は女性特集号を企画した。カナダの批評家ジェイムズ・デイヴィス・ニコールは、2018年からFighting Erasure(消去に抗う)というコラムで1970~1980年代の女性SF作家をひたすら紹介した。こうした地道な対抗活動も陰ながら変化に貢献したと信じたい。
英国編ーーベストSF投票で女性の著作は4%
2011年にガーディアン紙がベストSF小説を募ったところ、投稿された約500作のうち女性の著作は18作のみ、たった4%だったそうだ。
英国のSF批評家で出版人のシェリル・モーガンは「何ごともうまく半々の男女比になるわけではないが」と前置きしつつ、本件に関連する問題を網羅的に紹介した。例えば同年、英米のSFやファンタジーの専門書店チェーンForbidden Planetが公開したリスト「必読SF50作」に女性の作品は4作しか挙がらなかった、英国SF協会賞の長編部門を女性が受賞したのは41年間で2回のみであるなど。末尾で彼女は、男性が女性の趣味と見なされるコンテンツに手を出すのが恥ずかしいと見なされる文化的問題の影響を指摘している。
なお、ここ8年間に英国SF協会賞の長編部門を受賞した9作中5作は、女性の著作である。
中国編ーー「カウンター」としての女性作家アンソロジー
中国でSF四天王と呼ばれる代表的作家の劉慈欣、王晋康、何夕、韓松は全員男性だ。1990年代から「科幻世界」誌が主催する投票式SF賞の銀河賞の常連だった女性作家の趙海虹は四天王に入っていない。1999年に彼女は銀河賞で第1位を獲得した初の女性となった。通称「中国SF界の公主(皇女の意味)」ーーこの称号は2020年に出版された短編集にも書かれているが、過去のインタビューによれば本人は「女騎士」がよかったと言っている。
少数ゆえに本人の意図にかかわらず有徴化され、別枠として扱われるのはしばしば起こる問題だ。例えば「美人作家」といった惹句もその一例である。
ともあれ人数でいえば、中国の女性SF作家はずいぶん増えた。2000年代前半から銀河賞には夏笳、郝景芳、程婧波、遅卉といった1980年代前半生まれの女性作家達が頻繁にランクインするようになった。王侃瑜のツイートによれば、世界華人科幻協会が主宰する全球華語科幻星云賞は、第12回となる今年、審査員7人中6人が女性で最優秀新人部門、短編部門、中編部門の受賞者はいずれも女性だった。
短編「紙の動物園」がヒューゴー賞、ネビュラ賞、世界文学大賞の三冠を受賞した作家ケン・リュウが翻訳・編纂した中国SFアンソロジー2冊にも収録された作家の糖匪は、翻訳文学に特化した「Words Without Borders」誌に掲載のインタビュー「SFとセクシズム」(2020)では、中国の社会や文芸のなかでどのように女性が見られてきたかといえば、「女神」などと形容され、対等な人間ではなく、男性の精神や肉体を養う夢のような存在だと語った。そして(この状況が変わらなければ)女性作家の人数が増えようが、女性が作家協会の会長になろうが意味がないと批判した。
2021年11月に編纂と翻訳を手がけた中国SFアンソロジー『Sinopticon』を上梓した倪雪亭はインタビューで、本書の目的の1つは、中国で「充分に評価されていない」女性SF作家達の活躍の場になることだと明言している。ここ数年の間に中国女性SF作家アンソロジーが次々編まれており、若い世代の願いとその勢いが感じられる。
変わっていくために何ができるか?
性比はSFジャンル特有の問題ではない。ただし理系や知性や権威にこびりついた男性的な印象や、若い男性を対象読者として始まった歴史の悪影響が残っている懸念はある。
私はいついかなる時も性比を人口に一致させるべきとは思わないが、単一性の危うさには充分に配慮してしかるべきだと考える。これはジェンダーだけの問題ではない。自分が認知できていない死角の存在を肝に銘じたい。人間は自分が損をしないときは鈍感になる。
釘を刺しておくと、異性の作品が読解不能なわけも、小説における異性の記述が絶対に不正確であるとも限らない。なにせ同性だって千差万別でときに理解不能である。前回紹介した、オクテイヴィア・E・バトラーがスタージョンについて言ったことも思い出してほしい。群れとして属性で眺めるのではなく、個々の千差万別さを理解し、個別の名前を忘れないーー私はまずそこから始めようと思う。
私は新しく面白いSFを追求したい。面白いSFのマッピングのためには多種多様な観点を取りこみ、精度を高める必要があると思っている。だから面白いSFを書く人の新規参入を邪魔してほしくないし、未知のSFがどこかでせき止められていては困る。そのためには新しい動きへの寛容さと歓迎が欠かせないはずだ。