真っ直ぐに走る女の子〜『花咲くいろは』最終話「花咲くいつか」〜

走る、電車、直線


 最終話を見終えての全体の感想を。


 前にも書いたが、松前緒花は物語中ずっと走っている。第1話から最終話まで彼女は全力で走り続ける。『花咲くいろは』の主題は、走ること。ここまで、主人公がずっと走っている作品はそうそうない。


 僕は、アニメにおける「走る」っていう行為が大好きだ。走ることのダイナミズムと走ることによる感情の発露。見ていると、胸が熱くなってくる。『時をかける少女』が好きなのも、真琴が「走っている」ことが大きい。



 誰かに会うために走る、誰かに追いつくために走る、自分の目標に向かって走る。走る訳は、人それぞれだけど、一生懸命自分の力を振り絞って走る姿は見ている者を感動させる。なぜ、こんなに胸を打たれるのか説明できないけど。




 『花咲くいろは』において「電車」も重要な要素の一つだ。電車は、OPにも最終話にも登場する。なぜ、電車なのか。それは、『走る』行為を増幅させるための装置だと思う。電車によって、走る行為の速度を加速させる。例えば、第2期OPだったり、最終話のラストシーンだったり。緒花の走りを加速させる。




 最終話のラストシーンで、線路を捉えたショットがある。真っ直ぐに伸びたどこまでも続きそうな線路。その線路のイメージは、緒花の進んでいる道と重なる。緒花も自分の道を、真っ直ぐな道を全速力で走りぬける。




「電車」と「緒花」は似ている。真っ直ぐなレールの上を走り続ける「電車」は、自分の道を走り続ける「緒花」そのものなのかもしれない。




「走る」ことともうひとつキーポイントになるのが、「直線」だ。「直線」のイメージは度々でてくる。例えば、さっき挙げた電車のレールとか。「直線」は、真っ直ぐに道を進む緒花を表す。


 第1話目と最終話で緒花がする雑巾がけ。これも「直線」が関わってくる。雑巾がけは前に直進的に進む。第1話では、これから始まる喜翠荘の旅館生活を真っ直ぐに走り続ける象徴としての雑巾がけ。最終話の雑巾がけは、喜翠荘を後にしてもこれからも変わらずに走り続けることをあらわしてくれる。




 最終話を観終わって、第2期OPの意味もようやくわかった。OPで緒花はヘッドフォンをしながら目を瞑っている。緒花はこれからどこに向かう途中なのだろうか? 『花咲くいろは』を全話見ていて思ったのが、湯乃鷺へと向かう列車は画面右から画面左へと向かい、東京へと向かうときは画面左から画面右へと向かう。つまり、OPの緒花は東京へと向かっている可能性が高い。第2期OPは、緒花が喜翠荘を離れ東京へと向かう途中の描写なのだろう。終盤では、制服姿の緒花(多分)たちが過ぎ去っていく。緒花が回顧しているのがわかる。そもそも、OP曲である「面影ワープ」の歌詞がそれをちょっと暗示させている。




 OPを見ていて気付いたことがもう一つ。それは、方向性。画面左へと向かうことは前に進むことであり、




 画面右へと進むことは戻ること(逃げること)。


 東京へ帰る所。




 逃げている所。




 だとすれば、最終話ラストシーンの緒花が走るところ(上記した)は、進むことなのだろう。



 緒花が走ることによって、みんな走りだした。民子も、菜子も、女将も。誰もが走っている。前へと進むために。全速力で。


 一本道を前を向いて進もうという強い意志を持ったこの作品は、P.A.WORKSの10周年記念作品には相応しい。P.A.WORKSがこれから緒花たちのように進むんだという想いが伝わってくるようだ。


 ここまでバカ正直で前向きな作品を久しぶりに見た気がする。ここまでやられると、清々しくて、見ていて壮快だ。


 「私は、これから咲こうとしているんだ」




 2011年の作品で一番好きな作品です。