
俗に、秀忠は関ヶ原で自分を遅陣させた真田を恨んでおり、真田信之に対する松代転封は真田への嫌がらせだ、なんて言われますが、信之以前に松代には、松平忠昌(家康の孫)、酒井忠勝(徳川四天王忠次の孫)が封じられており、幕府にとって重要な要衝の地であると認識されていたことが解ります
2015-12-09 19:23:12
俗に、秀忠は関ヶ原で自分を遅陣させた真田を恨んでおり、真田信之に対する松代転封は真田への嫌がらせだ、なんて言われますが、信之以前に松代には、松平忠昌(家康の孫)、酒井忠勝(徳川四天王忠次の孫)が封じられており、幕府にとって重要な要衝の地であると認識されていたことが解ります
2015-12-09 19:23:12
@1059kanri 「最新の学説を可能な限り取り入れる」というのが『真田丸』のスタンスみたいなので、ご存知ものな「真田潰し」を三谷さんがどう覆すのか、別の描き方となるのか、かなり楽しみですね~。「二代目の喜悲劇」もテーマらしいので。後半の主役級なのは間違いないと思います、秀忠
2015-12-09 19:26:50
@1059kanri 譜代を要衝に置くのは家康の関東入り以来の知恵ですよね。古くは中山道や東海道の結節点に井伊(箕輪→高崎)榊原(厩橋)、大久保(小田原)…
2015-12-09 19:31:19
@1059kanri 江戸城真田濠みたいな規模の大きい土木工事を任せたのもその評価と信頼の…?でも藩の規模に比べて工事でかすぎじゃないですか秀忠さん…
2015-12-09 19:32:38
そうか、晩年の豊臣秀吉が最も信頼していた家臣は、石田三成でも加藤清正でもなく、徳川家康。というのは、歴史マニアでない人にはその発想自体が理解できないのか~。
2015-12-10 21:02:26
秀吉の晩年、徳川家康は『豊臣一門の重鎮』として心から豊臣秀吉に仕え、秀吉は家康を心から尊重していた、まれに見る麗しい君臣関係だったりしますw
2015-12-10 21:04:24
@1059kanri 時系列がごっちゃになっている人が多いからでしょうか。秀吉が死んだ後でああなったのを生前とごっちゃにしてるような
2015-12-10 21:05:09
@1059kanri あの時の家康くらいの立場になると全部投げ捨てるか行くとこまで上り詰めるかの二択みたいなもんですからね。現状維持って選択肢は不可能
2015-12-10 21:13:04
徳川家康が天下を取ったのはあくまで関ヶ原で大勝した結果論であって、最初から天下取りを狙ったわけでも何でもなく、また豊臣の天下を簒奪したわけでもありませんね。徳川幕府は徹頭徹尾徳川自前の組織であって、一部で二重公儀と呼ばれるくらい、豊臣の天下とは別個の天下なわけですし。
2015-12-10 21:17:15
しかし関ヶ原合戦後の豊臣家は、家康がその内に天下を返すと思っていたと言われるが、本気で当時の豊臣家が天下を采配できると思っていたのだろうか。正直、大坂70万石を統治するのも問題があったようだし。
2015-12-10 21:32:55