
言葉の意味を汲み取れない、で思い出したので今度書こうと思うメモ 「母語を奪うこととセミリンガルにすることの残酷さ」
2015-08-01 00:16:14
長い付き合いのフォロワーさんはご存知かもしれませんが、 私は、母が台湾、父が(おそらく)日本の、日台ハーフです。 おそらく、と言うのは父である人が明確でないからですが、詳細はここでは触れません。 そして私は、日本語と中国語がそれぞれ、ある程度理解できます。
2015-08-01 23:02:26
台湾と日本それぞれの言葉に対する私の習熟度合いですが、 日本語はこの通り読み書きできます。 中国語(及び台湾語)に対しては語彙が少なく、日常会話程度ならほぼ聞き取れますが、少しの会話しか出来ず、文章の読み書きはほとんどできない、文盲に近い状態です。
2015-08-01 23:03:19
私のこの状態は、母語が日本語のバイリンガル(台湾語を含めるとトリリンガル)と一般には呼ぶかもしれません。でも私は、自分をセミリンガルだと考えています。 "二言語の環境で育ち、その両言語において年齢に応じたレベルに達していない者はセミリンガルと呼ばれる。"(Wikipediaより)
2015-08-01 23:05:23
以前「バイリンガルからセミリンガルへ」と言う題で漫画(のようなもの)をPOSTしましたが、再掲の上経緯を書きます。 twitter.com/whitemare39/st… twitter.com/whitemare39/st…
2015-08-01 23:07:23
バイリンガルからセミリンガルへ1 #ACお絵かき部 私は幼い頃台湾の親戚宅へ預けられていて、中国語を話せました。 今は「聞くだけネイティブ」で話すのが殆ど出来ません。その経緯の一つ、母が台湾の親戚とよく電話で話していた頃のことです。 pic.twitter.com/CZwI5vxvLm
2015-04-11 23:06:26


@whitemare39 バイリンガルからセミリンガルへ2 #ACお絵かき部 ※書いてある中国語は、「多分こういう風に言うだろう」と、Google翻訳を使って再現してるので文語的にも口語的にも多分正確ではありません pic.twitter.com/dnaZEbYgqM
2015-04-11 23:07:44



@____mw____ そうなんです~ 日本語では唖(おし)って言うらしいですけど、「つんぼ」とか「めくら」程の頻度では使われないようですね
2015-04-11 23:11:04
私は生まれてから2,3歳までを日本の親元で、2,3~6歳の秋までを台湾の親戚宅に預けられ、さらに6歳の秋以降はまた日本で育ちました。日本にいた頃は日本語の、台湾にいた頃は中国語及び台湾語の環境にいて、それぞれの言語の元で暮らしていました。
2015-08-01 23:17:42
台湾にいた当時は中国語を年齢相応の語彙で話せており、少なくも6歳の秋までは中国語が母語でした。頭の中で考えるときの言葉も中国語でした。しかし日本の小学校に入り学年が上がるにつれ、上記に再掲したように、私が中国語を考え、話す力は母に潰されていきました。※敢えて「潰された」と書きます
2015-08-01 23:22:34
私は日本に引き取られた当初、母が話す中国語(台湾語)に対して、日本語を少し交えた中国語で返答していたのです。家の中での会話は、ほとんどが中国語でした。
2015-08-01 23:27:12
「潰された」というのは、私が台湾でたらい回しにされていた親戚の何人かが、母や私との電話の際に「しろみくちゃんはまだ中国語を覚えてる?もう忘れた?」と繰り返し尋ねてきたことがきっかけだったように思います。
2015-08-01 23:30:24
元々は母は第三者に対して私をこき下ろして話すような部分がありましたが「いやーどんどん忘れていくよ」と始めは回答していました。家での会話の9割が中国語であるにも係わらず、です。それが次第に「日本語で返事することが多くなったね」「あの子はもう中国語を話せない」「しろみくはもう唖巴だ」
2015-08-01 23:32:21
と、母の回答はエスカレートしていきました。「唖巴」とは、中国語で「言葉を話せないカタワ」という意味で、日本語だとつんぼやめくらに近い言葉と思っていただければ。
2015-08-01 23:36:01
その電話の回答と並行して、母は私に中国語を忘れないよう「躾けて」いました。 私が中国語で返事をする度「何その発音wwwもう一回言ってみてww」「そんな風に言わないよ~ww」とからかい、私が余計話せなくなり泣き出すと「悔しかったら中国語で言い返してみろ」「中国語で言えば済む話だろ」
2015-08-01 23:39:05
と言われていました。大人になってから知りましたが、これってバイリンガルを育てる時に最もやってはいけないことらしいですね。そう言われるうち、不思議と自分の話したい言葉が(思考の中でも)中国語で出て来なくなっていき、母への返事が、思考の言語が、段々と日本語に置き換えられていきました。
2015-08-01 23:43:11
悔しかったら中国語で言い返してみろ、とも。 私だって、好きで中国語を話せなくなった訳じゃないよ…話そうとすると頭が真っ白になって、声が出なくなるんだよ
2015-04-09 20:13:21
こうなると悪循環で、中国語で言葉を返せないと唖巴と罵られ、それを否定する思考の「不是」はどんどん出てこなくなり、また罵られ、そして思考は「ちがう、って中国語でなんていうんだっけ」となっていく。これを書いている今でも、この場合の「違う」は「不是」か「不對」か、はっきりと分かりません
2015-08-01 23:50:32
それ以降、中国語はリスニングのみで、会話はほぼ出来なくなりました。短期間でも台湾で小学校に通っていたはずが、読み書きも全くできなくなりました。また、日本語で日々暮らしていて「日本語ではこの言いまわしでいいのか?」「日本語でこの発音するっけ?」と言うことが現在でも度々あります。
2015-08-01 23:56:40
※日本語に関しては私の発達の問題あるかもしれません。 その後大学進学で実家から離れ、第二外国語で中国語を選択した友人たちに質問などをされるうち、少しずつ中国語の語彙が増え、ほんの少しの文字が読めるようになり始めました。自分の声に出して中国語を話すことは、今でも難しいです
2015-08-02 00:02:51
さて、ここまで私がバイリンガルからセミリンガルになった経緯を長々と書きましたが、一番書きたかったのはこの先です。 一つの言語が自分の中から失われることの大きさについて、です
2015-08-02 00:04:19
これはあくまで私見ですが、言語や方言というのは、その地域での価値観や世界観を内包していると思います。有名どころでは東北弁の「~ささる」などのように、他の言葉に置き換えられない考え方がそこにあると思うのです。 母語や幼い頃から暮らす地域の言葉ならなおのこと。
2015-08-02 00:07:56
私は自分の中から中国語が失われ、思考が日本語になったとき、大いに混乱しました。中国語で表されていた気持ちやものごとが概念ごと無くなってしまったように感じたからです。この辺の「価値観や概念」を日本語に互換して表現することが今でも苦手です。
2015-08-02 00:10:14
具体的なエピソードとして、まだ私の思考が中国語であった頃、外出して歩き疲れたことがありました。それを母に「我的脚很酸了」と伝えようとしました。幼い私はまだ日本語と中国語の概念の互換が出来ておらず、直訳で「足がすごく酸っぱい」と言えばいいのかと混乱しました。
2015-08-02 00:15:08