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まず「介者剣術」は当時の言葉ではない件

【ところで、飛天御剣流は本当に古流剣術なのだろうか…】 togetter.com/li/786103 「古流は鎧着用を前提にした介者剣法」って話自体、近現代からの俯瞰的な視点で編纂された武術史による産物じゃなかろうか、と思ってるのですけど、この辺、また調べてみましょうか喃。
2015-02-22 18:42:59
つまり、「兵法は戦場で使うものだ」という意識から、「実際に戦があった戦国時代では、兵法は鎧を着て使うものだったのだろう」「江戸期以降は戦が無くなったから、平服で用いる兵法に変わったのではないだろうか」という塩梅の推論から、介者剣術と素肌剣術って用語が作られたんじゃないのかなーと。
2015-02-22 18:49:54
そもそも「介者剣術」「素肌剣術」って単語自体、いつから発生したのか当方もはっきりとは調べてないのでアレですけど、「御恩と奉公」「鎖国令」みたいな「説明のために作られた」歴史用語の類であって、当時そういう言葉が使われてた訳でもないですし。
2015-02-22 18:55:50
中世の平時における物騒さを考えると、むしろ兵法って戦以外での使用を重視してたんじゃなかろうか、という気がするのですけどねー。石舟斎も「兵法の達者になっても、別にそれで功名をあげられる訳でもないしなー。うーんこの(超訳)」とか言ってますし。
2015-02-22 19:00:21
ですね。この辺、武術史の見直しが要るんじゃないのかなーと思うところ。 @kanou1 兵法は戦場で使う物って意識じたいが既になんだかなーなんですよね、こっちとしては。
2015-02-22 19:03:24
明確に分断された、というより、徐々に日常と距離が離れていって、気が付いたら、という感じですね。敗戦時のあれこれはその中でもインパクト強かったでしょうし。 @kanou1 あと戦後になって武術がハレとケみたいに日常と非日常に分断されたこともあるんだろなーとか最近思います
2015-02-22 19:47:25
@k_hisane そこらはコメ欄でソードフィッシュさんとかが突っ込んでたと思いますが、まあ…ぼちぼちと議論を進めたいところですわ
2015-02-22 18:58:05
ですです。あのコメ見て、そもそも「介者剣術」「素肌剣術」って言うけど、あの辺の用語を使って語るのってちと微妙だなーと思ったので。 @SagamiNoriaki そこらはコメ欄でソードフィッシュさんとかが突っ込んでたと思いますが、まあ…ぼちぼちと議論を進めたいところですわ
2015-02-22 19:02:22
あと、戦国期の流派に一子相伝って考えがあったかどうかも割と微妙ですし喃。「一人の弟子に正統を継がせる」って逸話で一番古いのは、一刀斎が典膳と善鬼に「お前ら真剣で立ち合え。勝った方に極意と瓶割刀やる」って言った話かしらん。三祖伝に載ってるから16世紀後半には成立してたでしょうし。
2015-02-22 19:33:18
無論、一子相伝の概念自体は存在してたし、石舟斎も「これ教えるのはお前だけじゃよー」とか伝書に書いたりしてますけど、実際には他の奴にも教えてる訳で、少なくとも戦国期では装飾程度のものだったんじゃなかろうか。大体、いつ相伝した奴が死ぬかわからんのに一子相伝とかリスキーなことするかね?
2015-02-22 19:37:24
この辺は前に書いたのもあるので再掲をば。流派の正統とか相伝とかの話は後半に乗せてます。 【剣術指南の変遷 - 戦国時代と江戸時代の違い】 togetter.com/li/728992
2015-02-22 19:40:30
「介者剣術」という単語の初出について

介者剣術ってのは柳生厳長が本の中で使って広まった、みたいに書かれてるのだけど確かに戦前の本で使われてるのは見たことないな。一般レベルまで広まったのは津本陽あたりからっぽい気もするが
2015-02-22 19:57:48
すると、「正傳新陰流」辺りが初出なんでしょうか喃。遡るともうちょい古くなるかもですけど。 @baritsu 介者剣術ってのは柳生厳長が本の中で使って広まった、みたいに書かれてるのだけど確かに戦前の本で使われてるのは見たことないな
2015-02-22 20:43:21
その辺りなんでしょうね。早いとしても世に出たのは戦後からのような感じはしますけど、それ以前のはこまめに当たるしか調べようがないっぽいですねぇ @k_hisane
2015-02-22 21:13:55
昭和14年の「北米剣道大鑑」での剣道史の「柳生家の人々」の項で、宗家は宗矩が継ぎ、流派の正統は兵庫助が継いだ、と書いてあったので、厳長先生が初出だとしたら、この辺にも介者/素肌の話が出てるかもですね。 @baritsu 早いとしても世に出たのは戦後からのような感じはしますけど
2015-02-22 21:21:15
@k_hisane @baritsu 戦前に出版された厳長先生の「柳生流兵法剣道」(昭和7年)に「愛洲師の陰流時代(略)専ら甲冑武者の截合ひなる―介者剣道」「古式甲冑武者剣法」「素肌の截合」「介者剣法の原始剣道」という言葉が出てきてますね。
2015-02-22 23:51:11
ありがとうございます。やはり正傳新陰流の前からそういう話が出てたんで砂。厳長先生が本を出し始めたのは戦前からなので、正傳より前に出てた本にもありそうかな、とは思ってましたが。 @inuchochin 戦前に出版された厳長先生の「柳生流兵法剣道」(昭和7年)に @baritsu
2015-02-22 23:59:42
@k_hisane @baritsu 「介者剣法」や「介者剣道」「甲冑武者剣法」等、一冊の本の中で、同じ意味合いでいろいろな言い方をしているので、おそらく決まった名詞として存在したわけではなく、厳長先生が「鎧を着た状態での剣術」という意味で言い出した事かもしれませんね。
2015-02-22 23:57:52