サール・フーコー・ハッキングについて(2013年7月2日-3日)
フーコー「真理と裁判形態」について

さて。本人の弁によれば「後期フーコーは言語ゲームの分析・政治的実践の日常言語学派的な分析的をやっていた」ということだったわけですが、これってどこまで遡れるのでしょうかね。
2013-07-02 12:38:16
ともかくも、「言語ゲームの中で、参与者それぞれが どのような何者であるかが どうやって決まるか」という研究課題が「主体化」なる不適切なタイトルで呼ばれていたことまでは分かりましたね。
2013-07-02 12:40:46
「私が言ったのは三つの計画があるということです。それは収斂するものですが、同じレベルには位置していない。ひとつには、戦略としての言説の分析のようなものです。アングロ・サクソン系の人たち、特にヴィトゲンシュタインやオースチン、ストローソン、サールなどがやっているようなことですね。」
2013-07-02 19:00:41
「サールやストローソンなどの分析で、ちょっと狭いと思われるのは、オックスフォードのサロンで、ティーカップをめぐってなされるお喋りの戦略分析は、確かに面白いけれども、どうしても限定されると私には思えてしまうということです。」199 おい。何も言ってないぞお前。
2013-07-02 19:03:38
「問題は、もっと現実的な歴史的コンテクストの中で、あるいはサロンの会話などとは種類の違った実践の内部で、言説戦略の研究ができないかどうかを知ることです。」
2013-07-02 19:05:31
「たとえば、司法慣行の歴史の中で、現実的で重要な歴史的プロセスの内部にも見出すことができる、その仮説を応用して言説の戦略分析を企てることができる、そう思われます。ついでに言えば、ドゥルーズが現在の研究の中で、精神分析治療に関してやっているのがそのようなことです。」
2013-07-02 19:08:02
「精神分析治療を、秘密を暴くプロセスとしてではなく、反対に、二人の語る個人の間の戦略的ゲームとして研究すれば、精神分析治療の中に、どんなふうにこの言説の戦略が遂行されるのかを見ることができる。」 戦略という言葉も、しばらく使うのやめてみましょうか。
2013-07-02 19:10:19
「そこで一方は黙っているけれども、その沈黙は戦略的で、少なくとも語りと同様にものをいっているわけです。というわけで、私のお話した三つの計画は両立しないものではないどころか、ひとつの作業仮説を ある歴史的領域におうようすることなのです。」
2013-07-02 19:12:16
「デュメジルは、…、言説の慣行を社会的慣行の内部に置きなおすのだと私は考えています。それがデュメジルとレヴィ=ストロースとの基本的な違いです。」
2013-07-02 19:33:51
「要するにわれわれはこの言説の問題を儀礼的なものとして、実践的なものとして、社会慣行の内部の戦略として見ています。」 このくらいだとまだゴフマンレベル。
2013-07-02 19:37:24