8月31日

あまちゃん撮影してる街こうだったのか…。“@nomuramss: 久慈市の記録 http://t.co/GuFVhX7UOZ”
2013-08-31 11:51:39
「風立ちぬ いまはアキ ナツからアキへの不思議な旅です」ってところで「あまちゃん」とクロスするわけですね。“@yukkyan: ジブリ最新作の話を聞くたびに私の脳裏をかけめぐる曲は、ユーミンではない。松田聖子/風立ちぬ http://t.co/o3g5XlneGi”
2013-08-31 12:00:319月1日

TLの流れで震災間近と知り、久々に4回目のあまちゃんをオンデマンドで視てみた。細かい筋は全然わからないわけだが、いくつか発見があった。ひとつは、自分があまちゃんにハマらなかった理由のひとつに、どうやら主人公の能年玲奈があまり好きではない(当初と顔が変わったような気も)ということ。
2013-09-01 13:17:17
もうひとつは「2011年3月10日」という日付が画面に大きく出たとき、河原温の日付絵画を思い出し、自分の意識が一気に震災の前日に飛ぶのがわかった。震災直後のことはよく覚えていても、前日や当日の朝のことは忘れていた。日付を目にして、誰にもそういう幸福な時間があったことを思い出した。
2013-09-01 13:20:01
震災後の日本を描く作品は随分出てきたけれども「震災前の日本がどうであったか」を意識的に描いた作品というのは珍しい。同じ震災前を扱っても、永遠にそれが起きないかのようにスルーするのとは段違いだ。僕らはアキを通じて80年代まで遡り、震災が起こる前の「失われたときを求めて」時をかける。
2013-09-01 13:21:15
その意味では、アキ自身がもう一人の「時をかける少女」であり、もっと言えば、あまちゃんそのものが大林宣彦監督の『時をかける少女』の壮大なリメイクなのかも。僕は視るたびに尾美としのりの存在が妙に気になって仕方がないのだが、つまるところそれも、そういう目で見ていたからなのかもしれない。
2013-09-01 13:22:17
無論、震災後の世界をどう描くかという興味はなお残る。が、それは予告場面でおおよそわかった。ただし今回の震災は原発事故と切り離せない。まだ1ヶ月ある。朝ドラに多くは望めないにしても、完スルーするのかどうかによって、この作品への評価は大分変わるはず。あまちゃんは「海」の話なのだから。
2013-09-01 13:23:28
大林宣彦監督といえば、僕はいま監督の心酔する福永武彦の長編小説『死の島』を精読中。被曝の内面や流れぬ時、事前と事後の往還など、何十年も前に「ヒロシマ」をめぐって書かれた本作が3・11以後の文学的事件のように思えてくる。村上春樹『1Q84』は案外影響下かも。こっちはシベリウスだが。
2013-09-01 13:33:11
わずかしか視てないあまちゃんの自分なりの理解のため、番組のロケ地となった久慈が地震の当日にどんな津波にさらされたか、これから観てみる。 http://t.co/37tzs6zjpg
2013-09-01 13:40:45

あまちゃんのロケ地、久慈港の津波被災の記録映像、陸上自衛隊第9師団による空撮。ヘリから中継する隊員が通信の合間に空から黙視した人へ(届くはずもないのに)「お前もういい、逃げろ、逃げろ」と声を出している。
2013-09-01 14:33:00
ただし、久慈市での死者行方不明者は各2名(2012年3月31日時点)。北三陸市が久慈市という仮定なら、市内にとどまっているかぎり、あまちゃんのみんなは、ほぼ無事ではないかと考えられる。が、これがユイが電車で向かった宮古となるといきなり増え、併せて527人(同)が犠牲になっている。
2013-09-01 14:40:06
久慈には行ってないので、別の宮城篇も併せ個人的に訪ねたことのある陸前高田、石巻、気仙沼、南三陸、荒浜の映像記録も見た。それにしても酷い。津波被災地に足を運んだことの有無で、たぶんあまちゃんの見え方はかなり違うと思う。 http://t.co/OPR1bXusI6
2013-09-01 14:57:02
9月4日

震災を描く物語ではないし、そもそも「朝ドラ」なのは承知のうえで、その描写に関心を寄せている。前にあまちゃんは忘れられつつある震災前(いま戻りつつあるように見える「日常」は以前と同じではない)を思い出すための話なんじゃないかと呟いた。が、ならば、なおさら震災後の演出は決め手になる。
2013-09-04 16:40:55
率直に言うと、あまちゃんの震災直後からの演出には違和感を感じる。別に原発事故を直接、描かないのが駄目とは思わない。でも、まったく触れないというのも同じくらい不自然ではないか。僕の見る限り、それを匂わせるのは「デモや風評被害といった聞き慣れぬ単語が飛び交った」という絵札1枚のみだ。
2013-09-04 16:42:42
でも、登場人物の誰かがたった一言「福島のほうじゃいま原発で大変なことになってるらしい」と呟くだけで、全然違うと思うのだ。それだけでも、あまちゃんを見る人は今も事故で地元から避難している人たちに想いを馳せることができる。彼女たちの歌う「地元に帰ろう」も、もっと違う響きを持てるはず。
2013-09-04 16:45:43
そのひとことがないために、今のあまちゃんの「地元に帰ろう」は残念ながら太巻のいう「売名行為」というより、結果的に国の帰還支援の一助になってしまっていると思う。「地元」とは自分が決めるもの、という大友氏の話もあるようだが、成り行きや歌詞を見るかぎりそれは少々無理筋というものだろう。
2013-09-04 16:48:39
いずれにせよ、朝ドラに多くは求めようとは思わない。僕の関心はクドカンが震災を扱いながら、絶対に切れ離せないはずのこの問題に一切口を閉ざしたまま、あまちゃんというドラマを終えてしまうのか、それとも「こんな手があったか! 」と土壇場で感服させてくれるのかにある。最終回まで注目したい。
2013-09-04 16:50:15
①わたしの尊敬する作家が〈 鑑賞者にはただ見ることだけが許されている。作品は鑑賞者が見る時には既にそこにあって、鑑賞者側からはどうすることもできない。それが鑑賞という行為、受容という行為の前提だ。その前提をちゃんと踏まえないと、目の前の作品が何故そうなっているのかを→
2013-09-05 12:23:04