視聴前のコメント

「風立ちぬ」まだ観てないけど、たぶん堀越二郎じゃなくて堀辰雄で観るべきものなんでしょうな。もっといえばヴァレリー、リルケ、トーマス・マン。
2013-07-30 01:14:53
サナトリウムでだらだら生きる「生」が、戦争という一瞬の輝きに投棄されるという話が『魔の山』であったわけで、この生の意味の二重性については堀辰雄においても継承されていますよね。ちなみに『魔の山』の最後のシーンにかぶれて右翼に転向した人物としてチャンネル桜の社長がいるわけですが…。
2013-07-30 01:26:14視聴後の映画評

はーい、「風立ちぬ」観てきましたよ。堀辰雄、ヴァレリー、リルケ、トーマス・マン、ダヌンツィオあるいは未来派…などの優れたKonstellation(星座的配置)によって主題が明晰化された快作だと評価しました。
2013-08-06 23:41:45「生きねば」の主題と「生」の多層性について

(承前)「生きねば」という主題における「生」とは多層的なわけですよね。まず技術者の美学的な生=未来派的な生と、サナトリウムにおける魔の山的な生=ヴァレリー的な生が対比されている。この2つは、1935年という年において結びつくわけです。
2013-08-06 23:45:56
(承前)つまり堀越二郎が設計したゼロ戦の原型となる九式が初飛行した年と、堀辰雄の恋人がサナトリウムで死んだ年が1935年なわけで、この2つの「生」を共時的なインスピレーションから対抗的に結びつけた。これが卓越したKonstelletionといえます。別名をセカイ系ともいいますが。
2013-08-06 23:49:22
(承前)そして最後のシーンは、堀辰雄の「風立ちぬ」のラストに出てくるリルケ「レクイエム」の引用ですよね。死者が帰ってくるとはすなわち、赦しを与えに来るのではなく、生者をいやがおうにも死者に刻印づけるために来るのです。だから二郎はあんなにそっけないのですね。
2013-08-06 23:53:56カストルプを通じたトーマス・マンの役割と戦間期の政治

未来派的な生=美学的な生を体現しているのはカプローニですが、その美学的な生の高揚を貪ることは、作中ですでに疑問符が投げかけられている。カストルプは政治的責任の領域の存在を、妹は倫理の領域の存在を示している。キャラクターの配置にムダがない。
2013-08-06 23:57:35
(承前)カストルプは当然魔の山のカストルプであり、作者のトーマス・マン自身です。魔の山のラストは、サナトリウムの漫然としたヴァレリー的生から、世界大戦という状況における生の高揚をただ貪るというものです。そこに政治的決断はない。
2013-08-07 00:00:23
(承前)ところが周知のように、トーマス・マンは第一次世界大戦に熱狂はしましたが、戦後は共和国の擁護者として政治的な立場を表明し続け、ナチス政権成立後亡命するわけです(だから特高に追われる)。つまり軽井沢にいるカストルプは、ポスト魔の山の政治的責任を引き受けたカストルプです。
2013-08-07 00:02:49
そういえば堀辰雄は芥川を引いて文学における真善美の三領域モデルを展開していますが、さっきの議論に強引に当てはめると、カプローニ=美、カストルプ=真、妹=善、ということになるのかしら。
2013-08-07 00:19:59小説『風立ちぬ』結末と映画『風立ちぬ』解釈

堀辰雄「風立ちぬ」の最後にはこういう一節がありますね。「節子、おれはこれまで一度だっても、自分がこうして孤独で生きているのを、お前のためだなんぞとは思った事がない。…或はひょっとしたら、それも矢っ張お前のためにはしているのだが(続
2013-08-07 01:42:25
(承前)…それがそのままでもって自分一人のためにしているように自分に思われる程、おれはおれには勿体もったいないほどのお前の愛に慣れ切ってしまっているのだろうか?それ程、お前はおれには何んにも求めずに、おれを愛していて呉れたのだろうか?」これは映画の解釈の補助線にもなるのでは。
2013-08-07 01:42:45ヴァレリー、モネ、バウハウス

油絵を描く菜穂子の構図が「日傘をさす女」であるという仮説は主題的に支持したい。ちなみにモネはドレフェス派、ヴァレリーは反ドレフェス派である/そしてバウハウスがあったのはデッサウですよね。 / “菜穂子の油絵と1920〜30年代の美…” http://t.co/P5EmV24VAq
2013-08-07 02:13:11結論

他にも示唆に富む符牒はたくさんありますが…、とりあえず「風立ちぬ」は「政治の美学化」としてのファシズム的生を描いている。ただしイローニッシュなかたちで、といえるのではないでしょうか。
2013-08-07 00:07:52
あ、話の構造をちゃんと理解したうえで、美学的な生の高揚について「あの手口に学んだらいい」というのはありだと思います。もちろん反面教師としてですからね!
2013-08-07 00:24:59
ああそうだ。サヨクのみなさんは、ただ美学のためにいきる技術者を戦争責任から免罪しようとしてないか?という危惧をお持ちかもしれませんが、美学のために生きる技術者=ファシストなんですよ。だからあの映画はファシストをファシストとして描いているだけなので何の問題もないんですよ!
2013-08-07 01:48:18
ラストの解釈は少し難解ですが、少なくとも未来派的な生が肯定されたわけではなく、むしろヴァレリー的生に立ち戻っているのではないですかね?まあ、イローニッシュにではなく、本気であれでクリエイター的生が肯定されたと喜ぶ人をみたら、そいつはおそらくファシストなんで注意しましょう。
2013-08-07 02:42:07