
"Playing Humanity" 人間らしさの探求 仕事はこちらまで [email protected]
広島市佐伯区出身の男子元陸上競技選手・400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役。
2001年世界陸上エドモントン大会・2005年世界陸上ヘルシンキ大会の男子400mハードルにおいて、世界陸上選手権のニ大会で銅メダルを獲得する快挙を達成。又オリンピックには、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続で出場した。身長170cm、体重66kg。
http://ja.wikipedia.org/wiki/為末大

自分の記憶です RT @whitework23: @daijapan 他人の記憶で自分の人生が評価される?だからどうしたのでしょうか?
2013-06-25 07:47:01
苦しいでしょう? RT @whitework23: 自分の記憶ならばされるではなくするですね どうなのでしょうね?記憶ほど不確かなものはないですから 誤認識もありますし 自分で自分を評価する必要もないし
2013-06-25 08:00:52
最近人生をどう生きるかという話をいろんなところでしながら、まさに自分自身がどう生きていきたいのかを考えていると、ふと死ぬ間際に自分がどう人生を評価しているだろうかという事が、人生を選んでいく基準になっていると気づいた。
2013-06-26 08:10:01
認知心理の実験で痛みを加えて、実験終了後それを患者がどう評価するか、というものがある。実験後によりつらい思い出として記憶されたのは、実験中の痛みでも長さでもなくて、ピーク時と終了時の差が少ないほど嫌なものとして記憶された。
2013-06-26 08:13:57
反対にピーク時いくら辛くても終わり際に楽になれば、それほど嫌な記憶として残らなかった。よくドラマで記憶を消されるという描写があり、それを私達はとても辛く悲しいと感じている。人生は人生そのものではなく、記憶された人生として評価される。
2013-06-26 08:17:31
昔中学校の先生に怒られた事を同級生と話をしたら、彼らが先生は怒らず激励していたと言っていた。同じ出来事を違うように感じ、違う局面を記憶し、そして記憶がだんだん変容していく。そしてその変容した記憶によって私達は人生を評価しようとしている。
2013-06-26 08:19:15
どういう人生を生きてきたかという記憶、そしてどういう人生を生きていきたいかという希望を持って人は生きるけれど、実は自分自身は今にしかない。今自分は何を感じているのかという事よりも、記憶の方が人生の評価に影響しているのは何とも皮肉な気もする。
2013-06-26 08:24:33
【終わり】私達は人生そのものではなく、人生という記憶によって、自分の人生を評価している。そして記憶はいつも現実とはずれている。幸福な人とはもしかして、記憶の保存方法が前向きなのではないかと、ふと昨夜思い浮かんだ。
2013-06-26 08:27:14