
武家の棟梁の官職としては、名誉称号に近い征夷大将軍よりも、「幕府」を形成できる右近衛大将の方が重要だった感じがしますね。実際室町時代は将軍任官よりも右大将任官のほうが大きなイベントだったフシがあります
2013-03-16 03:42:19
@1059kanri 室町将軍は近衛中将か左馬頭に任官するのが慣例だったようです。左馬頭は武家にとっては特別な官位なので、武家の棟梁としての資格を官位で示したのでしょうね
2013-03-16 03:57:09
@sweets_street 室町将軍の格式が成立するのは足利義満の時代ですね。「義満みたいな人」が、足利将軍ということになりますw
2013-03-16 04:02:44
@1059kanri 室町将軍は公家的ってイメージがあったけど、官位を見ると武家の棟梁であることを強く意識してたみたいです
2013-03-16 04:09:48
じゃあ征夷大将軍とは何なのか、といえば、正しく「源頼朝が就任したから」意味を持った称号に過ぎず、執権北条氏が頼朝の血を直接には引かない摂家将軍や宮将軍に、その正当性を付加する「頼朝以来の伝統」として権威づけたに過ぎない
2013-03-16 03:45:51
@1059kanri 頼朝就任当時、本人はどんな思いだったのでしょうかねえ?清盛は太政大臣にして帝の外祖父。それに比べるとかなり低い
2013-03-16 03:50:52
@mcranagalle 頼朝は将軍権威ではなく「右大将」として政権を作っていますね。頼朝は特に征夷大将軍に就任したかったわけではなく、「大将軍」ならなんでも良かった、というのが本当のようです
2013-03-16 03:55:52
執権北条氏が征夷大将軍に熱心に権威付けを行ったのは、朝廷官位として特に実権を持たず、公家の権益を犯さない、、装飾としてちょうどいい官職だったためと考えられる。つまり消去法で選ばれた
2013-03-16 03:49:11
しかし、鎌倉時代も時が過ぎていく間、征夷大将軍位が北条氏の意図を超えて象徴性を高めてしまった。武士統合のシンボルになりうる権威を結果的に持ってしまった。これが室町幕府への流れを作るわけですね
2013-03-16 03:52:44
室町時代になっても征夷大将軍は、武家の棟梁を表す様々な要素の一つに過ぎませんでしたが、鎌倉時代と違って河内源氏の足利氏が将軍職を独占する中、義満の時代に征夷大将軍と源氏を結びつけ、足利宗家の家職化が進みます。この時征夷大将軍と源氏ははじめて、強力に結び付けられました
2013-03-16 04:00:38
足利宗家によって征夷大将軍は独占されましたが、これによって逆に、足利宗家の長は征夷大将軍という地位に規定されることにもなりました。体制が安定している間は良かったのですが、それが崩れると将軍の位さえ確保すれば足利政権を掌握できる事になります。これが暴露されたのが明応の政変ですね
2013-03-16 04:19:44
征夷大将軍が「すべての武士の主君」という概念になったのは、実際には「事実上すべての武士の主君であった足利宗家の長が征夷大将軍だったから」ですね。実態が概念化されて征夷大将軍という官位に付加された、という。この認識は戦国期、将軍権威が没落する中でも生き続け、江戸期に再定義されます
2013-03-16 04:27:21
つまり「征夷大将軍」なるものも、歴史の流れの中でたまたま、武家の棟梁を象徴する官位となっていったわけで、そのそもそもは朝廷が与えても痛くもなんともない、実権を伴わない名誉称号だったため、という実態があったということですね。後の、特に江戸期の強大な征夷大将軍権威は、結果にすぎない
2013-03-16 04:31:50