心理学者の渡邊芳之氏の一連のつぶやき。いつもながら、常識的ともいえる論点を、あえて非常識的な表現をして、読者を刺激しているようだ。

科学者や専門家じゃない人々が擬似科学やオカルトを「信じている」理由やしくみと,科学知識を「信じている」理由やしくみには大差がない。そもそも科学者は科学知識を「信じているわけではない」ということは科学者からもよく言われることだが,普通の人はたいがい科学知識を「信じている」。
2013-01-12 08:01:17
だから擬似科学やオカルトを批判して「それを信じる仕組み」を相対化してしまうと,多くの人は「同じ手続き」で自分の科学知識への「信仰」も相対化してしまう。
2013-01-12 08:02:24
そのことの解決策のひとつは,一般の人もみんな科学者になってもらい「信じる」のではないかたちで科学知識を活用してもらう,ということだ。菊池先生のスタンスは一貫してそうだ。
2013-01-12 08:05:22
これが「近代合理主義」。 RT @ynabe39 そのことの解決策のひとつは,一般の人もみんな科学者になってもらい「信じる」のではないかたちで科学知識を活用してもらう,ということだ。菊池先生のスタンスは一貫してそうだ。
2013-01-12 08:08:52
だけど「みんなが科学者になる」なんて無理だし,そのことが「科学者になれる人」と「科学者になれない人」との社会的な対立を生むことも311以降わかった。
2013-01-12 08:40:21
いっぽう私の血液型批判は「血液型を疑うことで同時に心理学の定説も疑う」という構造を持っていたので,その意味では単純なものだった。それと「擬似科学は疑わせて,科学知識は信じさせる」というのとはまったく違う構造だ。
2013-01-12 08:08:58
私のようなスタンスをとれば血液型信者だけではなく心理学者も敵になる。では菊池先生的な「みんな科学者になろうよ」アプローチでは科学者はみんな味方か。それがぜんぜんそうではない,ということが菊池先生とその周囲を見ているとわかる。
2013-01-12 08:12:21
もちろん「それは物理学者の仕事ではない」という役割論的批判もあっただろうが,それよりむしろ科学者や専門家でありながら一般の人と同じ感覚で科学を「信じている」人が最大の「無理解者」だったのではないかと思う。
2013-01-12 08:14:27
私は懐疑論趣味者だから「擬似科学も科学も疑う全面的懐疑論」が世の中を支配することは望ましいことだと思うが,それではうまくいかないよね,というのが311以降の世の中の動きだったと思う。
2013-01-12 08:19:48
個人的には「科学者」のすべき仕事は「擬似科学やオカルトを疑わせること(同時に科学知識を疑わせること)」や「みんなを科学者にすること」ではなく「自分が科学的に正しいと思う知識や立場を疑似科学よりもっと魅力的なものとして信じさせること」なのではないかと思う。
2013-01-12 08:21:51
先ほどのツイート,「科学者」のすべき仕事は,を「科学者」が「一般の人」に対してすべき仕事は,に訂正。言っているのはそういう意図ですので。
2013-01-12 08:46:03
血液型性格判断をいくら批判しても信じる人は減らないし,それを疑わせたら「なにも信じられない」となる人のほうが多い。それよりは性格心理学的にもまちがっておらずかつ「こっちのほうが血液型より面白いですよ」と言えるようなものを心理学者が打ち出していくほうがよいだろうと思う。
2013-01-12 08:26:15「科学を信じる」原因は学校で科学がどう教えられているかにあるという議論。これはこれで大事なのだが、今回の議論の本筋にならなかった。

科学的知識は信じるものではなくて理解するもの。でも、理解できない難解なものは覚えしまうしかないので公式暗記。そういう勉強方法だと科学的知識も信仰のように感じてしまっても仕方ないです。 @ynabe39
2013-01-12 08:31:16
科学や数学の授業でも証明は適当に済ませてしまうなあ。生徒が知っている概念だけでは説明できないからなんだけれど。しょうがないけれどやるせない。@brunbunby @ynabe39
2013-01-12 08:38:42
@SatoshiMasutani @ynabe39 その公式を理解することより、それを実際に使って問題解くことの方が重視されてしまうのですよね。(問題解けることが理解することだと信じてる人もいるし) でも、技術として学ぶ場合はそれでいいのかも。
2013-01-12 09:00:33科学を信じさせるような活動をすることと科学をすることとは両立するだろうか、という問題。科学史家の伊藤憲二さんの問題提起から。

私には「自分が科学的に正しいと思う知識や立場を疑似科学よりもっと魅力的なものとして信じさせること」をしようとする学者・科学者はかなり多くいるように見えるのだけれど、自ら方法的懐疑主義にそむくことで、学者・科学者として何かを失ってしまっているように見えてならない。
2013-01-12 08:36:20
でも、知識や立場ではなく、その活動を魅力的に示すことなら、正直にできるだろう。
2013-01-12 08:37:39
@kenjiitojp そうであれば,「科学者」はその仕事は誰か「科学外部の人」に任せて,科学内部に閉じこもるしかありません。それもひとつの「正しいあり方」だと思います。
2013-01-12 08:38:16
@ynabe39 あるいは、自己矛盾をかかえる覚悟で、自らその仕事を引き受けるか。
2013-01-12 08:45:49
@ynabe39 @kenjiitojp 純粋科学はそれでいいかもしれないけれど、医術や工学のような「技術」は、やはり信じてもらわないと使えませんよねえ。
2013-01-12 08:41:14
@Ichy_Numa @kenjiitojp その意味で「技術者」の立ち位置は微妙だし,技術者的立ち位置の人には自分自身も「科学知識を信じている」タイプの人が多くて,そういう人たちが菊池先生を悩ませたりする。
2013-01-12 08:42:37