
山本七平『「空気」の研究』を読んでいるが、どうも切なすぎる。30年前に書かれた本でありながら、変化が全くない日本社会。いまも「空気」に支配された無意味な「東北復興」が進行中だしなあ…。http://t.co/hxreJjgt
2012-04-11 12:34:35
私は日本の「空気」的なものが嫌いで仕方ない。そういう意味では私は「日本人」ではないのかもしれない。山本七平がキリスト教であったがゆえに一定の日本的「空気」から切り離され、切り離されたゆえにひどい受難に遭遇したように。
2012-04-11 12:38:03
もし「空気」が日本文化の本質であるのなら、多分私は死ぬまで日本文化に対して心を許すことができないだろう。これはある意味、日本人としては悲劇である。山本七平も同じ悲劇を背負い、その苦痛を評論活動の中で表現した。私もおそらく同じ道をたどるしかあるまい。
2012-04-11 12:40:56
私が、日本をしばしば物理的に離れたくなるのは、この「空気」から逃げ出したいからである。日本の外にはあの何とも言えない「空気」は存在しない。そこで私は初めて心から安堵するのである。私はいま物理的に日本にいるので、常に鎧をまとって「空気」という外敵から自分の心を守ろうとしている。
2012-04-11 12:43:33
私と山本七平の立場の違いは、私の方が彼より50年遅れてこの世に生を受けたという点である。山本七平が逝去した1991年以降、冷戦終了・IT化によるグローバリゼーションが急速に進展した。日本文化の「空気」はその存立基盤である日本人の同質性を失いつつある。「空気」は今度こそ滅びるか?
2012-04-11 12:47:16
山本七平が無くなった1991年はバブルがはじける直前で、日本が史上最悪の軽薄消費文化に酔っていた時代だ。完全に空気に支配された社会。彼の絶望は深かったに違いない。あれから20年。日本文化は、フラット化の深刻な挑戦を受けている。「空気」で動く日本企業は世界市場で次々に敗退している。
2012-04-11 12:51:39
『「空気」を読まない日本人』というのがそもそも存在可能なのだろうか?司馬遼太郎も生涯このテーマを追いかけていた。彼の小説の主人公は「空気を読まない」ヒーロー達ばかりだった。彼の愛読者の中心が「空気の牙城」大企業の管理職の中高年男性たちだったのは皮肉としかいいようがないが。
2012-04-11 13:09:01
少子高齢化に伴う人口減少に見舞われる日本社会。グローバリゼーションの中で日本文化が何の変容も遂げないとは想像しにくい。空気を読まない「日本人 2.0」は誕生するのだろうか?私にはまだ分からない。だが私は少なくともサイバー空間で「日本人2.0」の居場所を作りたいと考えている。
2012-04-11 13:13:09