前フリ

「分からないなら従って下さい」と言う人が「分からないので従いません」と言う人を批判するなど烏滸の沙汰ですな。もう内輪じゃ済まないんだろ? http://togetter.com/li/166316
2011-07-26 21:39:51
「仁義」とか「受益」とか「敬意」とか「ファン活動」とか、そんなのは自己弁護のために使っていい言葉じゃないの。既に外部へ開かれてしまった問題について話すのに、内輪の論理で語ってどうするよ? http://togetter.com/li/166316
2011-07-26 21:51:34
RT !hazuma 第3者だろうがなんだろうがあらゆる権利侵害は許せん、という人々は、まずアニメアイコン変えたほうがいいぞ……
2011-07-30 00:17:09
カオスラウンジ問題が Togetter その他では非常に盛り上がっている印象なのに、関連ツイートがぼくの TL に殆んど流れて来ないというのは、やはり叩いているのは所詮一部のクラスタの人々だけだったということなのだろうな。
2011-07-30 02:07:58カオスラウンジ問題についての連投

カオスラ問題について、ちょっと連投してみるか。基本的には自分に関係ない話については容喙しない主義だし、狭義のアートの問題系に関しては正直どうでもいいんだけど、まあ金曜日の深夜だから何言っても許されますよね、Twitter の不文律的にw
2011-07-30 02:33:59
カオスラ問題について。えーと、まず思うのは、この騒動に関して二次創作サイドからのカオスラウンジに対する批判が、結果的に内輪の論理に終始した感情的な批判にしかなっていないということね。
2011-07-30 02:38:35
二次創作サイドの方々がカオスラに対して何故これほど怒りを剥き出しにしているのかと言うと、それは二次創作のコミュニティが培って来た不文律、すなわち: 1. 絵は自分で描く、2. 著作権者に対するリスペクト、3. 商業ベースに乗せない、を全部破ったためだと理解している。
2011-07-30 02:44:07
ただ、現代アートサイドの視点を取ると、これらは全てルールでも何でもない。第一に、コラージュは立派なアート制作の技法と看做されているし、現代アートは一般に表現対象に対するリスペクトを表明するために制作されるものではない。
2011-07-30 02:48:54
また現代アートは一般に、鑑賞者を心地よい気分にさせたり楽しませるために制作されるものでもない(それどころか一般論として、鑑賞者を不快にさせたり鑑賞者に嫌悪の情を催させたりするものも、立派なアートとして認められて来ている)。そしてそれは一般に、商業ベースに乗るものである。
2011-07-30 02:53:01
従って、一般に現代アートの論理は二次創作の論理に乗る(包含される)ものではないと言える。ここまでは共通了解として構わないと思う。さて、ここでの問題は、今回のカオスラウンジの件に対する二次創作サイドの対応である。
2011-07-30 02:56:35
ぼくは特に、二次創作の論理に対する現代アートの論理の優位性を主張するものではない。仮に現代アートとして制作された作品だとしても、それが二次創作の論理から許容されないものであったとすれば、それを二次創作サイドから批判することは無論、正当な行為だと考えている。
2011-07-30 03:00:54
ただその批判を二次創作の論理の枠内で完結させたいのであれば、その批判は二次創作コミュニティの内輪において完遂されるような形で呈出されることが必要だった。それは具体的には、二次創作コミュニティからの追放ということである。
2011-07-30 03:06:42
(承前)要するに、二次創作のモラルに反することをした以上、あいつらとは仲良くしてやらない、朝に会っても「おはよう」とか絶対口利いてやんねーぞ、ってことです、譬喩的に言えば。カオスラの面々も、モラルに反した以上、そうした対応を取られても文句を言える立場ではなかっただろう。
2011-07-30 03:39:36
しかし実際には、二つの方向性から、二次創作サイドの対応は問題を外部に向けて開いてしまった、すなわち内輪の論理で現代アートの論理に対抗する可能性を自ら捨ててしまった。それは第一には、著作権法という法を楯に取ることで。また第二には、現代アートの論理を自らの論理の内部に包摂することで。
2011-07-30 03:45:18
第一のポイントは法律。これは内輪の論理(例の二次創作三ヶ条)を自ら棄て去ることに等しい。「法律」は常に「仁義」に先行する(でなければヤクザが罰せられることはない)。一方、著作権法には親告罪が規定されている。
2011-07-30 03:51:46
そうであれば、実際に著作権者(この場合は二次創作の著作権者?)が動き出さないかぎり、または法に定められた手続きを以て告訴しないかぎり、第三者に容喙できることは何もないと言わざるをえない。具合の悪いことには、二次的著作権者は同時に一次的著作権者から告訴される可能性がある。
2011-07-30 03:56:41
また重要なのは、ここで二次創作の論理が社会一般の通念のラインまで引き下げられてしまうということである。裁判所は社会通念に従って問題を処理するのだから、当然、現代アートの論理と二次創作の論理とが比較衡量されることになる。これが問題を外部に開いたということの意味。
2011-07-30 03:59:51
二次創作の論理(再掲: 1. 絵は自分で描く、2. 著作権者に対するリスペクト、3. 商業ベースに乗せない)に反したことが批判の対象になるのは、飽くまでその批判が内輪で完結していたからだった。しかし裁判は内輪では済まない。
2011-07-30 04:03:54
そして社会一般から見たとき、現代アートの地位と二次創作の地位はどうだろうか。コラージュが許されないというのは、飽くまで二次創作サイドの論理に乗っていたからそうなのであって、社会的に見ればコラージュがアートの技法として一般に認知されていることは頷けることである。
2011-07-30 04:06:30