文理な話。

 最近はどうでもいい話はgoogle+に書いているのですが、この話をgoogle+に書くのもちょっとなあと思ったので、こっちに書きます。「Google 辞めました - アスペ日記」を読んでの感想です。

 リンク先のエントリは、一言でいってしまえば会社と自分との方針が違ったのでgoogleを辞めたというただそれだけの話なんですが、面白かった。こんな私の文章なんか読んでいないでご一読ください。多分、8割くらいの人には面白いから。

 この人の経歴がプロフィールのところに書かれていたので読んでみたのですが、これがすでに面白いです。京都大学の工学部を一年で辞めて、大阪外大でがっちり言語の勉強をしているんですね。その後、ワープロソフトを作る会社で働いて、それからもう一度語学の勉強をして、京都大学自然言語処理修士課程に入る。で、約一年前にgoogleに入って退社。

 要するに、文系的な意味で言語の好きな、理系のプログラマ

 いやー、そりゃあ苦労しますよ。だって、自然言語処理(理系)と言語学(文系)って今は方向性がまったく違いますもん。私は音声信号処理(理系)屋さんで、自然言語処理のお隣の分野の人間ですが、自然言語処理って言語学の大切なところをがんがん無視していく分野なんですね。言葉のことを知っていれば知っているほど、自然言語処理が乱暴な分野に見えるはずです。この人がつらいのは当然です。

 で、今の世の中に多分この人の居場所はないだろうなあと思うんですよ。どうしてそう思うかというと、私の居場所もないからです。私も、音声の好きな理系の研究者です。ただしこの人とは違って純粋に理系出身です。そんな理系の人が音声学(文系)・音韻論(文系)をかじってしまうと、今の音声信号処理や音声認識がめちゃくちゃなことをしているように見えるんですよ。でも、理系の人は「それなりのものができているんだから問題ない」と言い、文系の人は信号処理や自動認識の仕組みにはそもそも興味がないんですね。だから、今の音声認識はまずいだろ、と指摘する人がものすごく少ないんです。じゃあどうするかというと仕方がないから自分一人の研究所で研究を進めるしかないんですね。この人もきっとそんな感じでしょう。

 じゃあ、どうするかという話なんですが、どうしようもないでしょう。この人もこれからひっそり生きていくんだろうなと思います。週末に自分でいろいろと開発したりして。