ダイナモ感覚は「虚無の村里/実在の荒野」で発病する

 曰く、大麻で統合失調症を発病することがあるらしい。だから、薬はいけない。あくまでも、自家分泌しうる範囲内で。キューヤクン・アン・カミングーさだまさしがもし「旧約の、あの神」をタイトルにするとすれば、「キューヤクン・アン・カミング」になると感じるーの、厳しそうだけどなんだかんだ人間見捨てないあのモラハラな優しさ。「妬む神」の真相=深層とはそんなところにあるのではないか。うちの父親みたいな。

 フーコーは晩年、「パレーシア」を言った。危険を賭しても、真理を宣べ伝える哲学ということ。例えば、ニーチェや芥川のように。これは、吉本隆明が『ひきこもれ』で言った、文学者の「馬鹿正直さ」に似ている。その本の帯には、「誰かが言うべきだった。でも、それができたのは吉本さんだけだった」とある。インテリは大衆以上に馬鹿だから、すぐに「精神的近隣」<隣人>に阿って、その関係を毀損したくないという錯誤によって、日和る。河本先生も馬鹿正直だったが、現代の評論家について、「日和っちゃって大学で語学の先生やってるじゃない!」と言っていた。

 旧約の預言者たちは、日和らなかった。しかも、連帯もせずに。そこに、韓国や反時代的な者以上のものがある。ニーチェも預言者然としている。時代を先取りした優しさがあるからだ。ハマコーは「いいかお前ら、断っておくけどな、かわいい子供たちの時代のために自民党があるっちゅうことを忘るんな!」と言った。ニーチェもまた、「かわいい子供たちの時代のために哲学があるっちゅうことを忘るんな!」と言っているかのようである。みのもんたは自分の過失を息子の問題にして降板の理由にして情けなかね!クイズミリオネア「ケツ「残念!」

 

 ところで「虚無の村里/実在の荒野」とは荘子の言葉である。含蓄が深すぎる。虚無は実在である。一千年後も感じるテクノのパノラマ現象。YMOも死者の奢り書いた人ももう個人である。どっちも反原発運動に参加したときに見た。やっぱり貫禄があったけど、それはただ特徴的なメガネでタレント性を演出していただけかもしれない。

 テッテケテッテケテッテケテッテケ(ライディーン)折部やすな!減反減反!あ、山下惣一が『減反神社』って書いてたなそういや、読もうかな。

 

 せんげん台とは、富士山の見える「あさま台」ということだろうか。あさましい山荘事件。ビリーズブートキャンプ流行ったねえ―。コロナも流行ったけどな!コロナ禍にビリーズブートキャンプで健康を維持して時間をつぶしたひとも多いんじゃないかな?どう思う?みんな。

 

 つる、はくたけ。酒は美味い。太宰がね!金もないのに豆腐に酒は合うって教えてもらったって『人間失格』に書いてた。あいつは頭がおかしい。世界は狭い。だから世界の中でおならをしたら、金正日のおならも君は吸っている!神秘だ!ああ神秘!クレオパトラのワイン(芥川風)ソロモンって「ソロもん」ってことか!俺を馬鹿にしてんのか!

 

 次は~、イコノクラスム・サンタシロ駅、イコノクラスム・サンタシロ駅

 

 結局サルトリーバラってなんだったんだよ!?Sartre=井原ってこと?実存?

 そういえば井原が『わが闘争』に心ときめかせてるMADが当時あったな。見てたよ。

 

 東日本大震災も日本株式会社くらい昔の出来事に感じる。あの時SMAPが生放送で歌ってたんだよ、知らないだろ。新開業の九州新幹線と博多駅見に行くっていうんで夜に別居していた母親の部屋にいたあの日。津波警報が解除されなかった。ビートルズとユーロビートが好きだった母親。あと『凍り付いた眼が見つめるもの』みたいな90年代メンヘラ文学も好きだった。メンヘラ、あたしトラウマ、みたいな。キモいんだよ。(川本真琴批判)グノーシス主義はもう勘弁してくれユング。そういえば中原岬を世に送り出した滝本さんも、エセ仏教とオカルトまがいのユング心理学にハマってたなあ。なんかあるね(湯婆婆風)。