「はたらく」ということをどのように考えるか、世界では大きく分けて5つぐらいの考え方があります。それは、「労働苦痛論」、「労働蔑視論」、「労働宿命論」、「労働社会論」、そして「労働尊敬論」とでも言えると思います。

白人と中国人の考え方は「労働は苦痛だ。できれば他人にやらせたい」というもので、現代流に言えば「労働は楽で、時間も短い方が良い」ということになります。今でも欧米や中国では「できるだけ若いうちにお金を稼いで、労働のない生活をしたい」という希望が強いのは、労働苦痛論、労働蔑視論によるものです。

また、ヨーロッパで宗教革命が起こったとき「神に命じられた義務」という天職という考えができ(表紙、マルチン・ルター)、さらに共産主義では「共産国家の建設のために奉仕する」というかんがえになります。自分の人生にために働くというのではなく、神に命じられたとか共産国家のためなどで、やはり労働苦痛論の延長線上にあります。

それに対して日本は「労働尊敬論」で、労働こそが喜びであり、人生であり、貴重なものであり、尊敬できる最も大切なものという意識です。だから、定年後も働きたいし、女性も仕事をしたいということになります。

良く日本では労働尊敬論を二宮尊徳の報徳という考え方で説明されますが、二宮尊徳の考えはやや性悪説で、自分のために働くのではダメで、皆のために働くとその見返りが自分に来るという考えですから、これもやや労働苦痛論に似ています。そんなことを言うと二宮尊徳ファンから怒られますが、そんな感じです。

しかし、日本人が働くのが好きなのは、労働は苦痛ではなく、労働は尊いもので、社会を作るためというは結果で、労働本来に価値があり、労働が人生も人脈も自分も豊かにしてくれるというものです。性根の悪い白人や中国人には「罰」とか「神」が必要でしょうが、人の良い日本人の場合、働くことそのものを素晴らしく感じるという天性があるように思います。

また、「働こうかどうしようか」と迷っている人や、「お金があるから働かなくても良い」という人はおそらくつまらない人生を送ることになるとおもいます。迷っている人はともかく働くことによって人生が明るくなり、お金がある人も働くことで健全で健康な生活に変わるでしょう。

最後に私の若い頃の乱暴な話を一つご紹介します。

(平成27617日)