圏論の教科書として、一つの定番と呼ばれる本がMacLaneのCategories for the Working Mathematician(邦訳:圏論の基礎)だ。この本は自分自身にとっても大学に入ってから最初に読みふけり、読み切った本としてとても親しみ深い本である。しかし、先日久しぶりに手に取って眺めなおしてみると、少し物足りないと感じるところや良くないと感じるところも多くある。そこで「圏論の基礎(以下CWM)」について今の立場から思う所をレビューしてみようと思う。
●MacLaneのスタイル
まず、CWMに限らずMacLaneの書く本(例えばHomology)は特徴がある。それは「具体から抽象へ」という流れを明確に意識している点だ。例えば、随伴関手の説明をするとする。すると、一般的な話をする前に自由ベクトル空間と忘却関手の話をする。自由グラフの話をする。それらの構造を意識しながら、共通する構造を抽出していこうというスタイルをとる。これは、同じ圏論の黎明期の数学者でも、ある意味「抽象論は抽象論として扱う」とも言えるGrothendieckとは対照的なスタイルだ。
このスタイルには功罪あるといえる。それはよく言えば「アブストラクトナンセンス」になる心配はないとも言えるし、悪く言えば「アブストラクトナンセンス」になり切れないところであるとも言える。結果から言ってしまえば、GrothendieckのTohokuやSGAで展開された圏論に比べると、CWM内で展開されている圏論は他の数学(例えば代数幾何学や数論幾何学)への応用を意識した時に別段使い物にならないものが多い。つまり「圏論」というアイデアを理解するのには役立っても、圏論自身を役立てるには武器として少し心もとないといえる。
●情報源としてのCWM
もう少し内容について具体的に言及しよう。まず、これは上記のようなMacLaneのスタイルの弊害とも言えるが「とにかく具体例が多くてうんざりしてしまう」ということは実際に読む際に大きな障壁となるだろう。正直なところ、CWMに載っている様々な具体例をすべて知っている人なんて現役の数学者でもあまりいないだろう。テンソル積や射影加群程度ならともかく、位相空間のStone-Cechコンパクト化を専門外の人が知っているとも思えない。リー群からリー環を与える操作を知らなくても関手という概念は理解できるだろう。つまり、知らない具体例を気にしだすときりがないということに気を付けるべきであるといえる。
自分の場合この本を読んだのは学部1年生の時だったという事も幸いして、何も知らなくて当然なので逆に「いろいろな数学の分野を知る情報源」と考える事が出来たのはとても良かったと考えている。章末のHistorical Remarkのようなお話もとても面白かった。そこから原論文をたどることによってまた異なる印象を抱いたり、歴史的な流れを感じることが出来たのは後に更に高度な(高次な)圏論を勉強する際にとても役に立ったと感じている。
●CWMの限界
そのうえで、より具体的な批判に入ろう。結論から言えば「圏論の基礎」は内容が少なすぎるという明確な問題がある。勿論、これは代数幾何学などに圏論を実践的に応用することを視野に入れているという前提での話である。これは圏論に関する当時の多くの文献を読みふけっていながら感じたことでもある。というのも、CWMが出版されたのは1972年だが、その頃にはすでに圏論の研究の中心は高次圏へと移っていたのである。例えば、その一例としてモデル圏を導入したQuillenのHomotopical Algebraは1967年に出版されている。
しかし、CWMは最終章に少しだけ高次圏の話が述べられているものの、殆ど何も書いていないに等しい。高次圏論的な議論が出来るKan拡張も1-圏的に行い、その結果非常に見通しの悪い証明となっているといわざるを得ない。後半にかけて雑多な内容を集めているにも関わらず、「圏の局所化」のような圏論における基本的な操作すら述べていないというのも非常に疑問である。また、多くの形で幅広い数学に関わる単体的手法についても、言及しているにも関わらず全く話が広がっていないというのが不思議である。何なら、それだけで一章を割く価値があるといっても過言ではないと思うのだが・・・。
正確な文言は覚えていないが、晩年のMacLaneが「数学の基礎をめぐる論争」において当時(1980年頃)の圏論界に苦言を呈している。今考えてみると、あれは高次圏のモデルとしてそれぞれ別に提唱されていたOperad、Segal-category、simplicial categoryなどの事を指していっていたのだろうという感じもする。確かにそれは門外漢から見たら「下らないアブストラクトナンセンス」に過ぎないだろう。しかし、SimpsonのHomotopy theory of Higher Categoriesなどを読めば分かるように、それらは明確な目的意識を以って発展していたものだ。事実、Kan, May, Quillen, Bousfield, Joyal, Jardine … そしてGrothendieckといった数々の数学者がそれに従事していた。VoevodskyのMotivic homotopy theoryやToenのDerived algebraic geometryも基礎的な部分をそれらに深く依存している。その壮大なプログラムに「おいてけぼり」をくらってしまったMacLaneの負け惜しみと言われても、残念ながら仕方ないと思う。
●総論
いつもに増して雑多な感じになってしまった。要は自分の主張をまとめると次のようになる。
- CWMは抽象的な圏論の具体的な形を知るのに適した本だが、真面目に読むと大変である。
- 現代的にはその内容は少し不満があるといわざるを得ない。
- 特に近年発展が著しい高次圏論は全くフォローできていないといえる。
高次圏論を使った抽象代数幾何などと異なる方向の圏論の応用例としては論理学が挙げられるだろう。それとしては、MacLane-MoerdijkのSheaves in Geometry and Logicが定評のある本として挙げられる(し自分もそれには賛同する)が、SGLを読むにもCWMの5章程度まで程度の知識があれば十分であるといえる。そういう意味でも、やはりCWMは「帯に短し襷に長し」といった感が否めない。ロジックがメインの人ならAwodeyのCategory theoryのほうがもっと手軽だろう。
Matheoverflowにもこのような議論がある。個人的にはBourceuxの本は分かりやすいし内容もより良いものだと思うが、(これだけボロクソに批判しておいてなんだが)MacLaneの味のある語り口に惹かれて圏論が好きになったという一面もある事は述べずにいられない。というのも「すべての概念はKan拡張である」という文言に惹かれて圏論を学んでいたのは事実なのだから!そう本当に自分にとって「はじまりはKan拡張」だったという訳なのです。
ま、要は個人的には面白かったけど好き嫌いの出る本だと思うし、これを読んだからといって何かが出来るようになる訳でもないし、合わないなら上記のLinkで紹介されてる他の本を読んでみるといいかなってところですね。当たり前の話に落ち着いてしまいましたね。結構過激な事と適当な事を書いた自覚はあるので、ご意見は募集しておきます。
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