これでいいのだ。下落合駅のホーム裏に住んだ2年間

著: 佐伯享介 

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たくさんの「便利ですね」をもらった2年間

「駅の近くに住んでいます」と言うと、「それは便利ですね」と言われる。「それは大変ですね」「さぞご不便でしょう」などと言われたことはなかったと思う。駅の近くに住むことには、とても価値があるのだろう。下落合に住んでいた2年間に、私はたくさんの「便利ですね」を受け取った。

数年前、西武新宿線下落合駅のホーム真裏にある、築50年ほどの古いマンションに住んでいた。

私の部屋は2階だった。電車を待っている人たちのちょうど頭の上あたりに、部屋の窓があった。窓から駅のホームまでの距離は、約1メートル。すこし、近すぎた。引越したその日に、防音カーテンを買ってきて、窓にかけた。

例えば停車中の電車の窓からぼんやり風景を眺める誰かが、たまたま視界に入った古い建物の窓にかけられたカーテンを見つけて、「ここにも生活があるのだな」と他人ごととしてうなずいて思いを馳せる、私が住んでいたのはそんな場所だった。

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西武新宿線下落合駅のホーム。私の部屋はこの並びにあった

便利な点、および防音カーテンの効果について

駅のホーム裏に暮らして、「便利です」とかろうじて言える点は、2つあった。

ホームで自室のWi-Fiが使えること。駅構内に向けた運行情報のアナウンスを部屋にいながらにして聞けること。なかなか便利でしょう。

防音カーテンの効果はどうだったのか。これはなんとも言えないところで、例えばホームで誰かが話しているらしいことは分かったが、内容は分からなかった。駅のアナウンスや電車の音は筒抜けだった。そもそもこういった家庭用の防音カーテンは駅隣での使用は想定していないのだろう。

人目を避けるのには役立った。カーテンがなければ、駅から部屋の中が丸見えだった。ただでさえ私は見られることが昔から苦手で、視線を向けられると反射的に目を伏せてしまう。中学生のころ、学校をサボってセックス・ピストルズのCDを買いに行ったときの緊張感をぬぐいきれないまま、大人になってしまったのかもしれない。

ホームに隣接する窓のカーテンは、常に閉じることにした。

獣になれない私(たち)

電車の音には1週間で慣れた。慣れてしまえば、ちょっと強い風のようなものだった。坂口安吾の『堕落論』だったか、戦時中に女性たちが井戸端会議で、空襲に慣れてしまってむしろ空襲がないと退屈だと話していたというエピソードがあったが、そんな話を思い出した。

終電が行ったあとの夜の静けさは、格別だった。深夜、線路やホームで作業する音が聞こえるときは、電車を毎日動かしている人たちのことを意識した。始発電車が動くころには、雑音が聞こえないほどぐっすり眠っていた。あの時期、私の存在の一部分は下落合駅のホームとほとんど一体化していたのかもしれない。

マンションから駅の改札までは遠回りになり、徒歩で2分かかった。朝、急いでいるときなどにはカーテンを乱暴に開き、窓をがらっとあけてホームへ飛び降りれば一瞬で済むと考えることもあったけれど、野性的に生きることができない私は、120秒間の遠回りをして目的の場所にたどり着くことを選んで走った。夜は高田馬場から、新目白通りをのんびり歩いて帰った。

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新目白通りと並行して走る西武新宿線

なぜそこに住んだのか

数年住んだ東京都町田市の家を引き払って、オフィスのある恵比寿に通いやすい山手線沿いの物件を探していた。当時の私は血に飢えたハイエナのように「便利」を求め、通勤時間の短縮を渇望していた。地方出身だからだろうか、山手線沿いに対する漠然とした憧れもあった。なにしろ「東京の大動脈」である。かっこいい。それはもう憧れる。「東京の左心室」とか「東京のリンパ腺」とか「東京の胆嚢」とかも、きっとどこかにあるのだろう。

山手線沿線で比較的家賃が安い高田馬場あたりを探していたら、西武新宿線での隣駅、下落合に格安の部屋が見つかった。さっそく内見に行って、迷わず決めてしまった。理由はだいたい100個くらいあるのだが、分量の都合もあるので3つに絞る。

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高田馬場駅。下落合駅まで徒歩15分くらい

1つめの理由は、アクセスの良さ。

西武新宿線に乗れば、高田馬場駅に2分。西武新宿駅までは6分である。乗り換えを含めて、JR新宿駅まで13分、池袋駅まで11分、渋谷駅まで20分、恵比寿駅まで22分で着く。

下落合駅から高田馬場駅まで歩けば、だいたい15分くらい。頑張れば歩いて目白駅にも行ける。ほぼ山手線沿いである。

事実私は、下落合駅の付属物のような部屋に住んでおきながら、伝わりやすさを理由に「高田馬場の近くに住んでいる」と虚偽すれすれの申告をしたことが何度かあった。「ほぼ山手線沿い」であることを実感するために、山手線を1人で歩いて一周したこともある。11時間半ほどかかった。

2つめの理由は、部屋の広さ。

部屋は安いわりに1DKで30平米あり、所有物の大部分を占める本たちも収まりそうだった。

東京に出てきて何年もたったけれど、いつまでも帰る家が存在しないような心持ちのまま、超長期の東京旅行者のように、あるいは精神的ホームレスのように暮らしていた私にとって、本は自分を私でいさせてくれる「重し」であり、バリケードの土嚢みたいなものだった。とても重くて邪魔なのだが、なければ困る。

思春期のころの私は、まるで自らの生存がかかっているかのようにCD、雑誌、ゲーム、そしてとくに本を収集し、貪欲に摂取した。それらは息苦しい学校や世間の目から逃れて、広い世界に接続するための数少ない手段だったから。

学校をサボって読み耽った本、古本屋で幸運にも手に入れた絶版本、忘れられない一節がある本、死ぬまでには絶対読みたい、超面白い(はずの)積読本……。それをすてるなんてとんでもない。私が帰って眠る場所は、私の本がある場所なのだ。

3つめの理由は、ごく単純に、ここで暮らすのは楽しそうだと直感してしまったこと。たくさんの不便があったとして、それがなんだというのだろう。選択の余地があるのなら、自分の住む部屋くらい自分の直感で決めたっていい。

本棚を4つ据え、カーテンを閉め切ってその部屋で暮らすことにした。私は負けない。そんな気持ちだった。

西武新宿線屈指の「人が降りない駅」

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下落合の好きなところは、大きな道路があること。川があること。公園があること。そして新宿区のパブリックイメージとは異なる、穏やかさがあることだった。

西武新宿駅から本川越駅までを結ぶ西武新宿線には、ぜんぶで29駅ある(拝島線を除く)。西武新宿線の年間乗降人員数を見てみると、2018年度の最下位は下落合駅である。というより、2006年からずっと最下位である。

2018年は高田馬場駅が1日平均305,741人、下落合駅が12,479人。およそ24.5倍である。隣駅なのに、どうしてそんなに開きがあるのか。

その理由は、高田馬場駅と下落合駅の距離が近いことにあるのかもしれないし、下落合の北側を占める目白エリアには富裕層が多いので、あまり電車移動をしないからかもしれないし、乗換駅である高田馬場駅の乗降客数が多すぎるせいかもしれない。はっきりとした理由は分からないけれど、しかし否定できない事実として下落合の駅前はえらくこじんまりとしていた。

穏やかすぎるほど穏やか

駅前はこじんまりとしていても、人はちゃんと歩いている。見かける人たちは老若男女さまざまで、地元のお年寄りや若いカップル、スーツ姿の人たち、まじめそうな学生など。

古くからの建物もあれば、新しくて綺麗なマンションもある。駅ビルや大きなショッピングモールはないが、マルエツプチ、どらっぐぱぱす、セブン-イレブンなどがある。歴史がありそうな喫茶店の珈琲山ゆり、牛のオブジェが目を引く加勢牧場 下落合店といった飲食店もあって、そんなに暮らしに困らない。

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珈琲山ゆり

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牛のオブジェが目を引く加勢牧場 下落合店

駅近くにはせせらぎの里というのんびりした公園と、大きなグラウンドやテニスコートを備えた落合中央公園がある。公園には、近隣のお年寄りや子どもたちが集まってくる。穏やかすぎるほど穏やかな街だ。

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せせらぎの里は落合水再生センター内にある

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せせらぎの里。かなりのんびりしている

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落合中央公園。弾力性のある球体を使った遊びに興じる子どもたち

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落合中央公園には大きなグラウンドがある

下落合には2本の川が流れている。神田川と、妙正寺川である。「落合」という地名は、2つの川が合流する場所であることから名付けられたという。神田川と妙正寺川が最接近するのが、下落合である。緑もある神田川、昭和の雰囲気がただよう妙正寺川。それぞれ趣が異なるので、散歩も楽しかった。

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妙正寺川

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神田川。春には桜も咲く

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新目白通り沿いにある氷川神社も名所のひとつ

下落合には赤塚不二夫がいた

私が落合という地名を知ったのは、『放浪記』『浮雲』などで知られる作家・林芙美子の作品からだったと思う。落合地域には戦前、プロレタリア文学者やアナーキスト、芸術家たちが集まる「落合文士村」が形成されていて、村山知義や檀一雄、尾崎一雄、宮本百合子、矢田津世子、尾崎翠といった文学者が住んだ。思想弾圧などでやがて散り散りになったが、林芙美子は生涯にわたって住み続けた。

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下落合の隣駅・中井にある新宿区立林芙美子記念館。当時の住居が保存されている

大正時代には画家・佐伯祐三のアトリエが中落合にあり、その敷地は佐伯祐三アトリエ記念館として現在も訪れることができる。戦後には推理小説の「三大奇書」の一つ、中井英夫の『虚無への供物』が下落合周辺で執筆されたらしい。

高田馬場には手塚治虫がいたが、隣の下落合には赤塚不二夫がいた。下落合駅から新目白通りに出て中井方面に向かうとフジオ・プロダクションがあり、黄金のバカボンのパパがほこらしげに輝いている。バカボン一家は中落合に住んでいるという設定だったし、赤塚不二夫は1979年に『下落合焼とりムービー』というタイトルの実写映画もつくっている。

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ひっそりと逆立ちポーズを決めてほこらしげに輝くバカボンのパパ

ビッグブラザーがあなたを見ていた1984年、命名された

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そのように数多くの創作物を生み落としてきた下落合周辺を、いままっすぐに貫いているのが新目白通りである。

新目白通りは日本がバブル景気の入口にあった1984年、ディストピア愛好家にとって特別な意味を持つその年から、今の名前で呼ばれている。新宿や池袋、高田馬場、新大久保といったにぎやかな街に囲まれているのに、この道では広々とした空を仰ぎ見ることができた。

道幅が広くて人通りは少なく、郊外と錯覚するほど。「新目白通り」という名前の印象からか、新しくて白いイメージがずっとあった。塗り残されて、永遠に新しいままの余白。

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私は夜、そこを歩きながらぼんやり考えごとをするのが好きだった。今日の夕飯について、仕事について、金銭について、過去や未来について、架空のユートピアやディストピアについて、その他いろいろ。当時はIngressをプレイしていたので、一帯が静かな戦場になることもあった。ランドマークの名前はだいたいIngressで覚えた。

疲れてなにも考えたくないときや酔っぱらったときは、見たもののイメージや言葉を自由連想で結びつけて、こねくりまわし、歩調にあわせて勝手にころころ転がっていくのにまかせた。当て字をしながら歩くのも楽しかった。「下落合」という地名には「死模王血愛」と当てた。そういう暴走族があったらいいなと考えた。私の脳裏を改造バイクで駆けめぐるモヒカンの無法者。新目白通りの余白はそれも受け入れてくれた。

そんなふうにして私は、よたよたとホーム裏の部屋に戻り、本に囲まれて身を潜めるようにして眠った。

東京旅行は終わらない

2年が経ち、部屋の契約更新が近づいた。いろいろ検討して、部屋を引き払うことにした。

理由はだいたい100個くらいあるのだが、おもな理由は建物の老朽化から来る水まわりの悪さだった。結局、2年間でこの部屋を訪れたのは大家と水道業者くらいのものだった。

部屋を引き渡す前日の夜のことを、よく覚えている。荷造りが終わり、防音カーテンをとりはずした窓から、駅のホームが視界に入った。閉め切ったカーテンのこちら側でイメージしていたよりも遠くに見える駅のホームは、眩しくて、親しげに見えた。人は少ないけれど、ちゃんとした、いい駅だな、と他人ごとのように思った。そう思った瞬間、私の一部分が、すうっと溶けた気がした。この部屋に戻ることはもうないのだと、私自身がそう決めたのだと、実感した。

引越し先は、目黒区の住宅地に決めた。山手線沿線で探していたら、たまたま格安の物件を見つけたのだ。そこに4年住んで、いまはまた次の街へ引越す計画を立てている。東京旅行は終わらない。

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当時住んだ部屋の窓から撮影した下落合駅

下落合再訪、そして

最近になって、何年かぶりに新目白通りを歩く機会があった。高田馬場と下落合のあいだにあるギャラリーのAlt_Mediumで、どうしても行きたい展覧会があった。

その時期、世の中では目を覆いたくなるような事件やひどい出来事が続いていて、私はすっかり気が滅入り、弱っていた。そんなとき、「これどうぞ」と同僚に差し出された展覧会のフライヤーで、眼前にぱっと光が差した気がしたのだ。大げさではなく、本当に救われた気がした。その展覧会は、和歌山在住の写真家・北田瑞絵さんの『inubot』展だった。すこしでも恩返しをしたい気持ちで、下落合へ足を運んだ。

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Alt_Mediumは私が引越したあと、2016年に新目白通り沿いにできたギャラリーである。写真家の篠田優さんと、ディレクターの白濱はるかさんが運営している。高田馬場から新目白通りを歩いてそこを訪れると、ホワイトキューブには北田瑞絵さんのホームグラウンドである和歌山で撮影した愛犬の写真たちが展示されていた。犬の抜け毛や、犬が拾ってきた木の棒がいっしょに並べられているのが可笑しかった。

北田瑞絵さんの写真や文章には、いつも朗らかなユーモアややさしさがあるけれど、同時に、視線の先にあるものたちが永遠には存在しないであろうという透明な予感がかすかにあって、惹きつけられる。北田さんの作品は、書籍『inubot回覧板』やSNS、「ESSE online」での連載でも見ることができる。

inubot回覧板

inubot回覧板

  • 作者:北田 ç‘žçµµ
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

展示作品の中に、フライヤーで見た写真があった。白や桃色の花々に囲まれて、柴犬がこちらを振り返って見つめている。おしりが丸見えである。犬は、早く行こう、先に進もう、と急かしているようにも見え、飼い主がなぜ立ち止まったのか確認しているようにも見えた。

犬のまなざしが宿しているのは、目に映るものこそが持つべき全てであるかのような世界への信頼だったし、瞬間を逃さず注意深くシャッターを切った撮影者には、たえまなく被写体に注がれていたであろうあたたかいまなざしが、愛情が、あったはずだ。視線はときどき愛である。そう信じて私は、かつてユートピアでもディストピアでもないこの街で本当に欲していたもの、その欠片を得た気がした。これでいいのだ。

 

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著者:佐伯享介

佐伯享介

青森県出身。2011年からCINRA.NET編集部所属。SFと文学と柴犬と猫が好き。

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編集:岡本 尚之