芦屋の洋館を見てモダニズムに暮らす|文・高殿円

書いた人:高殿円(たかどのまどか)

小説家。漫画の原作や脚本なども担う。2000年、『マグダミリア 三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞。2013年、『カミングアウト』で第1回エキナカ書店大賞を受賞。2024年4月には同人誌『98万円で温泉の出る築75年の家を買った』を刊行。

山と海のそば、支え合って坂を上がる小学生

六甲山のお膝元。古くは山城があったことから、いまでも「城山」という地名が残る。山から湧き出る豊富な水は滝となって急流を流れ落ち、あっというまに海へいたる。こんなにも山のそばにあって海を見て暮らせる場所は、ほかにはあまりない。そんな芦屋の土地で、私はもう10年以上暮らしている。

たゆたうように暮らしたいと思ったわけではないが、ここは明確な目的を持たずに居心地良く生きるのに良い場所だ。たとえば朝、起きて庭を見ると葉っぱがたくさん落ちている。ああ、きのうは六甲颪が吹いたからか。でも、おかげで空気が入れ替わってとっても良い気持ちだ。

ゴミを出す時間には、街のどの角でも小学生たちのにぎやかな声がひびいている。列をなしてライト坂のさらに上の山手小学校へ向かうのはよくある街の風景だが、とくに四月はちょっとしたさわぎも起こる。新一年生が急なライト坂をランドセルをしょってあがることができず、心が折れてしまう事件が続出するのだ。

こんなときのために六年生の班長さんが、一年生のランドセルを押す。「さあがんばろう」「だいじょうぶ、いけるよ」。かつて我が家の息子もこの坂を上るのがいやで、半年は小学校まで付き添った。思い出深い坂。べそをかいてしゃがみ込む息子の手を引いて、ぜいぜい言いながら梅雨も夏も歩いて上がった坂。

やがて息子は六年生になり、息切れもせずに走って坂を上がるようになり、お隣の新一年生の娘さんのランドセルを押しては「さあ行こう、いっしょに。大丈夫!」と声をかけていた。そんなお隣の娘さんは高校生になった息子をいまでも「班長さん」と呼ぶ。

川沿いでテイクアウトを味わう風情

小学生たちがわいわいがやがや登校していったあとは、引き波のように疲れた顔をしたお父さんお母さんたちが戻ってきて、芦屋の朝がはじまる。昔お屋敷街だった我が家のある一角はお年寄りが多く、朝も夜も静かなものだが、ほんの一本二本通りを隔てた場所には芦屋川が流れていて、暖かい日の週末にはくるぶしの高さもない川の水をもとめて地元の人々がやってくる。

その芦屋川沿いは、大正のころから名だたる財閥や富豪たちが大阪の船場(せんば)から居を移してやってきた高級エリアだ。そのころの洋館が衣替えして洋食レストランやカフェになっており、有名な「ダニエル」で珈琲とシュークリームを買って、素足を川に浸してちょっとひといき、なんてことができる。

息子が午前中に学校から帰ってくる日や、荷物が多すぎて自転車で迎えに来てもらうとき、駅前のマクドナルドで、あるいはコープでお弁当を、ベーカリーでパンを買って、よくこの川っぺりに並んで座って食べた。

彼が生まれる前、私は芦屋よりさらに利便性の良い西宮に住んでいた。28歳で小さい家を買って、そこでずっと暮らすんだと思っていたけれど、事情もあり思い切って引越した。大所帯の西宮とは違い、ここは小さな街で、流れる時間が息子のペースに合っていると思ったのだ。おかげでものすごいローンも背負ったし、がむしゃらに働いてしんどい思いもした。だけど、そのおかげで得るものがあった。自分のペースに似た時間が流れる場所へ移り住むことのメリットはたしかにある。

腕利きの料理人とパティシエが集う街

芦屋はちいさな街だけれど、おいしいものがいっぱいだ。富裕層が多く住まう街であるからこそ、名だたるホテルや名店で修業を積んだ料理人さんたちが、最初に店を出すのに適した場所だとも言われる。おかげでちょっとしたママ友とのランチも、ビジネス会食の場所にも苦労はしない。

とにかくおいしい料理に舌鼓をうちたいなら、ワンオペでまわるカウンターだけの店がおすすめだ。 たとえば、さくら通り沿いの『LE MACCHAN』さん。リーズナブルに量も欲しいという方は、おじいちゃんシェフがひとりで切り盛りする大盛り無料の老舗イタリアン『クッチーナ エ バール ジュリエッタ』さんへ。我が家には永久無限に食べる高校生がいるので、家族でおなかいっぱいおいしいものを食べたいときは決まってここだ。

食を楽しむなら、芦屋は芦屋でも阪神芦屋エリアに向かいましょう。芦屋川沿いにある芦屋仏教会館の外観を愛でながら六甲山からの風に背中を押され南下すると、川も平たく横幅も広くなっていく。海の近くの松林の先に、ゴシック風建築の「カトリック芦屋教会」が見えてくる。

ここの教会の聖人はマリア・マグダレナ・ソフィア・バラといってちょうどフランス革命のころに生きたフランス人。当時の女性としては珍しく高等教育を受けて育ちわずか20歳で修道会を設立。いわゆるスタートアップを成功させたキャリア女性の走りみたいな人だ。

86歳まで生きて熱心に奉仕活動にいそしんだ彼女は、子どもの保護と教育に特に力をいれていて、私が常々思っている、芦屋こそを女子スタートアップの聖地として売り出すべきでは、というプランにぴったりの守護者だ。この教会は1953年に竣工、建築家は神戸銀行協会や住友倶楽部などを建てた20世紀の名建築家長谷部鋭吉設計。長谷部鋭吉といえば住友出身の建築家で、住友商事の取締役まで務めた人である。

芦屋の洋館はこれだけじゃない。文化財に指定されているかわいい石造りの芦屋の警察署は一見しただけでは、教会?女学校?というくらいモダンなドームの旧庁舎。設計者の置塩章は県庁などをたくさん建てた人で、とくにネオ・ゴシック様式を愛したという。

歴史的建築とグルメのペアリングも楽しめる

そこから東へ向かうストリートは、芦屋でもとくにおしゃれでおいしい一角だ。ふらりふらりと足を延ばし、洋館と川の景観を楽しんだら次はお買い物へとまいりましょう。

「アンリシャルパンティエ」の本店を皮切りにケーキ屋さんも数多いこのストリート。パティスリーなのに 木・金・土しか生菓子を売っていない「ポッシュ・ドゥ・レーヴ芦屋」さんは、和三盆サブレが人気。とくに大桝公園周辺はパティスリーの激戦区。私のおすすめは昔から「エレファントリング」さん。バームクーヘンのお店だけどここのトフィーが大好き。パッケージもとにかくかわいいのでグッズまで集めてしまいそう。

旧逓信省芦屋別館の「芦屋モノリス」は、内装も外観も阪神モダニズムを代表する美建築だ。普段は結婚式場だけれど曜日限定でランチを楽しむことができる。こちらでランチをいただいたらじっくり見て回ることができるから、ぜひ古い写真がたくさん飾られた階段や、昭和5年当時から女性トイレが男性と同じだけの広さがあったという働く女性のためのパワースポットを楽しんでみてほしい。

今日はちょっとおいしいパンが食べたいな、という日もあるだろう。フランスバケットの普及に力を尽くした「ビゴの店」でバゲットサンドを買うのもよし。あるいは週末になると一週間分のパンを買いにくる客で小さい店内がひきしめきあうドイツパンの名店、「ベッカライビオブロート」さんもある。レストランで楽しむランチもいいけれど、私は小さな公園でこういうパン屋さんのパンを買って、ベンチでひとりぼうっとするのも大好きだ。

阪神本線打出の駅の周囲はお手頃なアンティークショップが点在する街。「打出小槌町」なんていう金運のよさげな地名があるこの場所は、古くは神功皇后の軍が海へ打ち出て勝利を収めたことから名付けられたという。少し昭和の名残を感じるレトロ商店街を抜けて北上すると、昭和20年代に建てられた石造りの市営住宅をリノベーションしたおしゃれスポット「旧芦屋市営宮塚町住宅」がある。

ここは雑貨やティーショップなどレトロな外観や内装を生かした個性的なお店が入っていて、芦屋駅前とは思えない広い敷地にはレンタルファームが。定期的にフリーマーケットなども開かれており、緑のある居心地のいい場所だ。ちょうど私が芦屋に引越した頃この市営住宅の保存が決まった。こういう駅前の土地ほど取り壊して売ってしまうものなのに、きちんと議員が動き保存と活用の方向に舵を切ったのは、住民として所属する地方行政を信頼できる点だった。

芦屋にある洋館で外せないのは「旧松山家住宅松濤館」。現在は芦屋市立図書館打出分室として市民に愛されている。ぎっしりとした蔦と苔の緑に覆われた重厚感ある外壁が印象的な銀行建築で、芦屋で幼少期を過ごした村上春樹をはじめ、明治の文豪たちも多く住んだこの街は物書きやアーティストのすみかにぴったりだと思う。  

ランチをとったら図書館でゆっくり本を読んで、旧芦屋市営宮塚家住宅でカフェタイムもいいし、アンティークショップで掘り出し物の雑貨を探したり、お散歩を楽しむのもいい。JR芦屋駅前にはユニクロや無印良品、大丸の入った駅ビルがあるから、手に入らないものはほぼない。その日の買い物を終えてリュックに夕飯の素材をつめこみ、健康のため歩いて帰路につく。夕方前の芦屋川はちかくのバレエ教室へ向かうまとめ髪のかわいい小学生や、山の上のキャンバスから戻ってきた大学生たちで賑わっている。

歴史を大切に、進化していく芦屋

やがて、山からの風がほんの少し冷たくなり、川そばのレストランに明かりがともるころ、我が家のメンバーもそれぞれの出先から帰宅して、お風呂や夕飯の準備など家の中が慌ただしく動き始める。

芦屋の大部分は住宅地だけれど、阪急神戸線芦屋川駅前の「芦屋山手サンモール商店街」は、最近地元の若い人たちが古い長屋商店街をリノベーションしてレンタルキッチンにしたり、ロンドンパブが店舗を大きくしたりと新陳代謝がさかん。その中で異彩を放つのが谷崎潤一郎著『細雪』に「櫛田医院」のモデルとして登場する「重信医院」。小児科の先生には我が家もほんとうにお世話になった。山小屋風のハーフティンバーの外観がすばらしい大正時代の建築はまだまだ医院として現役だ。

このあたりは、夜にふらっと飲みに入れる店が増えてきたことでますます居心地がよくなってきた。仕事で遅くなった夜も、山手幹線沿いでは若い女性がランニングしているし、犬連れのお年寄りが桜の下で立ち止まり、また数歩歩いては立ち止まって花を見上げている。この街では自分のペースで流れる時間がくるぶしまでしかない浅瀬の川の水のよう。

ありがちな願いだけれど、いつかこのあたりのお店に、成人した息子と一緒にこれたらいいと思う。また芦屋川の水に足を浸しておいしいパンを食べよう。犬と一緒に、子どもと、あるいはひとりでも。

見上げれば六甲の山の峰、灘の酒造家・八代目山邑太左衛門氏の別邸として帝国ホテルで名高いフランク・ロイド・ライトが設計した「ヨドコウ迎賓館」の屋根が見える。マイペースな一日を終えたら、またすぐ山と海に囲まれたこのちいさな街に、ライト坂を小学生たちがにぎやかに上がっていく朝がやってくる。

著: 高殿円  写真: 出合コウスケ

編集:小沢あや(ピース株式会社)