遠回りするからこそ、とっておきの景色が見られる街・鹿児島県阿久根市|文・小川紗良

著: 小川紗良

水平線へ沈みゆく夕陽を、ただじっと見届ける。そういう時間を過ごしたことのある人が、この忙しない現代社会で、いったいどれほどいるだろう。仕事や、家事や、日々のあらゆるタスクを一旦放り投げてでも、見届けたい夕陽がある。「すみません、ちょっと夕陽がきれいだったもので」。そんな言い訳を、受け止めてもらえるようなゆとりがある。

この島国で、海や夕陽がきれいな町なんていくらでもあると思うだろう。それは実際にそうなのかもしれないが、鹿児島県阿久根市で見る夕陽には、やはりなにか他とは違う奇跡めいたものを感じてしまう。水面できらきらと連なる光の粒子たちが、次第に空との境を失って、気づけば残像を映したように星々が灯る。

便利ではなくても、人々の営みに惹かれて

子どものころの私にとって、阿久根は長期休みにたびたび帰るのどかな田舎町だった。国道線沿いを走る車の後部座席で窓を開け放ち、だだっ広い海を眺めながら潮風を浴びる。トトロにでも出会えそうな茂みをくぐり抜け、お墓参りをする。港でおじちゃんたちの競りを見て、工場でおばちゃんたちとイワシに串を通す。山でタケノコを掘り、川で水遊びをして、畑で野菜や果物を採り、しょっぱい温泉で温まる。阿久根に縁があったおかげで、東京で生まれ育った割に自然と触れ合いながら育った。

「自然が豊か」という以上に阿久根の魅力を感じ始めたのは、2016年・20歳のころ、阿久根で映画を撮ったことがきっかけだ。そのころの阿久根は、Uターンや移住をしてきた人が増え始め、地域資源に新たな価値を見出そうという機運がじわじわと高まっていた。

そのタイミングも相まって、「映画を撮りたい」と突然連絡をした私の思いを受け止め、協力してくださる人たちがいた。2019年に再び阿久根を舞台に映画を撮り、2021年にはフォトエッセイの撮影も行った。車の免許をとり、自分の活動拠点を立ち上げた今では、様々な理由をつけて年に5回以上通っている。

鹿児島空港から車で1時間半、決して便利とは言えないその場所に、どうしてそこまで惹かれているのか。そのわけは、自然や食の豊かさ以上に、そこで暮らす人々の営みにある。

伝統のイワシ漁を、未来へとつなぐ「イワシビル」


阿久根の特産物といえば、まずはやっぱり海の幸。なかでもイワシ漁が昔から盛んで、地域には丸干しをつくる業者がたくさんあった。しかし時代とともに消費者の嗜好も変わり、塩干業は衰退。漁師さんたちの後継者不足も深刻化し、獲れる魚の量も減っているという。

そんななか、2017年に阿久根の市街地でオープンしたのがイワシビルだ。ビルを一棟丸ごとリノベーションし、1階にカフェとショップ、2階に工場、3階にホステルが入っている複合施設である。インテリアとして、港でイワシが入っていたトロ箱を再利用していたり、壁面に魚介類のイラストが描かれていたり、居心地の良い空間のなかにも阿久根らしさが詰まっている。


宿泊者用の朝食のメインは、もちろんイワシ。これが何度食べても感動的な美味しさで、イワシや焼き魚に馴染みがない人でもきっと虜になるだろう。お土産の定番「旅する丸干し」は、現代に合う形で丸干しを届けようと開発されたオイルサーディンで、世界各国を旅するような4種の味を楽しめる。イワシビルを運営する下園薩男商店は、老舗の丸干し屋だ。Uターンをした現社長が地域資源にひと手間加えながら、新たな価値を見出そうと模索している。

海底からテーブルへ、水中銃漁師による「ドライブイン潮騒」


海が近いからこそ、阿久根ではいつも新鮮な魚を味わえるが、なかでも究極的な店がある。日本三大急潮である黒之瀬戸海峡をのぞむ、「ドライブイン潮騒」。日本で唯一となった、水中銃漁師が営む店だ。店主自ら、ほぼ毎日水深50mまで潜り、水中でしとめた魚を水中で捌くという驚きの手法で、新鮮すぎる魚を提供している。


ここで食べる刺身の弾力がものすごく、どんな財力があっても他では味わえない贅沢さがありながら、これが普通の定食価格で出てくるのである。現在新たに水中銃の資格を取ることはできず、店主は最後のひとりだという。早く、情熱大陸かプロフェッショナルで取り上げてほしい。70を超えても現役で、鍛え上げられた体を見るたびに、なんだかこちらまでエネルギーがみなぎる。食べられるうちに食べておくべき、ここにしかない味がある。

特別な日に、ひと皿の解像度が上がる「日本料理まつき」


ちょっと特別な日に海の幸を味わうなら「日本料理まつき」がおすすめだ。完全予約制のコース料理で、大将自ら目の前で魚を捌いてくれる。


その時々の旬の食材によってメニューが変わり、自家製のカラスミなんかも楽しめる。大将の魚に対する情熱や知識が深く、豆知識もたくさん聞けるので、ひと皿ひと皿の解像度が格段に上がる。「歯ごたえは生きた証」と話すように、捌きたての魚介は身が引き締まっていて、命をいただくありがたみを感じる。

地域の食卓と心のよりどころ、「武宮鮮魚店」


暮らしのなかで魚介を楽しむなら、やっぱり鮮魚店だ。港町の阿久根でも、時代の流れで残った鮮魚店はただひとつ。国道沿いにぽつんと「武宮鮮魚店」が建っている。朝方に仕入れた魚がずらりと並び、店主のおばあちゃんが魚のことをなんでも教えてくれる。

金額を指定しておまかせで注文すると、いつも明らかに金額以上の刺し盛を出してくれる。魚のことだけじゃなくて、その日の天気とか最近あった出来事とか、なんでもない世間話をするだけでも落ち着く。スーパーは便利だけど、やっぱり小さな専門店で買い物をすると心が安らいで、食材への愛着もグッと増す。

立ち上がるボンタン農家たち、「Bプロジェクト」


打って変わって、山の幸も欠かせない。阿久根は柑橘類がたくさん採れるが、なかでも有名なのがボンタンだ。懐かしのお菓子「ボンタンアメ」のボンタンは、実は阿久根で生産されている。冬になると温泉にぷかぷかとボンタンが浮かぶ様子もみられ、浴室が爽やかな香りで満たされる。

しかしそんなボンタンも、やはり農家の後継者不足が深刻化している。そのなかで、最近あるプロジェクトが立ち上がった。その名も、Bプロジェクト。BはもちろんボンタンのBだ。地元のボンタン農家4人によって、農家の面白さやボンタンの魅力を伝えようと結成された。

Bプロにより初めて製品化されたのが「ボンタンサイダー」。ボンタンそのものの甘みを活かしたすっきりとした味わいで、微炭酸なので子どもも楽しめる。さらに最近では「ボンタンコーラ」を開発したり、冬には全国の銭湯にボンタンを送り「ボンタン湯」を開催したり。Bプロの並々ならぬ熱意が、少しずつ広がりを見せている。

愛を糧に、無農薬のぶどうを栽培する「落合ぶどう園」


愛の力で偉業を成し遂げる農家もいる。「落合ぶどう園」は、夫婦ふたりで無農薬・無化学肥料のぶどうを栽培している。日本のスーパーではまず、無農薬のぶどうを見かけることはない。また近年は種無しぶどうが主流となり、種のあるものすらも見なくなった。

そんななか、落合ぶどう園では自然の力を活かし循環を育みながら、種のあるぶどうをつくり続けている。農薬を使わないということは、手作業で虫や病気を防ぐということだ。蒸し暑いビニールハウスで毎日何時間もかけて行われるその作業は、想像を絶するほど地道である。


どうしてそこまでして無農薬にこだわるのか尋ねると、「健二くんのことが大好きだから」と妻の里砂さんは答える。元々看護師をしていた里砂さんは、夫の健二さんのぶどう園に嫁いできたとき、生産者が最も農薬による健康被害を受けるということを憂いた。大好きな人とできる限り長く一緒にいたいという思いで、そこから無農薬に切り替えて、試行錯誤を重ねて今に至る。

愛の結晶とも言えるそのぶどうは、本当に甘くて、優しくて、美味しい。もともとサーフィン仲間として出会ったふたりは、アクティビティ体験のガイドや、環境保護のためのビーチクリーン、阿久根に産卵に訪れるウミガメの保護活動も行っている。無農薬にしたことで収穫量は減ったというが、その分他にできることも増えて、以前より充足感があると話す。生産性や経済力ばかりではなく、豊かさはもっと別軸にこそ存在するのだと、ふたりの姿から学んだ。

120年以上の歴史を誇る、研究熱心な「大石酒造」


九州といえば焼酎だが、阿久根にも面白い酒蔵がある。120年以上の歴史を誇る「大石酒造」は、こだわりの味を守りながら新たな開発にも挑み、未来へ続く焼酎をつくり続けている。5代目である現社長は研究熱心で、昔ながらの素材や製法の焼酎を現代に甦らせている。


70歳を超えても、現場に立って細かな点検や掃除を欠かさない姿に、焼酎づくりに対する真心を感じる。またその娘さんご夫婦は、デンマークで10年間、医療の研究に携わっていたところからUターンで戻り、焼酎の技術を受け継いでいる。海外経験が長いからこその発想で、新たな商品開発や発信にも積極的だ。酒蔵というよりは研究室のようなわくわくする空気が、酵母とともに蔵を満たしている。

地域の人も観光客も猫も、みんなが集う「港町珈琲焙煎所」


最近の阿久根には、地域の人も観光客も集えるような憩いの場が増えている。そのひとつが、阿久根駅のほど近くにある「港町珈琲焙煎所」だ。古民家をリノベーションした空間で、阿久根の海を連想するような青いタイルが敷き詰められている。


自家焙煎の美味しいコーヒーや、鮮魚をふんだんに使ったフィッシュサンド、地域の素材にこだわったスイーツなどが楽しめる。度々アートの展示やフリーマーケットなどイベントを行っていることもあり、様々なカルチャーが交わるスポットにもなっている。地域の猫も訪れるようなのどかさと、文化的な香りが共存するカフェだ。

のんびり穏やかな時間を過ごせる「ともまち珈琲」と「うみまちテーブル」


穏やかな海にぽっかりと浮かぶ小さな島を、ゆったり眺められるカフェもある。Uターンしてきたご夫婦が営む、「ともまち珈琲」だ。


オーガニック・フェアトレードの生豆を自家焙煎したコーヒーや、自然栽培のフルーツを使ったフレッシュジュース、日によっては本格スパイスカレーなんかも楽しめる。ここに行けば誰かしら素敵な人に出会えるというくらい、穏やかな空気が人々を惹きつける。潮の満ち引きで全く異なる景色の変化をぼーっと眺めながら、ついつい長居してしまう。


ともまち珈琲のそばで度々出店しているキッチンカー、うみまちテーブルもおすすめだ。地域の有機野菜やジビエの食材を活かして、体にも心にも優しくしみわたるお弁当をつくり届けている。月に数回、各地で出店しているそのお弁当にタイミングよく出会えると、旅がいっそう心地いいものとなる。

ありきたりではない、自分だけの体験が記憶に残る街


他にも、アキノ染色工芸、わらべ工房、ハモニカン、そうめん流し大野庵、うとさんち、クーパーミニ、道の駅阿久根、より処“きてん”、Collina del Mare、JUNK SURF COFFEE、和食処まきや、太郎寿司、ぼんたん湯、きみよし温泉、やきとり大利根、阿久根めぐみこども園など……魅力を語りたいところは山ほどあるのだが、収まりきらなかったので今回は名前だけ紹介させていただく。


とにかく、阿久根には特筆すべき点が多すぎる。小さくともこだわりを持って営まれている個人商店や、地域の資源や文化を活かしたコミュニティがあって、それらがつながりあって循環している。こういう田舎町って、案外なかなかないと思う。ただ自然や食が豊かなのではなく、そこに根付いた人や文化が生き生きとしているのだ。

そのうえ、穴場というのがまた良い。程よい人の出入りがありながら、自分だけの体験を重ねることができる。だからこそ阿久根で見る夕陽には、ありきたりではない特別なものを感じるのだと思う。

わざわざ行こうと思わなければ、きっと辿り着けないであろう町、阿久根。その遠回りをしてみるかどうかで、人生が変わるとまでは言わないが、少なくとも人生で記憶に残る美しい夕陽の数は増えるだろう。

著者:小川紗良

1996年東京生まれ。文筆家、映像作家、俳優。J-WAVEのラジオ番組「ACROSS THE SKY」のナビゲーターを務める。出演作にNHK連続テレビ小説『まんぷく』やドラマ『湯あがりスケッチ』、監督作に映画『海辺の金魚』、執筆作に小説『海辺の金魚』やフォトエッセイ『猫にまたたび』などがある。2023年3月に表現活動の拠点として「とおまわり」を設立した。

編集:小沢あや(ピース)