The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

魔法vsニューヨーク ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

 世はまさに前日譚ブーム!今月はスターウォーズの「エピソード4あらたなる希望」の前日譚「ローグ・ワン」が公開されたし、そもそもスターウォーズのEP1〜EP3は旧三部作の前日譚だった!(昔、エピソード3公開前に友人にエピソード4〜6の話をしたらネタバレすんな!って怒られた経験があるがそんな理不尽な!って思いましたよ)
 今回は「ハリー・ポッターと死の秘宝」で大団円を迎えた「ハリー・ポッター」の前日譚。最初に予告編を見た時はあんまりおもしろそうじゃなかったんだけど、徐々に内容が明らかになっていろんな魔法生物が出てくるに至って凄い面白そうな作品と思うまでになって、そして実際面白かったのでありました。「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」を観賞。

物語

 1926年、ニューヨークにやって来たニュート・スキャマンダー。彼は多数の魔法生物を所持していて、渡米の目的はある魔法生物を元いたアリゾナの地に返すこと。しかし銀行前で魔法生物の一匹ニフラーが逃げ出してしまったことを発端にノー・マジ(マグル)であるジェイコブ・コワルスキーと知り合い、さらにアメリカの魔法省マクーザのディナに捕まってしまう。一方そのころニューヨークでは謎の生物に拠る事件が相次いでおり、スキャマンダーもその原因ではないかと疑われるのだが…

 一口に「前日譚」と言ってもおおまかに2種類あって、明確にその後の物語とつながっていて、そのつながりや後日談だけでは明らかにされなかった事実を発見して楽しむタイプの作品と、一応前日譚ではあるのだが、様々な要素から必ずしも先に発表された(時間軸的に)後の物語とつながらない可能性がある作品とに分けられるだろう。例えば「ホビット」は「ロード・オブ・ザ・リング」の前日譚だけどきちんと話がつながり歴史としてひとつながりになっている(もっとも映画化だと「ホビット」が前日譚と言う形になっているけれど原作は普通に「指輪物語」が「ホビット」の続編なんだけれど)。
 一方で「X-MEN ファースト・ジェネレーション」なんかは当初は2000年の「X-MEN」の前日譚だったのだけれど「フューチャー&パスト」でタイムトラベルの要素が加わることで結果として別時間軸の物語となった。
 ここ最近僕が熱中していたテレビドラマ「GOTHAM/ゴッサム」はバットマン登場以前、ブルース・ウェインが両親を眼の前で殺されたところから始まる犯罪ドラマ(なんだけど、シーズン2はかなり伝奇的要素が強くなっている)。様々な有名キャラクターの「〇〇になる前」の姿が出てくるが、これ時代設定としてはあくまで現代なので、「バットマンが登場する以前」と言うより、「後々バットマンが登場するかもしれない(しないかもしれない)世界」の物語として楽しんだほうが良いだろう。
 さて、今回の「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」は「ハリー・ポッター」シリーズの前日譚。とは言っても「ハリー・ポッター」本編に直接関わってくる前日譚と言うよりあの世界の「ハリポタ」以前に起きた別の話、という感じ。とはいえ見知った名前も出てきます。
 監督は「死の秘宝」はじめ、シリーズ後半を手がけたデイビッド・イェーツ。重厚さはそのままに今回は明るさ(ハリポタも最初の2作は明るかったが、残念ながらその頃は作品の質はよくなかった)もあって、また基本的に1作目だけあってしがらみがあまりないので素直に楽しめる一作となっている。
 後は風俗ですね。魔法使いの風俗とマグルの風俗がそんなに乖離していない。「ハリー・ポッター」シリーズでは基本的に物語の冒頭にちょっとだけ出てくるマグルの世界だが、普通に現代なので古風な魔法使いの世界とちぐはぐというか(ある意味では別世界であると言う切り替えができたが)違和感のある部分はあったのだが、本作では時代的なものか、この2つの世界がほぼ変わらぬ風俗で描かれている。本作は人間の世界がメイン舞台であり、そのへんでも当時のニューヨークに入り込んだような気持ちになれて良かった。
 
 元になっているのは主役であるニュート・スキャマンダーがのちに書き上げたという書籍「幻の動物とその生息地(英語原題が「FANTASTIC BEASTS AND WHERE TO FIND THEM」で映画の原題と同じ)」(日本でも限定版として発売されたらしい)。ただこの書籍はタイトルから推測できるように生物図鑑のようなものなので物語とはいえない。ハリー・ポッターと同じ世界の物語という意味では原作物だが、本作自体はオリジナル脚本。しかし、そのオリジナル脚本を手がけているのは原作者のJ・K・ローリングその人で多分映画の脚本は初(しかも単独脚本)。舞台用の「ハリー・ポッターと呪いの子」も絶賛されているようだし多分映像化など視覚で見せる時のやり方がよくわかっているのだろう。この作品は2時間ちょっとのいわゆる一般的な劇映画の上映時間に上手く物語を納めるお手本みたいな映画だと思っていて、いくつかの物語が終盤に進むに連れて大きな一つの物語に収束していき、観客を上手く別の視線に誘導しておいて驚かせたり伏線の張り方も上手い。とても丁寧に作られていると思う。
 本作の舞台は1926年のニューヨーク。第一次世界大戦後の好景気で様々な高層ビルが建ちはじめ、現在の我々の知るニューヨークの基が出来上がっていった頃。まだ人類の科学技術も自然に勝ちすぎず負けすぎず、程よく調和が取れていた頃ともいえるか。ニューヨークの高層ビルといえば1933年の「キング・コング」のクライマックスの舞台となったエンパイアステートビルだが、このビルは着工がこの「ファンタスティック・ビースト〜」の物語の数年後となる1929年3月。1931年には竣工したという急ピッチで建設が進められたが、その頃には世界大恐慌(1929年10月〜)が始まっていて、せっかくのビルには空き室が多かったという。本作でも建築中の高層ビルなどが出てくるが、そういう意味ではニューヨークが世界恐慌で荒ぶ直前の一番良い時期を舞台にしたともいえるだろう。新セーラム救世軍による孤児たちへの食事の提供であるとか、あるいは魔法使いとマグルの間に緊張が漂っているなどの描写は来るべき世界大恐慌(そしてその後に待っている第二次世界大戦)への暗示ともいえるかもしれない。

 本作の主人公はニュート・スキャマンダー。魔法生物のスペシャリストで兄は英雄。ホグワーツでは問題児でありながらダンブルドアのとりなしで退学は免れた男。演じているのは「レ・ミゼラブル」のマリウスことエディ・レッドメインで、「レ・ミゼラブル」の時はなんでこいつが女からモテモテなのだ?と思ってしまうほどふにゃふにゃだったのだが、本作ではそのふにゃふにゃ具合は健在ながら要所要所で見せる決断力と人懐っこい表情で愛すべきキャラクターとなっている。ただ、僕が「レ・ミゼラブル」の時に思った、みなもと太郎の描くところの吉田松陰or沖田総司顔って印象は変わらず。なんなら他のキャラクターも程よくデフォルメが効いているので是非みなもと太郎にコミカライズして欲しいなあ。

完全版レ・ミゼラブル (fukkan.com)

完全版レ・ミゼラブル (fukkan.com)

 とにかく主人公が魅力的に描かれているので見ててイラッとしないです。主人公の行動に客が自信を持ってついていける。

 シリーズを通して初のマグル(ノー・マジ)のメインキャラクターとなるのがジェイコブ・コワルスキーで彼は第一次世界大戦で欧州で戦い、復員後缶詰工場で働いているパン屋を夢見る男。彼とスキャマンダーの出会いが物語の発端となる。このコワルスキーさんが外見は太った中年のオジサンと言った具合で決して見栄えのする容姿ではないんだけれど、とても魅力的。ちなみに銀行でコワルスキーが戦争に行っていたことを話す際にスコップで掘るジェスチャーをするんだけれど、これは欧州戦線で塹壕掘りに従事した、ということで、もうこの掘る仕草だけで第一次世界大戦だと分かるぐらい第一次世界大戦塹壕というイメージが付いているんだなあ。
 ハリー・ポッターの世界では魔法使いじゃない人をマグルと呼ぶのだけれど、これはいわばイギリス英語でアメリカでは「ノー・マジ」ということが判明。マグルと言う言葉はシリーズで馴染みがあるが、この「ノー・マジ」という言葉はおそらく初出。単純に「NO MAGIC」ということだと思うけれど、「NO」の言葉が入っている分語感が強烈で、また耳慣れない分いわゆる差別用語感が強い。このマグルの存在が決定的に人種的なものなのか映画だけではよくわからないがこの時代、魔法使いと、マグルの結婚が禁止されていたりと後の時代に比べ人種間(とあえて使う)の緊張が高まっている描写がある。そんな中でコワルスキーさんの存在はその両者を繋ぐ役割を果たしていたりする。演じたダン・フォグラーの魅力と相まってこの緊張の時代にスキャマンダーがジェイコブと会えたのは幸運だったといえるだろう。ハリーの叔母夫婦とか従兄弟とか嫌なやつでしかなかったもんな。

 マクーザアメリカ合衆国魔法議会)に務めるヒロインがキャサリン・ウォーターストン演じるティナ・ゴールドスタイン。真面目だけどちょっとおっちょこちょいな当時はまだ珍しいキャリアウーマンといったところで時代設定的に「スーパーマン」のロイス・レーンの影響を受けた、でもロイスの先駆けともいえるような存在。妹のクイニーに比べると地味系であるが笑顔は素晴らしい。ジェイコブとクイニーと違ってスキャマンダーとの関係は友人止まりといったところだが、共に人付き合いが苦手っぽい男女でそのぎこちなさが見ていて微笑ましい。
 そのほか情報屋をやってるギャングみたいな妖精をロン・パールマンが演じている。身体は小さめで声とモーション・キャプターでの出演なのかな、とおもうけど間違いなくロン・パールマン。彼の会話がいちいちハードボイルドものの定形みたいな感じで楽しい。このへんの描写は禁酒法下のアメリカが魔法使いの世界にも影響を及ぼしているんでしょうかね。
 マクーザの議長ピッカリーは黒人?の女性だったり魔法使いの世界では当時すでに人種差別や男女差別はある程度解消されているらしいが一方で、ノー・マジに対する態度は差別的であったり、のちの純血主義につながる芽も見受けられる。

 いわゆる敵役となるのは、コリン・ファレルが演じるパーシバル・グレイブス。マクーザの闇祓いの長官で、暗躍する。最も終盤までその真意は不明であるのだが、彼の過激な主張はある意味で共感も覚えてしまう。グレイブスの意外な正体は後述。
 魔法使いを敵視する新セーラム救世軍のメアリー・ルー。彼女は具体的に魔法使いのことを知っているのか、ただ単に「魔女」として憎悪しているのかよく分からないが*1、いわゆる厳格なピューリタン的なイメージで造形されていて、また養子を虐待していることで本作の中では一番の悪役という印象を受ける。その養子であるクリーデンスは常にオドオドしているが、実はグレイブスの密偵?として魔法使いになることに憧れている。彼が大きな物語のキーパーソンとなるのだが、演じるのはエズラ・ミラー。過去に観た彼の出演作での姿とあまりに違ったので最初は似てる別人かな?と思ったほど。彼自身は「ハリー・ポッター」シリーズによって救われた、というぐらいのファンだそうで、クリーデンスにエズラ・ミラー自身を重ねて彼の救済の物語という見方もできそうだ。

 後はスキャマンダーが所有する魔法生物たちですね。いずれも魅力的で大きさも容姿は様々なれど愛らしい存在。その中でも僕のイチオシはニフラー。カモノハシに似た生物で金貨などピカピカ光るものに目がない。勝手に逃げ出して物語の発端を開くが決して憎めない。「ハリー・ポッター」シリーズも最初の頃はCGによる生物が全然可愛らしくなくて(当時のドビーの人気が理解できず)駄目だったが、本作に出てくるCG生物は皆魅力的です。
 本作の要となるのはニューヨークの町で暴れるオブスキュラスという魔法生物を巡る物語で、このオブスキュラスは魔法使いの子供の身体に出現。その子供はほとんどが10歳までに死ぬ、というもの。このオブスキュラスとその大元となっているだろう子供を巡る物語が主軸となる。このオブスキュラスは基本的には黒い触手っぽいものの周りを白い膜で包んでいる、という感じの半透明な不定形生物なのだが、これがH・P・ラブクラフトの「ダンウィッチの怪」を思わせた。「ダンウィッチの怪」に出てくるウィルバー・ウェイトリーは人間の母と邪神ヨグ=ソトホースの間に生まれた子供で常人をはるかに凌ぐ速度で成長するが姿はまだ人間である。彼の双子の弟ははるかに父に似ていて、全身触手だらけで兄の死後大暴れするのだが、なんとなくオブスキュラスの暴れっぷりにそのウィルバーの弟を想像してしまったのだ。あるいは途中で登場するグラップホーンという魔法生物がちょっと顎から触手が生えているようなクトゥルフを思わせる容姿だったからかもしれない。「ダンウィッチの怪」が書かれたのは1928年だが、このニューヨークで起きた事件が何らかの形でラブクラフトに影響を与えて…とか想像すると楽しい。

ラヴクラフト全集〈5〉 (創元推理文庫)

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 映画の冒頭から名前が登場し、劇中でも度々出てくる悪の魔法使いがグリンデルバルド。ヴォルデモート卿以前に最も悪かったとされる魔法使いですでに「ハリー・ポッター」の方にも晩年の彼が登場していたそうなのだが、そっちはちょっと覚えていない。ヨーロッパで悪行三昧のあとアメリカに逃亡したとみられていて、本作の最後で実はグレイブスに化けていたということが明らかになる。そのグリンデルバルドを演じているのはなんとジョニー・デップ!このコリン・ファレルと思ったらジョニー・デップだった!というのは「Dr.パルナサスの鏡」で主演のヒース・レジャーが撮影途中で急逝したため、コリン・ファレルジョニー・デップ、そしてジュード・ロウの3人が鏡の中ヒースを演じた、というのを想起させる。多分グレイブスはグレイブスで別にちゃんと存在していて、グリンデルバルドは彼を殺したか何かして彼の経歴を乗っ取ったのだと思うので、もし生きていればコリン・ファレルの再出演もあるかも。ジョニー・デップのグリンデルバルドがシリーズを通しての敵役となるのだと思うけれど、こうなるとジュード・ロウの出演も待たれますね。 本作ではそのグリンデルバルドはじめ幾つか見知った名前も出てくる。代表はダンブルドアでこの時点ではまだホグワーツの学園長ではなく一教師の模様。今後若いころの姿が見れるかも。スキャマンダーさんが学生時代にいろいろあったらしい女性がリタ・レストレンジ。劇中では写真だけ出ていて(ゾーイ・クラヴィッツ)どうやらスキャマンダーの想い人らしいが今は別の道を歩んでいるらしいことが示唆。クイニーからは「彼女は”奪う人”よ」と言われていた。レストレンジという姓はシリーズではシリウス・ブラックの従姉ベラトリックス・レストレンジがあって、彼女はブラック家からレストレンジ家に嫁いでいるのでリタとは直接血縁関係はなさそうだが、ベラトリックスの夫はじめレストレンジ家の面々は死喰い人としてヴォルデモート卿に付き従っていたので、どうやらリタ・レストレンジも悪の魔法使いの道に進んだらしいことが推測できる。彼女も続編で出てくるか?

 本作は何作か予定されているシリーズの一作目ということなのだが、特にあからさまな続編への含みもなく物語自体はきちんと完結している。長い時間をかけて構築した「ハリー・ポッター」の世界が先にあり、観客の殆どはぞの世界観を了解していることを前提に、でも新しいシリーズの1作目ということで物語は明るめに、ってことで本作は「ホビット 思いがけない冒険」と「ロード・オブ・ザ・リング」の関係に近い。今後物語が暗くなっていく可能性もあるが、それでも全体的に「ハリー・ポッター」ほどは暗くならないのではないのかと思う。なんなら「ハリー・ポッター」の原作読んでたらスキャマンダーさんはじめ一部の登場人物が今後どうなっていくのかすでに分かるそうですし。
 とにかく丁寧に作られた良質なファンタジー映画。キャラと物語と世界観の3つの魅力が一体となって多分誰が見ても楽しめる作品だとは思うし、「ハリー・ポッター」シリーズはいまいちだったという人でも本作は更に間口も広く受け入れられるのではないでしょうか。続編も楽しみ。超おすすめ!

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*1:僕は原作を読んでいないのでこのハリー・ポッターの世界については「よくわからない」とか「らしい」とかよく出てきます。がもちろんそんなことは知らなくても映画は楽しめます