The Spirit in the Bottle

旧「小覇王の徒然はてな別館」です。movie,comics & more…!!!

逆転マグニフィセント マレフィセント


 観たい映画は数あれど優先順位をつけて選択していかなければならぬ悲しい身の上。しかし観たい作品は必ずしも評価が高い作品ばかりでもないのである。今年は「アナと雪の女王」がおそらく興行収入第1位となるであろうが、そのディズニーが送る超代表作「眠れる森の美女」の悪役にしてディズニーヴィランを代表するキャラクター、マレフィセントを主人公としたアンジェリーナ・ジョリー姐さんの主演作「マレフィセント」を鑑賞。

物語

 欲望にまみれた人間の住む王国と妖精たちが仲睦まじく暮らすムーア国は隣り合わせでありました。ムーアの守護者マレフィセントは幼いころ人間の少年ステファンと出会いやがて恋に落ちます。しかし成長するに従ってステファンはマレフィセントから離れて行きました。人間の王国を治めるヘンリー王はムーア侵略を計りますがマレフィセントと彼女に助力する妖精たちの前に敗退し傷を負います。瀕死のヘンリー王はマレフィセントを倒したものに娘を娶らせ王国を継がせることを約束します。ステファンはマレフィセントと会い、逃げるように言いますが実はそれは罠でした。薬によって眠りに落ちたマレフィセントの翼をステファンは無残に奪います。ステファンはこれによって新しい王となるのでした。一方目覚めたマレフィセントは翼がなくなったことを知り絶望に打ちひしがれます。やがて人間に捕らわれたカラス、ディアヴァルを人間の姿に変え部下とするとステファン王への復讐を誓います。
 時が経ち、ステファン王に待望の娘が生まれます。ムーアからも3人の妖精が親愛の使者として訪れますがそこにマレフィセントが。彼女は生まれたばかりの王女、オーロラ姫に「16歳の誕生日に糸車の針に刺されて眠りにつく」という呪いをかけます。ステファン王は国中の糸車を廃棄しオーロラ姫を3妖精に預けてることに。しかし3妖精は子育てには全く向いておらず、密かにマレフィセンとディアヴァルがオーロラの面倒をみるのです。やがて憎むべき相手であるオーロラ姫にマレフィセントは愛情を覚えていきます……

 流れ的には「アリス・イン・ワンダーランド」「スノーホワイト」「オズ はじまりの戦い」「ジャックと天空の巨人」といったあたりの流れを組む作品なのだろう。実際スタッフ的には「アリス・イン・ワンダーランド」「オズ」あたりと重なるようだ。美しい自然が登場するがその辺が主にCGで表現されるためか、全く汚さを感じない無菌室のような自然である事なんかも共通する。ある意味で「深い」「重い」作品を期待する人向けではない。
 オリジナルの「眠れる森の美女」は「茨姫」などの題名でも知られるヨーロッパに伝わる民話でグリム童話やペローの童話などでも知られる。最も有名なディズニーのそれは1959年の作品で今ではタイトルを聞いてほとんどの人がまずこの作品を思い浮かべるだろう(この辺のディズニーの文化侵略というか、まず童話タイトルを聞いてディズニーが先に来るような戦略は賛否両論あるところ)。マレフィセントという名前はおそらくディズニーオリジナルでその魔女というキャラクターは際立っていて悪役人気も高い(「白雪姫」の女王はその意味では個性は弱い)。僕はつい語感からプロレスラー「マグニフィセント・ドン・ムラコ」を連想してしまいます。
 本作は最初「眠れる森の美女」の前日譚であり本編を悪役の視点から描いたもの(つまり物語としての結末は最初から決められている)と思っていたのだが結果かなり違ったのであった。僕は「眠れる森の美女」という作品自体には特に思い入れは無いので特に本作の展開に文句は無いけれど逆に好きな人のほうが観ていて辛いのかもしれない。映画を観ていてアンジー姐さんの「マレフィセント好き」はたっぷり伝わってくるのだけれど、ファンはそれぞれ心に「オレのマレフィセント」を持っているだろうから、やはり「オレの思ってたんと違う!」という人も多いと思う。ちなみに僕が理想とするマレフィセントでは曽我町子さんがマレフィセントを演じています。
 僕は「眠れる森の美女」と言うと中学の時学校でレクリエーションか何かでクラスで見て、フィリップ王子がオーロラ姫にキスをした時に「そのまま倒れこまないように」と言ってドン引きされたことや感想で「国王は国内の糸車をすべて処分してしまったのでおそらくこの国では紡績関連の経済がボロボロになって国王は暗君として国民に恨まれたであろう」みたいなことをことを書いて別に怒られはしなかったけど「素直じゃないねえ」みたいなことを言われたのがこの映画を巡る記憶。
 ところでファンタジーロールプレイングゲームと言うと中世ヨーロッパをモデルにした世界観がスタンダードで「ドラゴンクエスト」などもそうだろう。僕は一時期(中学〜高校)この世界観が好きになれなくなってしまったことがある。それは先の「糸車廃棄で紡績業衰退」みたいな世俗的なツッコミもそうだけれどあれらの世界観では何百年経っても科学技術的な進歩が見られないことに対する不満だった。この頃は田中芳樹にどっぷりハマっていたからなあ。もっとも今は「魔法」の存在がそういう科学技術の進歩を阻みつつそれとはまた別の進歩を見せる鍵だと思っている。閑話休題

 映画はマレフィセントの少女時代から始まり、彼女がステファンと出会い恋に落ちやがてムーアを守るために人間と出会い、ステファンに裏切られる前半と「眠れる森の美女」に準拠する本編とで構成される。アンジーのマレフィセントはよく似合っていてオリジナルと特に似ているわけでは無いけれどコミック的な誇張もあり「悪の魔女」というにはぴったりである。また後半、マントを脱いで黒いラバースーツのような身体にフィットした衣装になるとまるでキャットウーマンのようでもある。ただ、実を言うと映画は「別の視点」というレベルではなく、「眠れる森の美女」を正典とするならこの映画は外伝というかもう偽典と言ってもいい作品。完全にオリジナルと善悪が逆転している。しかしこれがディズニーが正式に贈る作品なのでまたファンにはもどかしいところなのだろう。
 マレフィセントはオーロラ姫に呪いをかけるものの、その時の16歳までは逆に死なれては困る!と思ったのかオーロラ姫を見守る。その内に愛情を覚えるが逆に呪いは予想外に強力すぎて解除できない。呪いを解く鍵はオーロラ姫に対する「真実の愛(を持つものによるキス)」だが、過去の経験からそんなものは無い!とマレフィセントは言う。同じようにマレフィセントを裏切った過去を持つステファンもやはり「真実の愛など無い」と思う部分は中々興味深い。

 オーロラ姫は我らがエル・ファニング。相変わらず美しいけれどまだ美人と言うより幼いままでかわいいという方が合うだろう。マレフィセントやディアヴァルと仲良くなり、マレフィセントを「ゴッドマザー」と呼んで慕う。ここのムーアにおいて他の妖精たちと戯れるオーロラとそれを和やかに見守るマレフィセントという絵は一瞬「なんの映画を観に来たんだっけ?」と思ってしまう。
 お約束通りオーロラ姫は眠りに落ちてしまうがオリジナルと違って彼は運命の王子のキスでは目覚めない。真実の愛とはマレフィセントのまるで自分の子供に注ぐ愛と同様なのだ。この辺は実に今風の展開でもあって「スノーホワイト」でも王子は(人間的にはいい人だったが)運命の人ではなかったし、「アナと雪の女王」でもハンス王子は言うに及ばずクリストフのキスも決め手ではなくそれはエルサによる姉妹愛だった。

 この映画を観ていて一番イライラしたのが3妖精である。こいつら無能な上に権力に媚びを売る裏切り者である。しかも自覚は無いけれど(マレフィセントとディアヴァルが密かにフォローしてたから)オーロラ姫の子育てに対してはほぼネグレクトである。とにかくこの3妖精はムーアの裏切り者といってもよく、よく最後しれっとムーアに戻れたものである。例えるなら宋の秦檜や中華民国汪兆銘みたいな存在で何百年にも渡って他の妖精たちに辱められても文句は言えないレベル。とりあえず首をはねるべきだったかと思う。この3妖精のリーダー的存在を演じているのがイメルダ・スタウントンで彼女は他の2人(とにかく無能でうるさくて間抜け)に比べると無能な中にも邪悪な雰因気を漂わせているが彼女は「ハリー・ポッター」シリーズの後半で悪役ドローレス・アンブリッジを演じている。さすがにこの描写はまずいと思ったのかこの3人は「眠れる森の美女」とは名前が変わっている。
 この3妖精がオーロラ姫に祝福をもたらすためにやってきた、招かれなかったマレフィセントが呪いをかけた、という部分は僕は二つの話を思い出す。ひとつはキリストが生まれた時に東方の三賢者が訪れたという話。もうひとつはギリシア神話で神々の宴に招かれなかった不和の女神エリスが「もっとも美しい女神へ」と書いたリンゴを贈るがそれを見たアテネ、ヘラ、アプロディーテーが互いに自身だと言って引かなかったため当時羊飼いだったイリオス(トロイ)の王子パリスに決めてもらおう、といういわゆる「パリスの審判」と呼ばれる話である。前者はヘロデ王の赤ん坊殺しが背景としてあるし、後者はやがてこのことを遠因とするトロイ戦争へと発展する。共に祝福はある種の呪いでもある。
 ステファン王を演じたのはシャールト・コプリーで最後まで人間の邪悪な部分を象徴する暗君として描かれたのは興味深い。ある意味でこの映画における人間性の象徴であるキャラクターでエゴの塊でもある。娘であるオーロラ姫にも全くその存在を顧みられていないところも潔い。それに比べて3妖精供ときたら…

Ost: Maleficent

Ost: Maleficent

 アンジーによる「マレフィセント愛」は十分に感じられ、「眠れるの森の美女」とはまた違う物語だと思えばそれはそれで面白かった。ただやはり徹底的に邪悪なアンジー姐さんも観たかったなあ、と思わないでもない。ちなみに脚本はアニメシリーズの「バットマン」などで知られるポール・ディニです。
 あ、あとフィリップ王子必要なかったね。あれは出さなくてよかったんじゃないの?

関連記事

 ここ最近のファンタジー映画の流れの中から一本。この手の映画は飛び抜けて傑作!という作品は中々無いのは分かっているけど率先して観てしまうなあ。