Am 31. Juli 2024 ミューザ川崎 シンフォニーホール
2曲目 Franz Liszt Konzert für Klavier und Orchester Nr.2
3曲目 Camile Saint-Saëns Symphonie Nr.3
京都交響楽団東京公演以来の沖澤のどかだった。期待を裏切らぬ素晴らしい演奏だった。
Don Jaunは思った以上に軽快なテンポで始まった。希代のナンパ師ドン・ファンが鮮やかに,華麗に女の子をゲットし,恰もメルセデス300SLのオープンカーでスピードをあげてドライブする印象が目に浮かぶ。軽快過ぎるスピードで車はハンドル制御を維持出来ずいきなり激突,ドン・ファンは命を落とす物語。沖澤のどかは独特なGPとアゴーギグで聴く者を魅了する。読響はいつになく全身全霊をもって沖澤のバトンに応えている。京響の常任に就任しても読響は多分沖澤のどかに熱いラブコールを送っているに違いない。次期常任はあなたしかいないと。
Liszt はこれも粋な伊達男のコンチェルトだ。この2番は特に通常のピアノコンチェルトの文法を超えて,ピアニストが自由奔放に曲全体をドライブしているかのように突き進む。まぁ,Lisztが自分のために書いたのだからそりゃそうだ。阪田知樹のピアニズムは確実かつ緻密で安定感があると受け取った。ヴィルトゥオーソ的な表現がこれでもかと登場するこの曲のピアノパートを難なくこなすだけではなく,楽譜に記載された通りにきちんと弾きこなしてくれるので聴く方に変な力が入らない。演奏に集中していられる。ドッコイショで難度の高いものを克服しているのではない,Lisztのようにエレガントに,しかしごまかさずにキチッと耳に届けてくれる。これは凄いことではないだろうか。Lisztを弾くだけではなく弾きこなしてそれ以上のことを聴かせてくれる。人間業としては本当に類い稀な人だと感じた。沖澤のどかはこの逸材のピアニズムを彩るべく色彩豊かな伴奏をしていると思った。いつもは分厚く深い音色が特徴の読響だが,沖澤のどかが振るとこのオケから明瞭な音楽構造が現れてくる。面白い。
オルガン付きはホールで聴かないと分からない事が多い。例えば第1楽章でパイプオルガンがあんなに随所に通奏低音を流しているなんて,録音再生装置では全然分からない。まぁ,オーディオルームでB&Wのノーチラスで聴けば違うかも知れぬが,そんなオーディオファイルでない限りは気づかないことが,実演では身体に届く振動でわかる。Saint-Saënsはオルガニストであったからパイプオルガンの使い方が流石だ。管弦楽法は彼が影響を受けていたWagnerには似ているとはいえない。かなりクラシックだ。沖澤のどかはプレトークで楽団員が述べていたように,この古典的な管弦楽の複雑体を時に微妙なGPで止めて音のお団子状態を解消させる。そしてどういう基準かはわからないが見事な緩急(アゴーギグ)。あれについて行くには緻密な練習と指揮者への信頼感が必須だと思う。終楽章の冒頭はパリジャンのSaint-Saënsが築いたオルガンによる大聖堂だ。オーケストラもオルガン的だ。ここは自身がオルガニストであったブルックナーの交響曲を連想させる共通感覚がある。ブルックナーの大聖堂がザンクト・フローリアンなら,Saint-Saënsの築いた音の大聖堂はシャルトル大聖堂か?ステンドグラスの美しい偉容を誇る建築物がミューザ川崎に聳え立った。
大団円は刻みの早いパッセージはかなりのアッチェレランドをかけながら,そのまま突っ走るかとおもいきや,急に重くなって重厚な,ベートーヴェン風な終結部を表出させて一大交響曲の終わりとする。手堅い。そして素晴らしい。沖澤のどかは手堅い演奏をするが,全然Notengetreuではない。でも Furtwänglerのような前時代的な雰囲気は全くない。現代的なアゴーギグ。何とも言えない。まさにunbeschreiblich だ。