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> もしも朱鷺を食べる文化があれば
トキ [wikipedia.org]トキの肉は古来から食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。
「『人間』は世界中の誰にも食べて欲しくない」というのも文化だよな。
>もしも朱鷺を食べる文化があれば、>個別的に(むろん非暴力的に)調停していくしかないんだと思う。
南米あたりだとモルモットとか普通に食べる場所多いんですが、日本の認識とは違いますよね? 個別に調停するんですか?馬を食べる事に反感が大きいアメリカですが、馬肉はアメリカが大きな生産地だったりします。よって馬肉生産としての牧場に反対運動も起きるのですが、「他の国で食べるな」という事までは言いません。(少なくとも大きい勢力ではない)
「自然保護しない」という文化は人類(子孫)全体にダメージがあるので違反行為ですが、自然資源に対して危険な行為でなければ、そういう文化だとして尊重すべきかと。
#私はチワワでも鶴でも絶滅などの危険がなく、衛生的に食用処理された前提であれば食べたい ^^;
南米あたりだとモルモットとか普通に食べる場所多いんですが、 日本の認識とは違いますよね? 個別に調停するんですか?
モルモットは、たまたま日本では殆ど食用に供されないというだけの話です。 世界中の誰にも食べて欲しくないというような強い禁忌の感情は共有されていないと思います。 合衆国における馬肉についても同様。
自然資源に対して危険な行為でなければ、そういう文化だとして尊重すべきかと。
感情の問題には、そんな単純なルールだけでは対処し切れない、ということを先ほど説明しました。 捕鯨反対派が鯨の種の保護を主張する一方で、捕鯨存続派が食害防止を強調している。 それは感情という本来の理由とは異なる帽子をお互いに被っているだけで、問題をややこしく することはあっても、解決に近付く可能性はないと思います。
>#私はチワワでも鶴でも絶滅などの危険がなく、衛生的に食用処理された前提であれば食べたい ^^;
でも、肉が少ない動物は調理がかなり上手くないと、それほどおいしいものではないという先入観があります。チワワや鶴なんて、ジビエの類ですよね。
人間、基本的には甘いモノ、油が多いモノなんかを好むものですから、牛豚鶏なんかの食用に改良され続けたものに太刀打ちするのは容易じゃないでしょうね。
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
兵器じゃないでしょ (スコア:2, すばらしい洞察)
もし兵器だとしたら、公海上での武力行使という大変なことになってしまう。
たとえていえば、蚊取り線香みたいなものだ。
ところで余談だが、
鯨は大して美味なものではないので、そんなもの獲って食べないで下さいと日本人を説得するのは
本来あまり難しい作業ではなかった筈だ。ほんとに捕鯨利権を守りたいと考えているのは
水産業界のほんの一部で、残りの日本人はうまくプロパガンダに乗せられているだけなんだけどな。
ときどき強引な妨害活動をするシーシェパードが、捕鯨利権サイドにとって非常に都合のいい
存在であることは確かだ。
食料問題というより文化摩擦 (スコア:2, すばらしい洞察)
西欧では鯨は食べないから、それ以外の地域の文化を一切無視して捕鯨禁止してしまえというのが問題だと思う。
おそらく捕鯨禁止を受け入れると、それ以外の日本の漁業全体に必要以上の規制がかかってくる畏れがある。
日本としては、漁業の乱獲で減った資源回復などの活動を地道に行って、生態系維持と漁業が両立できるということを世界に示していく必要があると思う。
秋田県では、ハタハタの資源回復に成功もしているし、漁業関係者や地元政府などが協力していけば、資源回復も実現できると思う。
Re:食料問題というより文化摩擦 (スコア:1)
「ある生き物は世界中の誰にも食べて欲しくない」というのも文化であって、
普遍的な調停方針みたいなものは存在しない。つまり、常に前者が優先で
後者が譲るべきだ、という訳には行かない。
たとえば今の日本文化では、朱鷺や丹頂鶴やチワワは後者のタイプの感情を
生ぜしめても不思議ではない。それは単に希少だからなどの理由では割り切れない。
そういう感情は一概に押し殺されるべきではなくて、もしも朱鷺を食べる文化があれば、
個別的に(むろん非暴力的に)調停していくしかないんだと思う。
Re:食料問題というより文化摩擦 (スコア:1)
> もしも朱鷺を食べる文化があれば
トキ [wikipedia.org]
トキの肉は古来から食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。
Re:食料問題というより文化摩擦 (スコア:1)
「『人間』は世界中の誰にも食べて欲しくない」というのも文化だよな。
the.ACount
Re: (スコア:0)
>もしも朱鷺を食べる文化があれば、
>個別的に(むろん非暴力的に)調停していくしかないんだと思う。
南米あたりだとモルモットとか普通に食べる場所多いんですが、
日本の認識とは違いますよね? 個別に調停するんですか?
馬を食べる事に反感が大きいアメリカですが、馬肉はアメリカが大きな生産地だったりします。
よって馬肉生産としての牧場に反対運動も起きるのですが、
「他の国で食べるな」という事までは言いません。(少なくとも大きい勢力ではない)
「自然保護しない」という文化は人類(子孫)全体にダメージがあるので違反行為ですが、
自然資源に対して危険な行為でなければ、そういう文化だとして尊重すべきかと。
#私はチワワでも鶴でも絶滅などの危険がなく、衛生的に食用処理された前提であれば食べたい ^^;
Re:食料問題というより文化摩擦 (スコア:1)
モルモットは、たまたま日本では殆ど食用に供されないというだけの話です。
世界中の誰にも食べて欲しくないというような強い禁忌の感情は共有されていないと思います。
合衆国における馬肉についても同様。
感情の問題には、そんな単純なルールだけでは対処し切れない、ということを先ほど説明しました。
捕鯨反対派が鯨の種の保護を主張する一方で、捕鯨存続派が食害防止を強調している。
それは感情という本来の理由とは異なる帽子をお互いに被っているだけで、問題をややこしく
することはあっても、解決に近付く可能性はないと思います。
Re:食料問題というより文化摩擦 (スコア:1)
>#私はチワワでも鶴でも絶滅などの危険がなく、衛生的に食用処理された前提であれば食べたい ^^;
でも、肉が少ない動物は調理がかなり上手くないと、それほどおいしいものではないという先入観があります。
チワワや鶴なんて、ジビエの類ですよね。
人間、基本的には甘いモノ、油が多いモノなんかを好むものですから、牛豚鶏なんかの食用に改良され
続けたものに太刀打ちするのは容易じゃないでしょうね。