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『シャーロック』や『ドクター・フー』等に出演し、また脚本家としても名高い英国人俳優のマーク・ゲイティス。
彼が昨年の8月に日本を訪れていたようで、その時の様子を記事にしていました。
マーク・ゲイティスの日本旅行記に対する海外の反応です。

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理由は説明できないのだが、私は常々日本に行きたいと思っていた。
子供の頃に見た『007は二度死ぬ』や『将軍 SHOGUN』、ドラマの『TENKO』(日本軍の捕虜収容所での体験を描いたドラマ)、クライブ・ジェームスショー(テレビ番組)に影響されて、複雑で狂気で矛盾をはらみつつも素晴らしく美しい文化という印象となり、それが私には魅力的に映ったのだろう。
あらゆるガイドブックで同意している事がある。
即ち、8月には行くな、行くなら春の桜が満開の頃、もしくは木々が赤銅色に燃える秋だと。
しかし暑くて湿度が高い8月は避けろ、と。
という訳で、昨年(2014年)の8月9日、友人であるエマと私は日本に到着したのだった。

私達が東京に着いたのはスーパー台風の尻尾が東京を捕まえていた時で、長いフライトの後だったから、雨の中を歩くのは新鮮な気分だった。
時差ボケによる痒い眼と痺れはあったけれど、私達は素晴らしい東京国立博物館の周りをそぞろ歩く事にした。
そこは何もかもがどこか非現実的で、まるで誰かが鉄琴を鳴らしながら着いてきているような音が響いていた。
それは着物を着て目が眩むような白さと少しの不吉さを感じさせる2又のソックスを履き、木製の厚底サンダルを履いた若いカップルで、周囲を散策する時にコンコンと独特な音を立てていた。

眼を覚まし続けているのが困難になってきたし、私達はちょっとした食事をするのにうってつけの場所を見つけた。
メニューを頼むのには多くの指差しと笑い声が出てきたけれど、ウェイターは親切に助けてくれた。

ラミネートされたカーテンで仕切られてはいたものの、スキャンダラスな煙草の煙が我々の美味しい生のウズラへと漂っていて、それは懐かしくもあった。
私達が暴力的な嵐の中に戻った頃、東京は輝くネオンの世界に突入していた。
タクシーの運転手は白い手袋をはめ、車には自動ドアが付いていて、さながら1970年代に描かれていた未来図の様だ。

次の日、素晴らしい眠りの後でウェイトレスが申し訳なさそうに朝食を運んできた。
彼女は”お待たせしてしまって申し訳ありません”と言いながらお辞儀をしならが笑いかけ、笑いかけながらお辞儀をしていた。
もっとも、彼女は全然私達を待たせてなどいなかったのだが。
それから私達は驚くほど清潔で、効率的な地下鉄システムへの階段を下っていった。
休日の真っ最中だったためにかなり静かで、伝説的な押し合いへし合いもなかった。
最初に行ったのは有名な築地市場。
ここは仕事の雰囲気と観光客の注目が奇妙に入り混じっていた。
氷を浴びせられた蛸の吸盤が蠢いている。
フックをもった男が凍った鮪をスライスする様子はさながら中世の芸術家がピンク大理石の彫刻を彫っているかのようだ。
床に落ちた鮪の切れ端はそのまま捨てられるのか、それともセインズベリー(ロンドンの大手スーパー)に送られるのか、それは分からない。

次に私達は数多く訪れる事になる神社の、その初めとなる神社へと向かった。
偉大なる改革を行った明治天皇を記念して建立されたもので、美しい森の中を延びる道の先に精霊にお願いをすることが出来る小さな廟のある聖なる場所がある。
そのうち、どの神社もデパートの安売りの様に祝福をばら撒いているのだと思い至った。
違いはあるものの、大聖堂にある小さなお店で聖歌のCDを売っている事を疑問に思うだろうか?
儀式には両手を洗って口を漱ぐことも含まれていて、その後で願いを絵馬に書いて吊るす。
これはちょっと商業的に寄っている部分もあり、訪れる多くの神社で行われていた事でもある。
明治神宮の魅力の1つに素晴らしい木の柱と扉に付いている奇妙な窪みがある。
年間300万人以上が訪れるのだから、かなり忙しいのだろう。
神社を訪れた人間は遠くからコインを投げ入れるため、木細工に痘痕が付いている。
しかし、ここは都会の圧倒的な喧騒への穏やかなオアシスを提供してもいる。
ほとんどの建物が大戦後に愛情をもって再建されたものだ。

そして私達は狂騒かつウルトラファッショナブルな十代の若者達の中心地へと戻っていった。
しかし、見知らぬ街にいるとロンドンのカムデンシティの真ん中に立っているような恐怖がある。
ファッションはミステリアスでチャーミングだ。
つば広の帽子を被り、長手袋とレースで出来た煤けたピンクや灰色の日除け傘という日差しを避けるファッションをした女性が多い。
彼女達は日陰を作っていないと塵になって通りに消えてしまう、マスクをしたビクトリア時代の幽霊のような装いだ。

次の日、私達は広島に向かうために東京を発ち、初めて新幹線を体験した。
最高にキュートな子供達で満載で、車両に入る時と出る時にお辞儀をする超有能なスタッフも乗っている。
礼儀とフレンドリーさのレベルがイギリスとは大違いで恥ずかしくなる程だ。
広島は凄まじい破壊を受けた場所だ。
1945年8月6日の出来事が代名詞となっている街ではあるものの、今では賑やかで近代的な街になっている。
至る所にある道路標識が自分が今”爆心地”からどの位の位置にいるのかを示している。
(訳注:原爆ドームへの標識だと思われる)

平和記念公園には原爆で粉々になったドームがあり、付随する博物館は容赦がない。
中に展示してあるのは溶けた眼鏡、全て午前8時15分で止まっている時計、燃えて血に塗れた子供達の服、抜け落ちた髪の毛、爪。
私達は感情を動かされ、身がすくみ、赤く染まった夕日の中何人もの人達が静かに座り考え込んでいた。

その日の晩、私達は夕飯のために小さなお店を見つけた。
紐で出来たカーテンと太ったランタン(提灯)の付いたお店で微かに怪しげな雰囲気が漂っていて、中には陽気に騒ぐ喫煙者達がいた。
私がビールを注文しようと全て日本語で書かれたメニューを指で突つくと、やがて淡い色の液体が入った2つの容器がやってきた。
”ウイスキーみたいじゃないか!”と笑ったが、それはまさにウイスキーだった。
そんな事があったけれど、今回も店員は親切で陽気で楽しい人達で、私達は少しの日本語と少しの英語でもってグリルした大きなピーマン(しし唐)の上に魚のフレーク(鰹節)を掛けたもの、美味しいスズキとご飯を楽しんだ。

広島から世界遺産にもなっている宮島へは電車とフェリーに乗る短い旅だ。
そこは鹿が自由に歩き回り、観光客を小突いいて人の流れの中に出たり入ったりしている。
悲しいかな、彼らは人間と密に接してきた動物達と同じ轍を踏んでいて、食べ物を漁り、貪欲な山羊の様に地図まで食べてしまう。
しかし、重厚な商業港から離れてしまえばここは穏やかで魅力的な島だ。
ここにはカワウソや鮫、スナメリといった楽しい生き物満載の、予想外なほど素晴らしい水族館もある。
ミズクラゲは白から青、それからピンク、緑と色を変えていた。
丘の上に登り、緑豊かな庭園を抜ければ太陽の光で輝く錫で出来た屋根、朗々と鳴り響く鐘、小さな帽子を被りビブスを着た仏陀が微笑む、古くからある寺院がある。
夜になって花火が島を彩るようになるとその雰囲気は消え失せ、この島は急に訪問者で溢れかえる。
ほとんどが若いカップルで、今回もゴージャスな着物を着ている。

どうやら若者達が特にデートで伝統的な衣装を着るのは素晴らしくファッショナブルな事らしい。
男の子と女の子のどちらも華やかで愛情豊かな様子は感動的だ。
夕飯は胡坐をかいて牡蠣と鰻(訳注:穴子の事と思われる)を食べ、それから花火が島に咲き誇るのを眺めた。

またも超効率的な新幹線に乗り、今度は”南日本の玄関口”である福岡へと向かった。
田舎を通り抜けるにつれ、景観はどんどん変わっていく。
息を呑むよう山々には霧が掛かっている。
パウダーブルーのタイルの屋根が太陽に煌めき、湿地には真っ白な翼の鶴がいて、急にここは(イギリスとは)全く違う場所なのだと感じた。
私達は小さなツアーに参加し、そのツアーには直接見る事は出来なかったが伝統的な祭りをビデオで見るという内容も含まれていた。
それは数百人の真っ白い上着を着た褌姿の男達が巨大な山車を6本の柱で運ぶというもので、お尻が丸出しではあったがまるで牛追い祭の様だった。
後に分かったのだが、上着は抗議があったため着るようになったらしい。
何故ズボンは履かないのだろうか。

その日の夕方、(心の中に)ファンファーレを鳴らしながらミシュラン2つ星のレストランに悪名高きフグを食べに行った。
フグの肉はシアン化合物よりも致死性が高く、中毒を起こすかもしれない。
ごく一部分だけが食べられるのだ。
レストランは素晴らしくミニマルで素朴で杉の香りが漂い、壁は紙で出来ており、まさにこうあって欲しいというそのものだった。
キッチンを見に行くちょっとしたツアーも設けてもらい、フグは既に下準備が終わって靴の様に箱の中に収められていた。
私達はまるで毒見役が王族に監視されているように周りから見られながらフグを食べた。
フグ自体は興味深い程ぼんやりした味だった。
カミソリの様に薄く銀色で、道路に落ちたガソリンの様に虹色の光彩を持っている。
でも一緒についていた薬味(小さなネギ、春玉ねぎ、リゾット)は美味しかったし、このコースには意外にもバッター(西洋の揚げ物。ここではフィッシュアンドチップスの事と言ってると思われる)が付いていた。
ファーストフードチェーンのハリー・ラムスデンのようだったが、死ぬかもしれない危険を伴っている。

次の日、まだ生きていたので長崎へ行く電車に乗った。
長崎は広島とは全く違う景観を持った街だ。
日本が鎖国していた200年間の間で(ほぼ)唯一西洋に開かれていた港であり、その影響を受けた古い建物が残っている。
オランダやポルトガルと貿易していた頃の素敵な下見張りのコロニアル住宅があり、ネオンの迷路のようなチャイナタウンもある。
運河の側を歩いていると闇の中に何かがいるのが目の端に見えた。
驚いた事に、排水溝の中に蟹が隠れていたのだ。
爆竹が騒がしくなり始めた。
今は日本の死者を弔う祭、お盆の時期だ。
雨が湿った空気を切り裂くように降り、不思議な位温かく落ち着いてきた。
変わった音色の鐘の音を先導に、家族が大きなランタンで囲まれた”死者の船”を亡くなった愛する者の思い出と共に、曲がりくねった道を運んでいる。
その中には陽気なエルビスの写真も入っていた。
雨の中で爆竹が鳴り響き、火薬の煙が雲となって私達の方に流れてきた。
私達がホテルに戻った時、手袋とマスクをした人達が爆竹の残骸を掃除していて、次の日の朝にはもう跡形もなくなっていた。
興味深い事に、日本はどの街もゴミゴミしていて工業化されているのだが、ゴミは1つも落ちていない。
単純にゴミを投げ捨てる人がいないのだ。

次に止まったのは鹿児島。
暑く、曇りの日で私達が到着した日は火山が煙に囲まれていた。
指宿のリゾート(指宿 白水館)は豪華でクールな伝統的な日本スタイルの部屋がある美しいデザインをしており、西洋のスパとは全く似ていない。
(風呂では)男性と女性共に裸で楽しそうに歩き回っている。(それぞれ別の場所に別れている)
風呂には大きな浴槽とサウナがついていて、天然温泉で砂が温められている有名な砂風呂もある。
私達は着物(浴衣)に着替え、私とエマは熊手を持った若い男性に柔らかく灰色な砂に首まで埋められてエイリアンのようになった。
砂は熱過ぎず、不思議と楽しい気分だった。
15分ほど埋まっていると雨粒の様に汗が出てきた。
ここに30分以上埋まっていられるのはボリス・エリツィン位だろう。
(訳注:エリツィン元ロシア大統領はサウナに側近を集めて政治決定をする事が多く、エリツィンサウナ政治と呼ばれていた) 
素晴らしく親切な支配人のシモタケハラ氏がエドワーディアン時代の絵葉書にある美しい女性の様に頭の上に日傘を指しましょうかと尋ねてきた時は笑いが止まらなかった。

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長い列車の旅が私達を本州の中心部である京都へと運んだ。
ここは今まで見てきた何処とも違っている。
チャーミングに曲がりくねった道があり、大戦で破壊されなかった古い建物が無傷で多数残っている。
京都にはもちろん神社もあるが、何よりお店や喫茶店が素敵だった。
私達は昼食でゴージャスな(そしてとびきり安い)寿司と抹茶アイスクリームを食べ、その後で本物の芸者をが2人連れ立って歩いているのを見た時はエキサイトした。
これは間違いなく珍しい光景だ。
デスマスクのような顔、幻想的で精巧な髪、うなじからわずかに見える肌、彼女達は確かに見ごたえがあった。

京都は宵が最高だ。
静かで落ち着いた雰囲気で、特に良かったのが半分明かりを落とした先斗町の通りで、ここには有名な黒毛和牛を食べに行った。

次の日は暗殺者が来たら離れた場所からでも音で気付く事の出来る”鴬張り”の床がある将軍の館(二条城)とオレンジのトンネルが無限に続く伏見稲荷を訪れた。
間違いなく壮大な光景だったが、今は神社を後にする時間だ。
その後で近くを黄色い川が流れる竹林に行った。
精悍な若者達が遊園地の車に乗る騒がしい男達の様にリキシャを走らせている。
京都を去るのは悲しかった。
間違いなく今回の旅行でのヒットだったからだ。
しかし、東京での最後の夜は街の驚くべき光景を見せてくれた。
線路が道路の下を走り、私達が向かったゴールデン街では街の明かりの海の中で車が霞んでいた。
ゴールデン街は10人位しか入れないいろんなテーマの小さなバーがひしめく小さな通りだ。
体に流れる『The Specials』の『Ghost Town』が私達をニューウェーブサウンドのある1979年代パンクバーへと誘う。
煙草の煙の中で『スパークス』と『ブロンディ』の音楽を聴くのは素晴らしい違和感があった。
私達は”酒”を飲み、大いに楽しんだ。

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特に良かったのが上に挙げてきた日本を作っている人達だ。
これ程親切で礼儀正しく、フレンドリーな人達には出会った事が無い。
思っていた以上に英語を話せる人も多く、しかも看板はバイリンガルだった。
中でも電車は徹底していた。
私はまた日本に行く事を計画している。
もちろん今度は春だ。あるいは秋に。
それも出来るだけ早く。
ちょっと宣伝っぽく聞こえるかもしれないが、まさにその通り。
夏だとしても日本は素晴らしいのだから。
是非行こう。


日本へのフライト:フィンランド航空。ヘルシンキ経由で往復:590ポンド(当時のレートで約10万円)※以下2014年8月時のレートで計算
ジャパンレールパス(7日間):159ポンド(約2万7000円)
ハイアットリージェンシー京都:ダブルルーム122ポンド(約2万1000円)
東京:マンダリンオリエンタル:ダブルルーム276ポンド(約4万7000円)
指宿白水館:一泊二食付188ポンド(約3万2000円)
博多 い津み(フグのセット):ランチは20ポンド(約3400円)、ディナーは56ポンド(約9600円)福岡のホテルで予約した

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●kloostervrouw
確かにその通り。
日本は魅力的だ。
(もう一度日本に行ってみたいね。もちろんフィンランド航空で。最高に安全な航空会社だ)

●bazza201
素晴らしい記事だった。
奇妙且つ信じられない位の暖かさを持った日本と日本人についてをカプセル化してるね。
私と妻は去年の春に京都の小さな家に滞在して素晴らしい時を過ごしたよ。
それから新幹線ののぞみに乗って東京に数日間滞在したんだ。
また行くのが待ちきれないよ。多分来年あたり。

●tonypsmyth
日本に30年間住んでた者として言うが、8月に日本に行くのは正気の沙汰じゃないな。
気温だけじゃない、この時期は飛行機の代金も恐ろしく高くなるんだ。
8月は避けるべきという1番の理由は服を着たまま24時間サウナに入ってるようなものだからだ。
だからあまり動きたくなくなるんだよ。特に外出は。
日本では外出が多くなるけど。
日本は10月の終わりか11月が素晴らしいね。
飛行機代もかなりお得になるし。
自分は高松をお勧めするよ。
鉄道で世界最大かつ最高度の橋を渡って行くんだ。
栗林公園という素晴らしい公園があって、10月11月は紅葉が色づいて実に素晴らしい。
うどんも有名だ。

●trot4484
8月は7月よりもマシだ。
7月の本州は本気で避けるべき。
(少なくともイギリスにとっては)円安になったからようやく日本は行きやすくなったね。
(日本からイギリスに帰省する場合は良くないけど。地下鉄の代金に泣いた)
それに飲食も安く済ませられるし。
地方は絶対に行く価値があるよ。

●Mart Lowe
日本によく行く人はみんな口を揃えて地方に行くように(日程を)頑張った方が良いと言うね。
驚くほど美しくて、日本のハイライトだと。

●moyesmustgo
2点気になる事が。
まず、着たのは着物じゃなくて浴衣だろうね。浴衣は夏バージョンの軽い着物だ。
それから出会ったのは舞妓だと思う。彼女達は若い芸者だ。
良い記事だった。
日本に住んでて嬉しくなったよ!

●stupidcarshow
>このコースには意外にもバッター(西洋の揚げ物)が付いていた。
天ぷらだね。
意外ではないよ。

●PatriciaPJ
日本に行こうと思った事は無かったんだけど、今はその気になってる。
どうもありがとう、Mr.ゲイティス。

●Jasper Van Der Blint
日本は驚くほど安いよ。
カプセルホテルじゃなくてビジネスホテルでも1晩40ポンド(約7000円)位なんだ。
新幹線は高いけどね。

●jhedger
私達は私達なりの予算で日本に行って、アパートも自分達で手配して借りたよ。
バスやお店、カフェで出会った人達と会話もしたけど、みんな丁寧だった。
タクシーにも何度か乗ったけど白い手袋をしてて、運転も上手いしお釣りもレシートと一緒に細かい値まで返してくれたね。
私が行った国では日本が一番文明的だったと思う。

●Natacha
私は22年間ほぼ毎年8月に日本に行ってる。
教師をしてるんでこの時期しか行けないから。
もちろん滅茶苦茶暑いんだけど、エアコンのある所を見つけられれば慣れるよ。
日本には涼しさをキープしてくれるTシャツを売ってるお店もあるし。
シルバーグレイで酷い見た目なんだけど、これを着ると全然違う。
新幹線はとんでもなく高いし、ジャパンレールパスはスピードの遅い新幹線しか乗れないね。
飛行機の安い便に乗る方が安くつくよ。
日本で一番の場所は関西の京都と大阪。
京都には一週間はいた方が良いと思ってるし、大阪の料理は世界一。

●jmNZ
もう一度行くなら別方向(北)の北海道が良いね。
行く価値ありだ。

●GCday
(日本と言えば)グランドセイコーとクレドールの本場だ。
(これはある種のオタクでないと分からないか)

●stakhanov
7月の終わりに日本に行ったよ。
信じられない位暑かった。
熱波はエアコンや外に水を撒く事で和らげてたね。
もしこの時期に行くんなら高原に行くと良いよ。
空気もきれいだし観光客も少ないから。
日本は大好きだけど、今度はもう少し外れの方に行ってみたいな。
京都と奈良は観光客が多すぎだからね。





何かのプロモーションではなく、個人的に日本に旅行をしに来たようです。
8月は止めておけと言われて敢えてしかも南の方に行くのが実にイギリス人らしいと言うか。
今度は是非北日本の方へ来てほしいものです(冬に)。

追記:明治神宮の参拝客の部分は原文では300万人でした。
追記2:宮島の水族館の部分をラッコ→カワウソ、ネズミイルカ→スナメリに修正。
追記3:タトゥーの部分をコンコンに修正。
追記4:鰻の部分に訳注を追加。

ご指摘感謝します。



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